夜の短編小説:地獄変:芥川竜之介:現代語訳版
堀川の大殿様のような方は、これまではもちろん、後の世にも恐らく二人とはいらっしゃらないでしょう。
噂に聞くところによると、あのかたが生まれる前には、大威徳明王の姿が御母君の夢枕に立たれたとかいうことですが、とにかく生まれつきから、普通の人とは違っていたようです。
ですから、あのかたがなさったことには、私たちの意表を突くものは一つもありません。
例えば堀川のお屋敷の規模を見ても、壮大といいますか、豪放といいますか、私たちの凡庸な考えでは到底及ばない、思い切ったところがあるようです。
中には、そこをいろいろ批判して大殿様の行いを始皇帝や煬帝に比べる人もいますが、それは諺にいう群盲が象を撫でるようなものでしょう。
あの方の思いは、決して自分だけが栄耀栄華を享受しようというものではありません。それよりももっと下々のことまで考えられる、いわば天下と共に楽しむというような、非常に大きな器量がありました。
それで、二条大宮の百鬼夜行に遭っても、特に問題がなかったのでしょう。
また、陸奥の塩竈の景色を写したことで名高い東三条の河原院に、夜ごと現れるという噂のあった融の左大臣の霊でさえ、大殿様のお叱りを受けては姿を消したに違いありません。
このような威光があったので、その頃の洛中の老若男女が、大殿様をまるで権者の再来のように尊敬していたのも無理はありません。
ある時、梅花の宴からの帰りに御車の牛が放れて、通りかかった老人に怪我をさせた時でさえ、その老人は手を合わせて、大殿様の牛にかけられたことを感謝したということです。
そのようなわけで、大殿様の一代の間には、後々まで語り草になるようなことが随分たくさんありました。
大饗の引出物に白馬ばかりを三十頭賜ったこともありますし、長良の橋の橋柱に御寵愛の童を立てたこともありますし、
また、華陀の術を伝えた震旦の僧に、御腿の瘡を切らせたこともあります。
一々数え上げていてはきりがありませんが、その数多い逸話の中でも、今では御家の重宝になっている地獄変の屏風の由来ほど、恐ろしい話はないでしょう。
普段は何事にも動じない大殿様でさえ、あの時ばかりはさすがに驚かれたようでした。
ましてそばに仕えていた私たちが、魂が消えるほど驚いたのは言うまでもありません。
特に私は、大殿様に二十年来仕えていましたが、それでもあのような凄まじい見物に出会ったことは他にはありませんでした。
しかしその話をするには、まずあの地獄変の屏風を描いた、良秀という画師のことをお話ししておく必要があるでしょう。
良秀という名前を聞けば、今でもあの男のことを覚えているかたがいるかもしれません。彼はその頃、絵筆を取らせれば右に出る者がいないと言われるほどの高名な絵師でした。あの出来事があった時には、彼ももう五十歳の坂に差しかかっていたでしょうか。
見た目は背が低く、骨と皮ばかりに痩せた、意地の悪そうな老人でした。大殿様の御邸に参上する時には、よく丁字染めの狩衣を着て揉烏帽子をかぶっていましたが、人柄は至って卑しく、年寄りらしくもなく唇が目立って赤いのが、なんとも気味悪く、獣のような印象を与えました。中には「絵筆を舐めるので紅がつくのだ」と言う人もいましたが、どうだったのでしょう。
さらに口の悪い人たちは、良秀の立ち振る舞いが猿のようだと言い、「猿ひで」というあだ名までつけたことがありました。
さて、「猿ひで」といえば、こんな話もあります。大殿様の御邸には、十五歳になる良秀の一人娘が、小女房として仕えていました。彼女は生みの親には似ず、愛嬌のある娘でした。そのうえ、早くに母親と別れたせいか、思いやりが深く、としのわりにませた利口な子で、何かと気がつくので、御台様を始めとする他の女房たちにも可愛がられていました。
ある時丹波の国から人懐っこい猿が献上され、その猿に若殿様が「良秀」という名前をつけました。その猿の様子が可笑しかった上に、そんな名前がついたので、御邸の中で笑わない者はいませんでした。
しかし、笑うだけなら良いのですが、面白半分に皆が「庭の松に登った」「曹司の畳を汚した」と、その度に「良秀、良秀」と呼び立てていじめたがりました。
ある日、良秀の娘が、ふみを結んだ寒紅梅の枝を持って長い廊下を通りかかると、遠くの遣戸の向こうから、例の小猿の良秀が、足でも挫いたのでしょう、いつものように柱に駆け上る元気もなく、跛を引きながら一散に逃げてきました。
そのあとから、楚を振り上げた若殿様が「柑子盗人め、待て、待て」と言いながら追いかけているではありませんか。良秀の娘はこれを見て、少しの間ためらいましたが、ちょうどその時、逃げてきた猿が袴の裾にすがりついて、哀れな声を出して泣きました。
とたんに、娘は可哀そうに思う心が抑えきれなくなり、片手に梅の枝を持ったまま、片手に紫匂いの袿の袖を軽くはらりと開き、優しくその猿を抱き上げて、若殿様の前に小腰をかがめながら「恐れながら、この猿をお許しください」と涼しい声で言いました。
しかし、気負って駆けてきた若殿様は、むずかしい顔をして二、三度足を踏み鳴らしながら、
「なぜかばう。この猿は柑子盗人だぞ」
「畜生だからです」
娘はもう一度そう繰り返しましたが、やがて寂しそうにほほ笑んで、
「それに良秀と言いますと、父が叱られるようで、どうしても見ていられません」と、思い切ったように言いました。
これにはさすがの若殿様も、心を折られたのでしょう。
「そうか。父親の命乞いなら、特別に許してやろう」
不承不承にそうおっしゃると、楚をそこに捨てて、元いた遣戸の方へそのまま帰っていきました。
良秀の娘とこの小猿が仲良くなったのは、それからのことです。娘はお姫様からいただいた黄金の鈴を、美しい真紅の紐に下げて、それを猿の首にかけてやりました。猿もまた、どんなことがあっても、めったに娘のそばを離れませんでした。ある時、娘が風邪をひいて寝込んでしまった時なども、猿はちゃんとその枕元に座り込み、心細そうな顔をしながら、しきりに爪を噛んでいました。
こうなると不思議なもので、誰も今までのようにこの小猿をいじめる者はいなくなりました。それどころか、次第に可愛がるようになり、しまいには若殿様でさえ、時々柿や栗を投げて与えたばかりか、侍の誰かがこの猿を足蹴にした時などは、大層お怒りになったそうです。その後、大殿様がわざわざ良秀の娘に猿を抱いて御前に出るようにとおっしゃったのも、若殿様のお怒りの話を聞いてからだそうです。そのついでに自然と、娘が猿を可愛がる理由も耳に入ったのでしょう。
「孝行な奴じゃ。褒めてやるぞ。」
