見出し画像

日本の肉食に関する歴史を辿ってみる。(前半)

前回の続きはこちらです^^

前回で、菜食のほうが人間の身体には合っているということはわかりましたが、それにしてもなぜ今は肉食が一般的になっているのか、気になりました。日本での現代までの肉食に関する歴史を見てみると、大きな転機となったのは以下の4つのようです。
1. 675年~ 天武天皇による「肉食禁止令の詔」
2. 江戸時代~ 第5代征夷大将軍(徳川綱吉)による「生類憐みの令」
3. 
明治維新~ 明治天皇による「肉食解禁の令」
4. 
戦後~ 「日米相互防衛援助協定(MSA協定)」
それぞれ、当時はどのようなことがあったか、わたしなりにまとめてみます。

なお、日本の肉食に関する歴史をまとめようと思いましたら長くなりましたので、前半と後半の2回に分けて記事を書いていきます。

1. 675年~ 天武天皇による「肉食禁止令の詔」

当時675年、天武天皇は牛、馬、犬、猿、鶏の肉食を禁止しました。なぜ、その動物のみ肉食を禁止していたのかというと、以下の理由があったからのようです。
・牛は田畑を耕す
・馬は人を乗せて働く
・犬は番犬となる
・鶏は時を知らせる
・猿は人間に似ている

つまり、人間にとって役に立つ動物や、人間と似たような動物に対して殺生を禁じるものであって、イノシシ、鹿などの野生動物については殺生や肉食を禁じられていなかったようです。

しかし、「肉食禁止令の詔」は1年中ずっと禁止された、というわけではなく、稲作を行なう4~9月の間のみ禁止されていました。当時は、稲の豊穣を願うために、また雨ごいをするために、儀式として牛や馬を生贄にして供えるという残酷な儀礼が行なわれたようですが、この「肉食禁止令の詔」はそのような殺生行為・動物虐待行為を防ぐねらいもあったようです。

また、六世紀の後半に初めて日本に仏教が伝わったようですが、当時の天武天皇が仏教を信仰していたことで、「肉食禁止令の詔」が出たのはその仏教の影響があったとされています。

しかし、同様に仏教が信仰されていた中国や朝鮮では肉食が禁止されていなかったため、肉食を禁止するものは、日本独自のものであり、元々日本人には動物の殺生・肉食を避ける精神性があった、ということが考えられます。

といっても、調べてみると日本人全員が肉食を避けていたというわけでもないですし、当時から色々と事情があったんだろうなあ…とは思います。

2. 江戸時代~ 第5代征夷大将軍(徳川綱吉)による「生類憐みの令」

徳川綱吉といえば、「生類憐みの令」でよく知られていて、特に犬を大事にしたことから「犬公方(いぬくぼう)」とまで呼ばれていましたね。「生類憐みの令」は1つの法令を指していたものではなく、実際には130以上にも及ぶ法令を総括したものであり、犬だけではなく牛や馬、鳥、魚介類、虫などあらゆる動物の保護を目的としたものでした。

これだけでしたら、当時の将軍は特に命をよほど大事にしたのだろうなあと思ったのですが、以下の引用元の記事によると、法令とするには少々度を越していると思うようなものもいくつかありました^^;

これはやりすぎ、生類憐れみの令
・道路をうろついている子犬を見つけたら母犬を見つけること
・ケンカしている犬を見かけたら水をまくなどして引き分けさせること
・田畑を荒らすカラスやトンビは生け捕りにして伊豆七島へ運んでから放せ
・馬のたてがみを切ること禁止
・生きた魚や小鳥、鶏、亀、貝類を食料として売買すること禁止
・鰻(うなぎ)、ドジョウも売買禁止
・金魚を飼う者はその数を届け出よ
-江戸ガイド 生類憐れみの令はなぜ出された?

話を戻しますが、あらゆる動物の保護を目的とする「生類憐みの令」の中では殺生や肉食を禁止することも含まれていました。江戸幕府が成立してから約80年経った当時、戦国時代の空気がまだ残っていたところがあるようで、特に「かぶき者」というものもいて、ケンカしまくったり、強盗したり、殺生したり、犬を食べていたりした、ということもあったそうです...

徳川綱吉は、そのような荒れ狂っていた状況を見て、落ち着いた平和な時代を作るため、あえて「生類憐みの令」を発令して、あらゆる動物に対して人々に保護を強いることで、「殺生・肉食は良くないこと」という意識を持たせるようにしたそうです。

また、徳川綱吉は動物だけでなく、人間に対しても保護の対象であったようです。例えば「生類憐みの令」は「捨て子の禁止」「病人の保護」といった法令もありました。そのため、徳川綱吉は決して動物寄り人間が下、とい考えていたわけではなく、ただ平等にすべての生き物を愛していたのだ、ということが何となく読み取ることができました。(やり方が良くなかっただけかもしれません苦笑)

ちなみに、徳川綱吉は頭がよく、儒教にも通じていたそうで、中でも儒教の教えである五常(仁、義、礼、智、信)のうち、「仁」を重んじていたそうです。(※「仁」については、ネットでは色々と例があって、はっきりこれといったものがないようですが、わたしのなかで一番しっくりくるのは「自分の心中の欲求を自覚し、他者の心中を思いやること」でした。)

結局、徳川綱吉の死後は「生類憐みの令」のほとんどが直ちに撤廃されたそうです。ですが、「捨て子の禁止」など一部の法令は引き継がれ、結果的には、「殺生・肉食は良くないこと」という意識をある程度人々にもたらすことができたそうです。

その意味では、以前に私は以下のような記事を書かせていただきましたが、江戸自体の人々が玄米・菜食中心の食事で、肉を食べなかったのはそのような流れもあったのでしょうか?

後半に続きます^^

※参考URLは以下にまとめています。
参考1:カラダヨロコブログ 管理栄養士圓尾和紀 「昔の日本人は本当に肉を食べていなかったのか」その真相とは
参考2:
団塊オヤジの短編小説goo「日本の肉食禁止政策の歴史」について考える
参考3:江戸ガイド 生類憐れみの令はなぜ出された?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?