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沈黙

その日の神戸は、前日からの雨が上がり、薄曇りで冷たい風が強く吹いていました。

今月の社内報がお手元に届く頃には、入社式も無事に終わり、新入社員も新しい生活に不安と期待で胸を一杯にしている事だと思いますが、先月もお話ししたとおり、来年の4月に向けての採用活動はもう始まっています。

エントリー者との面談のため、今年に入って2月・3月と関西へ出張しています。2月には、ホテル滞在中に夜遅く余震があり、飛び起きて慌ててテレビをつける体験もしました。また、ご承知のとおり、関西の交通網はまだ寸断されたままなので、大阪からはJRと阪急電鉄をアミダクジのように乗り継ぎ、徒歩も交えて姫路まで移動しました。

JRと阪急電鉄の駅間を徒歩で30分くらい歩いたのですが、大きな通りはもうほとんど整理されていますが、少し小さな通りに入ると、まだほとんど手がつけておらず、傾いた家や電柱に囲まれながら歩いていると、平衡感覚が変になってしまい、少し、気分が悪くなりました。

建物の壁には「がんばろう神戸」のポスターが貼られ、路地のそこここでは、水道やガスの工事が行われ、少し大きな公園には被災者の方のテントが並んでおり、そこからは子供たちの明るく元気な声が聞こえてきたので何だかホッとしました。

震災後2ヶ月たっていましたので、復興の動きは全くの部外者の僕の目にも確かにはっきりと分かりました。

JR三宮の駅前に立って最初に感じたのは、その空の広さでした。幾つかのビルが取り壊されて、すっかり風景が変わってしまったからでした。一夜にして風景まで変わってしまう体験など、到底理解できるものではありません。そういう風景を見ていると、冷たい風が目にしみるのか、花粉症のためなのか、悲しいからなのか分かりませんが、涙が出て仕方がありませんでした。

ここにいても、今の僕には何も出来ない。
「頑張ってください」の一言が、何だか空々しくて口に出す事もはばかれました。

姫路からの新幹線の中でも、妙に苛々している自分と頭の中で「頑張ってください」という何に対して、どう頑張ればいいのか分からない言葉が現れては消えていきました。

移動のためとはいえ、震災地を歩いて、僕の中の価値観みたいなものが変わった気がしました。今、自分が何が出来るのか、そういうことをいつも考えて生活することの大切さ、そういったものかもしれません。

この僅かなスペースで皆さんに全てをお伝えすることは出来ませんし、この状況や心境をうまく表現する言葉を最後まで見つけ出すことが出来ませんでした。結局、僕は新幹線の中でも卑怯にも沈黙してしまいました。

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