こういうことで、娘はその時、紅色の袙を御褒美にいただきました。ところがこの袙を、猿が見よう見まねで恭しく押し頂いたので、大殿様の機嫌は一層良かったそうです。ですから、大殿様が良秀の娘を贔屓になったのは、全くこの猿を可愛がった孝行心をお褒めになったのであって、決して世間で言われるように色恋沙汰ではありません。もちろん、このような噂が立ったのも無理はないのですが、それはまた後でゆっくりお話ししましょう。ここではただ、大殿様がどれほど美しいとしても、絵師の娘などに恋心を抱くかたではないということをお伝えしておきます。
さて、良秀の娘は面目を施して御前を下りましたが、元もと賢い女ですから、他の女房たちの妬みを受けることもありませんでした。むしろそれ以来、猿と一緒に何かと可愛がられ、お姫様のそばから離れることもなく、物見車の供にも欠かせない存在となりました。
ですが、娘のことは一旦置いておいて、これからはまた親の良秀のことを申し上げましょう。なるほど猿の方は、こうして間もなく皆に可愛がられるようになりましたが、肝心の良秀はやはり誰にでも嫌われ、変わらず陰で「猿ひで」と呼ばれていました。それも大殿様の邸内だけではありません。実際、横川の僧都様も、良秀のことを魔障にでも出会ったかのように嫌っていました。(もっとも、これは良秀が僧都様の行状を戯画に描いたからだと言われていますが、何分下世話な噂なので確かではありません。)。とにかく、あの男の評判はどこでも悪いものでした。もし悪く言わない者がいたとすれば、それは数人の絵師仲間か、あるいは良秀の絵を知っていて、彼の人間性を知らない者ばかりでしょう。
しかし実際良秀には、見た目が卑しいだけでなく、もっと人に嫌われる悪い癖があったので、それも全く自業自得と言えるでしょう。
その癖といいますと、けちで、貪欲で、恥知らずで、怠け者で、強欲で――いや、その中でも特にひどいのは、横柄で高慢で、いつも「私は日本一の絵師だ」と鼻高々にしていることです。それも絵の道に限ったことならまだしも、あの男は世間の習慣や慣例まで馬鹿にしていました。これは長年良秀の弟子だった男の話ですが、
ある日、あるお邸で名高い檜垣の巫女に霊が憑いて、恐ろしいお告げがあった時も、あの男は空耳を使って、手近な筆と墨でその巫女の恐ろしい顔を丁寧に写していたそうです。多分、霊の祟りも、あの男の目には子供だましのようにしか見えなかったのでしょう。
そんな男ですから、吉祥天を描く時は卑しい人形の顔を写し、不動明王を描く時は無頼漢の姿を模して、いろいろと不敬なことをしていましたが、それでも本人を責めると、「良秀が描いた神仏が、その良秀に罰を当てるなんて、聞いたことがない」と空言を吐いていました。これにはさすがの弟子たちも呆れ返り、中には未来の恐ろしさに急いで暇を取った者も少なくなかったようです。――一言で言えば、傲慢さが極まっていたと言えます。とにかく当時、天下で自分ほど偉い人間はいないと思っていた男です。
ですから、良秀がどれだけ絵の道で高みにいたかは言うまでもありません。もっともその絵さえも、あの男の筆使いや彩色は他の絵師とは全く違っていたので、仲の悪い絵師仲間からは山師だと言われる評判も多かったようです。その連中の話によると、昔の名匠の筆になった物は、板戸の梅の花が月夜に香ったり、屏風の大宮人が笛を吹く音が聞こえたりと、美しい噂が立っているものですが、良秀の絵になると、
いつも気味の悪い妙な評判ばかりが伝わります。例えば、あの男が龍蓋寺の門に描いた五趣生死の絵では、夜更けに門の下を通ると、天人のため息やすすり泣きの声が聞こえたと言います。中には死人の腐っていく臭いを嗅いだという者までいました。それから大殿様の命で描いた女房たちの似顔絵も、その絵に写された人間は三年と経たないうちに皆魂が抜けたような病気になり、死んだと言います。悪く言う者に言わせると、それが良秀の絵の邪道に落ちている何よりの証拠だそうです。
ですが、何分前にも申し上げた通り、横柄な男ですから、それがかえって良秀の大自慢で、大殿様が冗談で「お前はとにかく醜いものが好きなようだ」と仰った時も、あの年に似合わず赤い唇でにやりと気味悪く笑いながら、「そうでございます。
腕のない絵師には醜いものの美しさなどわかるはずがございません」と横柄に答えました。いかに日本一の絵師でも、よくも大殿様の前でそんな高言が吐けたものです。先ほど引き合いに出した弟子が、内々に師匠に「智羅永寿」というあだ名をつけて増長慢を批判していましたが、それも無理はありません。ご承知かもしれませんが、「智羅永寿」とは昔中国から渡ってきた天狗の名です。
しかし、この良秀でさえ――この何とも言いようのない、横柄な良秀でさえただ一つ人間らしい、情愛のあるところがありました。
というのも、良秀が一人娘の小女房をまるで気が狂ったように可愛がっていたからです。先ほど申し上げた通り、娘もとても優しく、親思いの女でしたが、あの男の子煩悩はそれにも劣らないものでした。何しろ娘の着る物や髪飾りのことになると、どこのお寺の寄付にもお金を出さなかったあの男が、金銭には惜しみなく整えてやるというのですから、嘘のような気がするではありませんか。
しかし、良秀が娘を可愛がるのは、ただ可愛がるだけで、良い婿を取ろうなどということは夢にも考えていません。それどころかあの娘に悪く言い寄る者がいたら、辻冠者を集めて暗闇で殴りつけるくらいの覚悟です。だから、あの娘が大殿様の声がかりで小女房になった時も、父親の方は大不服で、しばらくの間はごぜんに出ても不機嫌そうにしていました。大殿様が娘の美しさに惹かれて、親の反対も気にせずに召し上げたという噂は、大方そんな様子を見た人たちの当て推量から出たのでしょう。
もっとも、その噂は嘘であっても、子煩悩の一心から、良秀が娘の下げを祈っていたのは確かです。ある時、大殿様の命令で稚児文殊を描いた時も、寵愛の童の顔を写して見事な出来だったので、大殿様も大変満足し、「褒美には望みの物を取らせるぞ。遠慮なく望め。」と言ってくださいました。
すると良秀は畏まって、何を言うかと思いきや、
「どうか私の娘を下げてください。」と臆面もなく申し上げました。他の邸ならともかく、堀河の大殿様の側に仕えているのを、いくら可愛いからと言って、こんなに無礼なお願いをする者がどこにいるでしょう。これには大殿様も少し機嫌を損ねたようで、しばらくはただ黙って良秀の顔を見ておられましたが、やがて、
