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もう12月ですね。
今年は例年より早く感じます。充実したような、追いかけられてバタバタさせられた1年でした。もっとも、そう感じるのはそれだけ歳を取ったからかもしれませんね。

ともあれ、このエッセイもおかげさまで2年目を迎えます。
同じ事を書かないように今までのものはファイルしてあるのですが、最近のものは、やっと肩の力が抜けて書けているようです。これも何かの縁ですので、ネタの続く限りもうしばらくお付き合いください。

私はこの『縁』という言葉が好きです。
一見法則の存在しない偶然の悪戯で結ばれているような『縁』にも、裏側には実は想像を超えた法則が存在している気がします。

地球上の全ての人に会えるはずもなく、私たちが一生の間に出会える人の数は決まっています。そう考えると、今まで自分が出会った好きな人も嫌いな人も良い人も悪い人も、そんな全ての人が生きていく上で会わなければならない人(key person)だとは思っているからです。
だとすると、会いたい人が雲の上のような有名人でも、本当に会わなければならない大事な人ならば、いつか必ず会えると信じていいです。少なくとも私はそう信じています。

凡人の私には『どんな人も大事な人なんだ』と思えるほどに達観していませんが、この人との出会いは前世からの宿命だったのではと信じる人達もいます。そんなとき『縁』というものを強く感じます。

少しSFっぽくなりますが、違う町で生まれ、違う学校に通い、違う会社に就職したとしても、それぞれの役割は違っても、今と全く同じ人達に囲まれている自分を想像します。もっとも、それに気付かないでしょうけど…。

何より前にお話したあの個性溢れる両親の子として、きっと生まれているに違いないとハズ。これもある意味『縁』ですよね。

少しでも早く、全ての人が大事に思える心の大きさを持ちたいです。
そんな訳で来年はどんな人に出会えるか今から楽しみです。それにしても今回は妙に哲学的ですね。

健康のため、休日に近所の公園までお散歩してきました。
久しぶりに芝生に座っていると、何だかほっとします。ぽかぽかした日差しの中で走り回る子供たちを見ながら、ため息のかわりに大きな欠伸を一つつきながら、寝転がってしまいました。

気持ちいいっ!

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