「それはならぬ。」と吐き出すようにおっしゃると、急にそのまま立ち去ってしまいました。こんなことが、前後四五回もあったでしょうか。今になって考えてみると、大殿様の良秀を見る目は、その都度だんだんと冷たくなっていたようです。それにつけても、娘の方は父親の身を案じていたのでしょうか、曹司に下っている時などは、よく袿の袖を噛んでしくしく泣いていました。そこで大殿様が良秀の娘に熱を上げていたという噂が、ますます広がるようになったのでしょう。中には地獄変の屏風の由来も、実は娘が大殿様の意に従わなかったからだと言う者もいますが、元々そんなことがあるはずはありません。
私たちの目から見ると、大殿様が良秀の娘を下げなかったのは、全く娘の身の上を哀れんだからで、あのように頑固な親の元に戻すよりは御邸に置いて、何の不自由もなく暮らさせてやろうという考えだったようです。それはもちろん、気立ての優しい娘を贔屓にしていたのは間違いありませんが、色を好んだというのは、恐らく牽強附会の説でしょう。いや、全くの嘘と言った方がよいくらいです。
それはさておき、こうして娘のことで良秀の評判が悪くなってきた時です。どう思われたのか、大殿様は突然良秀を召し出し、地獄変の屏風を描くようにと命じられました。
六
地獄変の屏風と聞くと、私はあの恐ろしい光景が目の前に浮かんでくるような気がします。
同じ地獄変でも、良秀の描いたものは他の絵師の作品とは全く違います。一帖の屏風の片隅に小さく十王とその眷属の姿が描かれ、あとは一面に紅蓮の猛火が剣山や刀樹を焼き尽くす勢いで渦を巻いています。唐風の衣装をまとった冥官たちが点々と黄や藍を散りばめていますが、どこを見ても烈々とした火焔の色が広がり、その中をまるで卍のように、墨を飛ばした黒煙と金粉を煽った火の粉が舞い狂っています。
これだけでも随分と人の目を驚かせる筆勢ですが、その上に業火に焼かれて苦しむ罪人たちが描かれています。良秀はこの罪人たちの中に、上は貴族から下は乞食まで、あらゆる身分の人々を描きました。束帯を着た殿上人、五つ衣を着た女性、念仏を唱える僧侶、高足駄を履いた侍学生、細長を着た子供、幣を持った陰陽師――数え上げればきりがありません。そういった様々な人々が、火と煙の中で、牛頭馬頭の獄卒に虐げられ、大風に吹き散らされる落葉のように四方八方へ逃げ惑っています。
鋼叉に髪を絡められて、蜘蛛のように手足を縮めている女性は、神巫の類でしょうか。手矛に胸を刺し通されて、蝙蝠のように逆さまになっている男は、生受領か何かでしょう。そのほか、鉄の鞭で打たれる者、千曳の岩石に押される者、怪鳥の嘴にかけられる者、毒龍の顎に噛まれる者――、様々な責め苦が罪人の数に応じて描かれています。
中でも特に目立つのは、まるで獣の牙のような刀樹の頂きをかすめて中空から落ちてくる一輛の牛車です。その車の簾の中には、女御や更衣にも匹敵するほど華やかに装った女性が、長い黒髪を炎の中になびかせて、白い首を反らせながら悶え苦しんでいます。その姿と燃え盛る牛車の様子は、どれも炎熱地獄の責め苦を表現しています。広い画面の恐ろしさが、この一人の人物に集約されていると言えるでしょう。それを見る者の耳には、自然と物凄い叫喚の声が聞こえてきそうなほど、入神の出来映えです。
ああ、これです、これを描くために、あの恐ろしい出来事が起こったのです。そうでなければ、良秀でもこんなに生々しい地獄の苦しみを描けたでしょうか。彼はこの屏風の絵を仕上げる代わりに、命さえも捨てるような無惨な目に遭いました。この絵の地獄は、良秀自身がいつか堕ちていく地獄だったのです。
私はあの珍しい地獄変の屏風のことをお話しするのを急いだあまり、話の順序を逆にしてしまったかもしれません。しかし、これからはまた続けて、大殿様から地獄絵を描けと命じられた良秀の話に移りましょう。
良秀はその後、五六ヶ月間まったく御邸にも伺わず、屏風の絵にばかり集中していました。あれほど子煩悩だったのに、絵を描き始めると娘の顔すら見たくなくなるというのですから、不思議なものです。以前お話しした弟子によれば、良秀は仕事に取りかかるとまるで狐に憑かれたようになるらしいのです。実際、当時の噂では、良秀が画道で名を成したのは福徳の大神に祈誓をかけたからで、その証拠に彼が絵を描いているところをこっそり覗くと、必ず霊狐の姿が前後左右に群れをなしているのが見えると言う人もいました。それほどですから、いざ画筆を取るとなると、その絵を描き上げること以外、何もかも忘れてしまうのでしょう。昼も夜も一部屋に閉じこもり、滅多に日の光を見ることもありませんでした。特に地獄変の屏風を描いたときには、その夢中ぶりが甚だしかったようです。
つまり、良秀は昼も蔀を下ろした部屋の中で、結燈台の火の下に秘密の絵の具を合わせたり、弟子たちにさまざまな衣装を着せて、その姿を一人ずつ丁寧に写したりしていました。それだけなら、地獄変の屏風を描かなくとも、絵を描いている時にはいつでもやっていたことです。実際、龍蓋寺の五趣生死の図を描いたときには、普通の人間なら目をそらすような往来の屍骸の前に悠々と腰を下ろし、半ば腐りかけた顔や手足を髪の毛一本違わずに写していたこともありました。
では、その甚だしい夢中になり方とは一体どういうことか、詳しいことは今お話しする時間がありませんが、主な話をお伝えしますと、良秀の弟子の一人が(これも前に話した弟子です)ある日絵の具を溶いていると、急に師匠がやってきて、
「少し昼寝をしようと思うが、最近は夢見が悪い」と言うのです。これは別に珍しいことではないので、弟子は手を休めずに、
「そうですか」と一通りの挨拶をしました。ところが、良秀はいつになく寂しそうな顔をして、
「昼寝をしている間中、枕元に座っていてほしい」と遠慮がちに頼みました。弟子はいつになく師匠が夢を気にするのは不思議だと思いましたが、それも別に大したことではないので、
「わかりました」と答えると、師匠はまだ心配そうに、
「すぐに奥へ来てくれ。後で他の弟子が来ても、俺が寝ているところには入れないように」と、ためらいながら言いつけました。奥というのは、良秀が絵を描く部屋で、その日も夜のように戸を閉め切った中にぼんやりと灯をともして、まだ焼筆で下絵だけが描かれた屏風がぐるりと立てかけてありました。さて、そこに行くと、良秀は肘を枕にして、まるで疲れ切った人間のようにすやすやと寝入ってしまいましたが、ものの半時も経たないうちに、枕元にいる弟子の耳に何とも言えない気味の悪い声が聞こえ始めました。
それが最初はただの声でしたが、しばらくすると次第に途切れ途切れの言葉になり、まるで溺れかけた人が水の中でうめくように、こんなことを言い始めました。
「なに、俺に来いと言うのか。――どこへ――どこへ来いと? 奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。――誰だ。そう言うお前は。――お前は誰だ――誰だと思ったら」
弟子は思わず絵の具を溶く手を止めて、おそるおそる師匠の顔を覗き見ると、皺だらけの顔が白くなり、大粒の汗をにじませながら、乾いた唇とまばらな歯の口を喘ぐように大きく開けていました。そしてその口の中で、糸で引っ張られているかのように目まぐるしく動くものがあり、それが師匠の舌だというのです。途切れ途切れの言葉はその舌から出てきていました。
「誰だと思ったら――うん、お前だな。俺もお前だろうと思っていた。なに、迎えに来たと? だから来い。奈落へ来い。奈落には――奈落には俺の娘が待っている。」
その時、弟子の目には、朦朧とした異形の影が屏風の表面をかすめてむらむらと下りてくるように見え、気味の悪い気持ちがしたそうです。もちろん弟子はすぐに良秀に手をかけて、力の限り揺り起こしましたが、師匠はまだ夢うつつに一人語りを続け、なかなか目を覚ます気配はありません。そこで弟子は思い切って、そばにあった筆洗の水を、ざぶりと師匠の顔に浴びせかけました。
「待っているから、この車に乗って来い――この車に乗って、奈落へ来い――」と言う言葉が同時に、喉を締められるような呻き声に変わったと思うと、やっと良秀は目を開いて、針で刺されたよりも慌ただしく、急にそこへ跳ね起きましたが、まだ夢の中の異類異形が、まぶたの後を去らないのでしょう。しばらくは恐ろしそうな目つきをして、やはり大きく口を開きながら、空を見つめていましたが、やがて我に返った様子で、
「もういいから、あちらへ行ってくれ」と、今度は冷たく言いつけるのです。弟子はこういう時に逆らうと、いつでも小言を言われるので、急いで師匠の部屋から出て行きましたが、まだ明るい外の日の光を見た時には、まるで自分が悪夢から覚めたような、ほっとした気がしたとか言っていました。
しかしこれなどはまだ良い方で、その後一月ほど経ってから、今度はまた別の弟子が、わざわざ奥へ呼ばれると、良秀はやはり薄暗い油火の光の中で、絵筆を噛んでいましたが、いきなり弟子の方を向いて、
「ご苦労だが、また裸になってもらおうか。」と言うのです。これはその時までにも、どうかすると師匠が言い付けたことなので、弟子はすぐに衣類を脱いで、赤裸になりますと、良秀は妙に顔をしかめながら、
「私は鎖で縛られた人間が見たいと思うのだが、気の毒でもしばらくの間、私の言う通りになっていてくれないか。」と、その癖少しも気の毒らしい様子など見せずに、冷然と言いました。元来この弟子は画筆などを握るよりも、刀でも持った方が良さそうな、たくましい若者でしたが、これにはさすがに驚いたと見えて、後々までその時の話をすると、「これは師匠が気が狂って、私を殺すのではないかと思いました」と繰り返し言っていました。しかし、良秀の方では、相手のぐずぐずしているのが、じれったくなってきたのでしょう。どこから出したのか、細い鉄の鎖をざらざらと手繰り寄せながら、ほとんど飛びつくような勢いで、弟子の背中に乗りかかると、否応なしにそのまま両腕をねじ上げて、ぐるぐる巻きにしてしまいました。そしてまたその鎖の端を無造作にぐいと引っ張ったのでたまりません。弟子の体は勢いよく床を鳴らしながら、ごろりとそこに横倒しに倒れてしまったのです。
9.
その時の弟子の様子は、まるで酒樽を転がしたようでした。何しろ手足がひどく折り曲げられていて、動けるのは首だけです。その上、肥った体中の血が鎖で循環を止められて、顔も胴も赤くなっていました。しかし、良秀にはそれも気にならないようで、その酒樽のような体の周りをあちこち回りながら、同じような絵を何枚も描いていました。その間、縛られている弟子がどれほど苦しかったかは、言うまでもありません。
もし何も起こらなければ、この苦しみはまだ続いたでしょう。幸い(あるいは不幸に)しばらくすると、部屋の隅の壺の陰から、まるで黒い油のようなものが細くうねりながら流れ出してきました。それは初めは粘り気のあるもののようにゆっくり動いていましたが、だんだん滑らかに動き始め、やがて光りながら鼻の先まで流れてきました。弟子は思わず息を引いて「蛇が――蛇が」と叫びました。その時は本当に体中の血が一気に凍るかと思ったそうですが、それも無理はありません。蛇は実際、もう少しで鎖が食い込んでいる首の肉にその冷たい舌を触れようとしていたのです。この思いもよらない出来事には、いくら良秀でも驚いたのでしょう。慌てて画筆を投げ捨て、素早く蛇の尾をつかんで逆さに吊り下げました。蛇は吊り下げられながらも頭を上げて自分の体に巻きつきましたが、どうしても良秀の手には届きません。
「おのれのせいで、一筆書き損じたぞ」と良秀は忌々しそうに呟き、蛇を部屋の隅の壺に投げ入れました。それから不承不承に弟子の体にかかっている鎖を解いてくれましたが、弟子に優しい言葉一つかけませんでした。弟子が蛇に噛まれるよりも、絵の一筆を誤ったことが腹立たしかったのでしょう。後で聞くと、この蛇も姿を写すために良秀が飼っていたのだそうです。
これだけでも、良秀の狂気じみた様子がわかるでしょう。しかし、最後にもう一つ、今度はまだ十三四歳の弟子が、地獄変の屏風のために命も危うい恐ろしい目に遭いました。その弟子は色白で女のような男でしたが、ある夜、何気なく師匠の部屋に呼ばれました。良秀は燈台の火の下で手のひらに何やら生臭い肉をのせながら、見慣れない一羽の鳥を養っていました。大きさは普通の猫ほどで、耳のように突き出た羽毛や琥珀色の大きな円い目が、どこか猫に似ていました。
元来、良秀という男は、自分のしていることに口出しされるのが大嫌いでした。先述した蛇の話もそうですが、自分の部屋に何があるか、弟子たちに一切教えませんでした。そのため、時には机の上に髑髏が載っていたり、時には銀の椀や蒔絵の高坏が並んでいたりと、その時描いている絵によって思いもよらない物が出てきました。しかし、普段はこういった品物をどこにしまっておくのか、誰にもわからなかったそうです。良秀が福徳の大神の助けを受けているという噂も、一部はこういったことがあったからでしょう。
ある日、弟子は机の上の異様な鳥も、地獄変の屏風を描くのに必要なのだろうと思いながら、師匠の前に畏まって「何かご用でしょうか」と恭しく尋ねました。すると、良秀はまるでそれが聞こえないかのように、赤い唇を舐めながら、
「どうだ。よく馴れているではないか。」と、鳥の方に顎を向けました。
「これは何というものでしょうか。私は見たことがありませんが。」
弟子がそう言いながら、その耳のある猫のような鳥を気味悪そうにじろじろ見ていると、良秀はいつものように嘲笑する調子で、
「何、見たことがない? 都育ちの人間はそれだから困る。これは二三日前に鞍馬の猟師がくれた耳木兎という鳥だ。ただ、こんなに馴れているのは少ないだろう。」
そう言いながら良秀は、ゆっくりと手を上げて、ちょうど餌を食べ終わった耳木兎の背中の毛をそっと撫で上げました。すると、その途端、鳥は急に鋭い声で短く鳴いたかと思うと、忽ち机の上から飛び上がり、両脚の爪を張りながら、いきなり弟子の顔に飛びかかりました。もしその時、弟子が袖をかざして慌てて顔を隠さなかったら、きっと傷の一つや二つは負わされていたでしょう。弟子は「あっ」と言いながら袖を振って追い払おうとしましたが、耳木兎は蓋にかかって嘴を鳴らしながら、再び一突き。弟子は師匠の前も忘れて、立っては防ぎ、座っては追い、狭い部屋の中をあちらこちらと逃げ回りました。怪鳥も高く低く飛びながら、隙あらばまっしぐらに目を目がけて飛んできます。その度にばさばさと翼を鳴らす音が、落葉の匂いや滝の水しぶき、あるいは猿酒の匂いともいえる何か怪しげな雰囲気を漂わせ、非常に気味が悪かったそうです。弟子も、薄暗い油火の光さえ朧げな月明かりのように感じられ、師匠の部屋がそのまま遠い山奥の妖気に閉ざされた谷のように心細く感じたと言います。
しかし、弟子が恐ろしかったのは、耳木兎に襲われることだけではありません。それよりも一層身の毛がよだつのは、師匠の良秀がその騒ぎを冷然と眺めながら、紙を広げて筆を舐め、少年が異形な鳥に虐げられる凄まじい有様を描いていたことです。弟子はそれを一目見ると、言いようのない恐ろしさに襲われ、実際一時は師匠に殺されるのではないかと思ったと言います。
実際に師匠に殺されることも、全くないとは言えません。その晩、わざわざ弟子を呼び寄せたのも、実は耳木兎をけしかけて、弟子が逃げ回る様子を描こうという魂胆だったのです。ですから、弟子は師匠の様子を一目見るなり、思わず両袖に頭を隠しながら、自分でも何と言ったかわからないような悲鳴をあげ、部屋の隅の引き戸のところに縮こまってしまいました。
その拍子に、良秀も何やら慌てたような声をあげ、立ち上がったかと思うと、急に耳木兎の羽音が一層激しくなり、物が倒れる音や破れる音がけたたましく聞こえてきました。これには弟子も二度驚いて、思わず隠していた頭を上げて見ると、部屋の中はいつの間にか真っ暗になっていて、師匠が苛立たしそうに弟子たちを呼び立てる声が聞こえてきます。
やがて弟子の一人が遠くから返事をして、灯りをかざしながら急いでやって来ました。その煤臭い明かりで見ると、結燈台が倒れていて、床も畳も一面に油だらけになったところに、さっきの耳木兎が片方の翼だけを苦しそうにはためかせながら転げ回っているのです。良秀は机の向こうで半ば体を起こしたまま、呆然とした顔をして何やらブツブツとつぶやいていました。
それも無理はありません。あの耳木兎の体には、真っ黒な蛇が一匹、首から片方の翼にかけてきりきりと巻きついていたのです。おそらくこれは弟子が縮こまった拍子に、そこにあった壺をひっくり返して、その中の蛇が這い出したのを耳木兎が掴もうとしたために、こんな大騒ぎが始まったのでしょう。二人の弟子は互いに目を見合わせて、しばらくはただこの不思議な光景をぼんやり眺めていましたが、やがて師匠に黙礼をして、こそこそと部屋を引き下がってしまいました。蛇と耳木兎がその後どうなったか、それは誰も知りません。
こういった類のことは、他にもいくつもありました。前に言い忘れましたが、地獄変の屏風を描けという御沙汰があったのは秋の初めで、それ以来冬の末まで、良秀の弟子たちは常に師匠の怪しげな振る舞いに怯えていたのです。冬の末に良秀は屏風の絵で何かうまくいかないことがあったのでしょう、それまでより一層陰気になり、言葉も荒々しくなってきました。同時に、屏風の絵も下絵が八分通り出来上がったまま、さらに進む様子はありません。いや、どうかすると今まで描いた所さえ塗り消してしまいそうな気配なのです。
そのくせ、屏風の何がうまくいかないのか、それは誰にもわかりませんし、誰もわかろうともしませんでした。前のいろいろな出来事に懲りている弟子たちは、まるで虎や狼と同じ檻にいるような気持ちで、その後師匠の周りにはなるべく近づかないようにしていたからです。
従ってその間のことについては、特に取り立てて申し上げるほどの話もありません。もし無理に申し上げるとしたら、あの頑固な老人がなぜか妙に涙もろくなって、人がいないところでは時々一人で泣いていたという話くらいでしょう。特にある日、何かの用で弟子の一人が庭先に来たとき、廊下に立ってぼんやり春の近い空を眺めている師匠の目が涙でいっぱいになっていたそうです。弟子はそれを見ると、むしろこちらが恥ずかしいような気がして、黙ってこっそり引き返したとのことですが、五趣生死の図を描くために道端の屍骸さえ写したという傲慢なあの男が、屏風の絵が思うように描けないくらいのことで子供のように泣き出すなどというのは、随分異なものではありませんか。
ところが一方、良秀がこのように、まるで正気の人間とは思えないほど夢中になって屏風の絵を描いている中で、もう一方ではあの娘が、なぜかだんだん気鬱になって、私たちにさえ涙を堪えている様子が目に立つようになりました。それが元来愁顔の、色の白い、控えめな女だけに、こうなると何だか睫毛が重くなって、目の周りに隈がかかったような、余計寂しい気がするのでございます。初めはやれ父思いのせいだの、やれ恋煩いをしているからだの、いろいろ臆測をしましたが、中頃から、あれは大殿様が御意に従わせようとしていらっしゃるのだという評判が立ち始め、それからは誰も忘れたように、ぱったりあの娘の噂をしなくなりました。
丁度その頃のことです。ある夜、夜が更けた頃、私が一人で廊下を通りかかると、あの猿の良秀がいきなりどこからか飛んできて、私の袴の裾をしきりに引っ張るのです。確か、もう梅の香りでもしそうな、薄い月の光の差している、暖かい夜でしたが、その明かりでよく見てみると、猿は真っ白な歯をむき出しながら、鼻の先に皺を寄せて、気が狂わないばかりにけたたましく啼き立てているではありませんか。私は気味の悪いのが三分と、新しい袴を引っ張られる腹立たしさが七分とで、最初は猿を蹴飛ばして、そのまま通り過ぎようかとも思いましたが、また思い返してみると、以前この猿を折檻して、若殿様の不興を買った侍の例もあります。それに猿の振る舞いが、どうもただ事とは思えません。そこでとうとう私も思い切って、その引っ張る方へ五六間歩くともなく歩いていきました。
すると廊下が一曲りして、夜目にもうす白い池の水が枝ぶりのやさしい松の向こうに広々と見渡せる、ちょうどそこまで来た時のことです。どこか近くの部屋の中で人が争っているらしい気配が、慌ただしく、また妙にひっそりと私の耳を脅しました。あたりはどこも静まり返って、月明りとも靄ともつかないものの中で、魚の跳ねる音がする以外は、話し声一つ聞こえません。そこへこの物音ですから。私は思わず立ち止まって、もし狼藉者でもあったなら、目にもの見せてやろうと、そっとその遣戸の外へ、息をひそめながら身を寄せました。
所が、猿は私のやり方がまだるかったのでしょう。良秀はもどかしそうに、二、三度私の足の周りを駆け回ったかと思うと、まるで喉を絞められたような声で鳴きながら、いきなり私の肩のあたりへ一足飛びに飛び上がりました。私は思わず首を反らせて、その爪に引っかからないようにしましたが、猿はまた水干の袖にかじりついて、私の体から滑り落ちないようにしました。その拍子に、私は無意識に二、三歩よろめいて、その引き戸に後ろ向きに激しく体を打ちつけました。こうなってはもう一刻も躊躇している場合ではありません。私は急いで引き戸を開け放して、月明かりの届かない奥の方へ飛び込もうとしました。しかし、その時私の目を遮ったものは――いや、それよりももっと驚かされたのは、その部屋の中から弾かれたように駆け出そうとした女性でした。女性は出会い頭に危うく私にぶつかりそうになり、そのまま外へ転び出ましたが、なぜかそこに膝をついて、息を切らしながら私の顔を、何か恐ろしいものでも見るように、震えながら見上げているのです。
それが良秀の娘だったことは、わざわざ申し上げるまでもありません。しかし、その晩の彼女は、まるで別人のように生き生きと私の目に映りました。目は大きく輝き、頬も赤く燃えていました。そこに乱れた袴や袿が、いつもの幼さとは打って変わって艶やかさを添えています。これが本当にあの控え目な良秀の娘でしょうか。――私は引き戸に身を支えながら、この月明かりの中にいる美しい娘の姿を眺め、慌ただしく遠のいていくもう一人の足音を指さして、誰ですかと静かに目で尋ねました。
すると娘は唇を噛みながら、黙って首を振りました。その様子がなんとも悔しそうなのです。そこで私は身をかがめて、娘の耳に口をつけるようにして、今度は「誰ですか」と小声で尋ねました。しかし、娘はやはり首を振っただけで、何も返事をしません。それと同時に長い睫毛の先には涙がいっぱい溜まり、前よりも強く唇を噛みしめているのです。
愚かな私には、分かりすぎるほど分かっていること以外は、何一つ理解できません。だから、私は言葉のかけようも知らず、しばらくはただ、娘の胸の動悸に耳を澄ませるような気持ちで、じっとそこに立ち尽くしていました。これは一つには、なぜかこれ以上問いただすのが悪いような気がしたからでもあります。――
それがどのくらい続いたか、わかりません。しかし、やがて明け放した引き戸を閉めながら、少しは上気の冷めたらしい娘を見返って、「もう部屋にお帰りなさい」とできるだけ優しく言いました。そして私も、自分ながら何か見てはならないものを見たような、不安な気持ちに脅されて、誰にともなく恥ずかしい思いをしながら、そっと元来た方へ歩き出しました。ところが十歩と歩かないうちに、誰かがまた私の袴の裾を、後ろから恐る恐る引き止めるではありませんか。私は驚いて振り向きました。あなた方はそれが何だったと思いますか?
見ると、それは私の足元にあの猿の良秀が、人間のように両手をついて、黄金の鈴を鳴らしながら、何度も丁寧に頭を下げているのでした。
その晩の出来事があってから、半月ほど経ったある日のことです。良秀は突然お屋敷に参上し、大殿様に直接お目通りを願い出ました。身分の低い者ですが、日頃から特別にお気に召していたのでしょう。普段は誰にでも容易にお会いにならない大殿様が、その日も快く承知して、すぐに御前にお呼びになりました。
良秀はいつものように香染めの狩衣にしなびた烏帽子をかぶり、普段よりも一層気難しそうな顔をしながら、恭しく御前に平伏しました。そして、かすれた声でこう申しました。
「以前からご命令いただいていた地獄変の屏風ですが、私も日夜丹精をこめて筆を執り、その甲斐あって、ほぼ完成に近づいております。」
「それは目出度い。私も満足じゃ。」
しかし、大殿様の声には、何故か妙に力がなく、張り合いのない感じがありました。
「いえ、それが一向に目出度くはございません。」良秀は、やや腹立たしそうに目を伏せながら、「ほぼ完成しましたが、ただ一つ、今もって私には描けないところがございます。」
「何、描けないところがあるのか?」
「さようでございます。私は、見たものでなければ描けません。たとえ描けても、納得がいきません。それでは描けないのと同じことです。」
これを聞くと、大殿様の顔には嘲るような笑みが浮かびました。
「では地獄変の屏風を描こうとするなら、地獄を見なければならないな。」
「さようでございます。ですが、私は以前大火事があったときに、炎熱地獄の猛火にも匹敵する火の手を目の当たりにしました。「よじり不動」の火焔を描いたのも、実はその火事に遭ったからです。御前もあの絵をご存知でしょう。」
「しかし罪人はどうだ。獄卒を見たことがあるまいな。」大殿様はまるで良秀の言葉が耳に入らないように、こう畳みかけて尋ねました。
「私は鉄の鎖に縛られた者を見たことがあります。怪鳥に悩まされる者の姿も、詳しく写し取りました。ですから、罪人が苦しむ様子も知らないわけではありません。また獄卒は――」と良秀は気味悪く笑いながら、「獄卒は、夢うつつに何度も私の目に映りました。牛頭、馬頭、三面六臂の鬼の形が、音のない手を拍ち、声の出ない口を開いて、私を虐めに来るのは、ほぼ毎日毎夜のことと申してもよろしいでしょう。――私が描こうとして描けないのは、そのようなものではありません。」
これには大殿様もさすがに驚かれたのでしょう。しばらくはただ苛立たしげに良秀の顔を睨んでおられましたが、やがて眉を険しく動かしながら、
「では何が描けないというのだ。」と打ち捨てるようにおっしゃいました。
「私は屏風の真ん中に、檳榔毛の車が空から落ちてくるところを描こうと思っています。」良秀はそう言って、初めて鋭く大殿様の顔を見ました。あの男は絵のことになると気が狂ったようになると聞いていましたが、その時の目の輝きには確かにそんな恐ろしさがありました。
「その車の中には、一人の美しい女性が、猛火の中で黒髪を乱しながら悶え苦しんでいるのです。顔は煙にむせびながら、眉をひそめて、空を見上げているでしょう。手は下簾(したすだれ)を引きちぎって、降りかかる火の粉の雨を防ごうとしているかもしれません。そしてその周りには、怪しげな鷙鳥(しちょう)が十羽か二十羽か、嘴を鳴らして飛び回っているのです。――ああ、それが、その牛車の中の女性が、どうしても私には描けないのです。」
「それで――どうするのだ。」大殿様は何故か妙に嬉しそうな顔で、良秀を促しました。が、良秀は例の赤い唇を熱でも出たかのように震わせながら、夢を見ているかのような調子で、「それが私には描けないのです。」と、もう一度繰り返しましたが、突然噛みつくような勢いになって、「どうか檳榔毛の車を一輛、私の見ている前で火をつけていただきたいのです。そしてもしできるならば――」
大殿様は顔を暗くしたかと思うと、突然けたたましく笑い出しました。そしてその笑い声に息を詰まらせながら、「おお、すべてその方の言う通りにしてやろう。できるできないの議論は無益だ。」と言いました。
私はその言葉を聞くと、虫の知らせか、何となく恐ろしい気がしました。実際また大殿様の様子も、口の端には白い泡がたまっており、眉のあたりにはびくびくと電気が走っているようで、まるで良秀の狂気に染まったかのように見えました。それが少し沈黙すると、すぐにまた何かが爆発したかのように激しく笑い出し、「檳榔毛の車にも火をつけよう。そしてその中には美しい女性を一人、上等な装いをさせて乗せよう。炎と黒煙に攻められて、車の中で女性が悶え死ぬ――それを描こうと思いついたのは、さすが天下第一の絵師だ。褒めてやる。おお、褒めてやるぞ。」とおっしゃいました。
大殿様の言葉を聞くと、良秀は急に顔色を失って喘ぐように唇ばかり動かしていましたが、やがて体中の筋が緩んだように、べたりと畳に両手をついて、「ありがとうございます。」と、聞こえるか聞こえないか分からないほど低い声で、丁寧に礼を言いました。おそらく自分の考えていた恐ろしい計画が、大殿様の言葉とともにありありと目の前に浮かんできたからでしょう。私は一生の中でこの時だけは、良秀が気の毒な人間に思えました。
それから二、三日後の夜のことです。大殿様は約束通り、良秀を呼び出して、檳榔毛の車が燃える様子を間近で見せました。もっとも、これは堀河の御邸で行われたわけではありません。俗に「雪解の御所」と呼ばれる、大殿様の妹君がかつて住んでいた洛外の山荘で行われたのです。
この雪解の御所は長い間、誰も住んでいなかったため、広い庭も荒れ放題でした。この様子を見た者がいろいろと推測するのは無理もありません。ここで亡くなった妹君についても、様々な噂が立っていました。中には、月のない夜に、今でも妹君の赤い袴の姿が廊下を歩いているという話もありました。――それも無理はありません。昼間でも寂しいこの御所は、夜になると水音が一層陰気に響き、星明りに飛ぶ五位鷺も怪しい存在に見えるほど、不気味な場所でした。
その夜も月がなく、真っ暗な晩でしたが、大殿様は灯りのもとで、縁に近く座っていました。浅黄色の直衣に濃い紫の浮紋の指貫を身にまとい、白地の錦の縁を取った円座に高々とあぐらを組んでいました。その周りには側近たちが五、六人、恭しく並んでいました。その中で一人、特に目立ったのは、以前陸奥の戦いで人肉を食ったことがあるという強力な侍でした。彼は腹巻を着込み、太刀を腰に佩きながら、縁の下に厳しく構えていました。――その様子が夜風に揺れる灯りの中で、時に明るく、時に暗く見え、まるで夢うつつのように不気味に見えました。
さらに、庭に引き据えられた檳榔毛の車が、暗闇を覆うように存在し、牛はつけず、黒い轅を斜めにかけながら、金具が星のようにちらちらと光っていました。春とはいえ、何となく肌寒い感じがしました。車の中は青い簾で重く封じられており、中に何が入っているかは分かりません。その周りには仕丁たちが松明を手に持ち、煙が縁の方へ流れるのを気にしながら控えていました。
良秀は少し離れた縁の正面に跪いていました。香染めの狩衣に萎んだ烏帽子を被り、星空の重みに圧されたかのように、いつもより小さく見えました。その後ろにもう一人、同じような烏帽子と狩衣を着た者が蹲っていました。おそらく、彼の弟子の一人でしょう。二人とも薄暗がりの中に蹲っていたため、縁の下からは狩衣の色さえはっきりとは分かりませんでした。
時刻は真夜中に近づいていました。林の暗闇が静かに包み込み、一同の息を潜める中、かすかに夜風が渡る音が聞こえ、松明の煙が煤臭い匂いを運んできました。大殿様はしばらく黙ってこの不思議な景色をじっと眺めていましたが、やがて膝を進めて、
「良秀」と鋭く呼びかけました。
良秀は何か返事をしたようでしたが、私の耳にはただ唸るような声しか聞こえませんでした。
「良秀。今宵はお前の望み通り、車に火をかけて見せてやろう。」
大殿様はそう言って、側にいる者たちの方をちらりと見ました。その時、大殿様と側の者たちの間に意味ありげな微笑が交わされたようにも見えましたが、これは私の気のせいかもしれません。すると良秀は恐る恐る頭を上げて縁の上を仰ぎましたが、やはり何も言わずに控えていました。
「よく見よ。それは私が日頃乗る車だ。お前も覚えがあろう。これからその車に火をかけて、目の前に炎熱地獄を現出させるつもりだ。」
大殿様はまた言葉を止めて、側の者たちに目配せをしました。それから急に苦々しい調子で、
「その中には罪人の女房が一人、縛られたまま乗せてある。だから車に火をかけたら、必ずその女は肉を焼かれ、骨を焦がされて、四苦八苦の最期を遂げるだろう。お前が屏風を仕上げるには、またとない良い手本だ。雪のような肌が燃え爛れるのを見逃すな。黒髪が火の粉になって舞い上がる様もよく見ておけ。」
大殿様は三度口を噤みましたが、何を思ったのか、今度はただ肩を揺らして、声も立てずに笑いながら、
「末代までない見物だ。私もここで見物しよう。それ、簾を上げて、良秀に中の女を見せてやれ。」
その命令を聞くと、仕丁の一人が片手に松明を高くかざしながら、つかつかと車に近づき、片手を伸ばして簾をさらりと上げました。けたたましく燃える松明の光は、一瞬赤く揺らぎながら、狭い車内を鮮やかに照らしましたが、そこに鎖にかけられた女房がいました――ああ、誰が見違えるでしょう。きらびやかな刺繍のある桜の衣に滑らかな黒髪が艶やかに垂れ、うつむいた黄金の釵子も美しく輝いて見えましたが、身なりこそ違え、小造りな体つき、白い首筋、そしてあの寂しいくらい慎ましやかな横顔は、良秀の娘に違いありません。私は危うく叫び声を上げそうになりました。
その時です。私と向かい合っていた侍が慌ただしく身を起こし、柄頭を片手で抑えながら、きっと良秀の方を睨みました。それに驚いて眺めると、あの男はこの景色に半ば正気を失ったのでしょう。今まで蹲っていたのが急に飛び立つと、両手を前に伸ばしたまま、車の方へ思わず走りかかろうとしました。しかし、遠い影の中にいるので、顔の表情ははっきりと分かりません。しかしそれはほんの一瞬で、色を失った良秀の顔、いや、まるで何か目に見えない力が宙へ吊り上げたような良秀の姿が、薄暗がりの中に浮かび上がりました。娘を乗せた車が、この時、「火をかけよ」と言う大殿様の言葉と共に、仕丁たちが投げる松明の火を浴びて炎々と燃え上がったのです。
火は見る見るうちに、車の屋根や側面を包みました。庇に付いていた紫の流蘇が、風に煽られるようにさっとなびくと、その下から白い煙が渦を巻き上げ、簾や袖、棟の金物が一斉に砕け飛び、火の粉が雨のように舞い上がりました。その凄まじさといったら、とても言葉では表せません。
燃え上がる炎は、まるで太陽が地に落ちて天火が迸ったかのような烈々とした色をしていました。前に危うく叫びそうになった私も、今は完全に魂を抜かれ、ただ茫然と口を開けながら、この恐ろしい光景を見守るしかありませんでした。しかし、親の良秀は――
良秀のその時の顔つきは、今でも忘れられません。思わず車の方へ駆け寄ろうとした彼は、火が燃え上がると同時に足を止め、手を差し伸ばしたまま、食い入るような眼差しで車を包む炎と煙を見つめていました。満身に浴びた火の光で、皺だらけの醜い顔がよく見えました。その大きく見開いた目や引き歪めた唇、絶えず引きつっている頬の震えから、良秀の心に渦巻く恐れと悲しみ、驚きが歴然と顔に描かれていました。首を刎ねられる前の盗人や、十王の庁に引き出された罪人でも、あんなに苦しそうな顔をすることはないでしょう。
これにはさすがの強力の侍も、思わず顔色を変えて、大殿様の顔を恐る恐る仰ぎ見ました。しかし、大殿様は緊張した表情で時々不気味に笑いながら、目を離さずじっと車の方を見つめていらっしゃいました。そしてその車の中には――ああ、私はその時、その車にどんな娘の姿を見たか、それを詳しくお話しする勇気は到底ありません。煙に咽せんで仰向けた顔の白さ、炎に揺れる長い髪の美しさ、そして見る間に火に変わっていく桜の唐衣の美しさ――なんという惨たらしい光景だったでしょう。
特に夜風が一度吹き下ろして煙が向こうに靡いた時、赤い炎の中から浮かび上がり、髪を口に噛みながら縛めの鎖も切れそうなほど身悶えする様子は、地獄の業苦を目の当たりにしたかのようで、私を始め強力の侍まで身の毛がよだちました。
するとその夜風がまた一度、庭の木々の梢をさっと通り抜けました。誰もがその音を暗い空で聞いたかのように思った瞬間、突然何か黒いものが宙に飛びながら、御所の屋根から燃え盛る車の中へ飛び込んだのです。そして朱塗りのような袖格子が焼け落ちる中、反り返った娘の肩を抱いて、鋭い声を苦しそうに長く煙の外へ飛ばしました。続いてまた二声三声――私たちは思わず「あっ」と叫びました。
炎を背にして娘の肩にしがみついていたのは、堀河の御邸に繋がれていた、あの良秀と呼ばれる猿だったのです。猿がどのようにして御所まで忍び込んだかは誰にも分かりませんが、日頃可愛がってくれた娘だったからこそ、猿も一緒に火の中に入ったのでしょう。
しかし、猿の姿が見えたのはほんの一瞬でした。金色の火の粉が一斉に空に舞い上がったかと思うと、猿はもちろん娘の姿も黒煙の中に隠れてしまい、庭の真ん中にはただ一台の火の車が凄まじい音を立てながら燃え盛っているだけでした。いや、火の車というよりも、火の柱と言った方が、あの星空を突き抜ける恐ろしい火炎の様子にはふさわしいかもしれません。
その火の柱を前にして、凝り固まったように立っている良秀は――何とも不思議なことです。あのさっきまで地獄の責め苦に悩んでいたような良秀は、今は言いようのない輝きを、まるで恍惚とした法悦の輝きを、しわだらけな満面に浮かべながら、大殿様の前も忘れたのか、両腕をしっかり胸に組んで、佇んでいるではありませんか。それがどうもあの男の眼の中には、娘の悶え死ぬ様子が映っていないようなのです。ただ美しい火炎の色と、その中に苦しむ女の姿とが、限りなく心を喜ばせる――そういう景色に見えました。
しかも不思議なのは、何もあの男が一人娘の断末魔を嬉しそうに眺めていた、それだけではありません。その時の良秀には、なぜか人間とは思えない、夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳かさがありました。ですから不意の火の手に驚いて、鳴き騒ぎながら飛び回る数えきれない夜の鳥さえ、良秀の揉み帽子の周りには近づかなかったようです。おそらく無心の鳥の眼にも、あの男の頭の上に、円光のようにかかっている、不可思議な威厳が見えたのでしょう。
鳥でさえそうです。まして私たち仕丁までも、皆息をひそめながら、身の内も震えるばかり、異様な随喜の心に満ちて、まるで開眼の仏でも見るように、目も離さず、良秀を見つめました。空一面に鳴り渡る火の車と、それに魂を奪われて、立ちすくんでいる良秀と――何と荘厳で、何と歓喜に満ちていたことでしょう。しかし、その中でただ一人、縁側の上の大殿様だけは、まるで別人かと思われるほど、顔色も青ざめて、口元に泡をためながら、紫の指貫の膝を両手でしっかりと掴んで、ちょうど喉の渇いた獣のように喘いでいらっしゃいました。
その夜、雪解の御所で大殿様が車を焼いたことは、誰の口からともなく世間に漏れましたが、それについてはいろいろな批判がありました。まず第一に、なぜ大殿様が良秀の娘を焼き殺したのか――これは、かなわぬ恋の恨みからだという噂が一番多かったです。しかし、大殿様の思いは、全く車を焼き人を殺してまでも、屏風の絵を描かせようとする絵師の根性を懲らしめるつもりだったに違いありません。実際に私は、大殿様がそうおっしゃるのを聞いたことさえあります。
それから、あの良秀が、目の前で娘を焼き殺されながらも、屏風の絵を描きたいというその木石のような心が、やはり何かと非難されたようです。中にはあの男を罵って、絵のためには親子の情愛も忘れてしまう、人面獣心の曲者だなどと言う者もいました。あの横川の僧都様などは、こういう考えに賛成され、「いかに一芸一能に優れていようとも、人として五常を弁えなければ、地獄に堕ちるほかはない」とよくおっしゃっていました。
ところがその後、一月ほど経って、ついに地獄変の屏風が出来上がると、良秀は早速それを邸へ持って行き、恭しく大殿様のご覧に供えました。ちょうどその時は僧都様もおられましたが、屏風の絵を一目ご覧になると、さすがにあの一帖の天地に吹き荒れる火の嵐の恐ろしさに驚かれたのでしょう。それまでは苦い顔をされながら、良秀の方をじろじろ睨みつけていたのが、思わず膝を打って「よくやった」とおっしゃいました。この言葉を聞いて、大殿様が苦笑された時の様子も、未だに私は忘れません。
それ以来、あの男を悪く言う者は、少なくとも邸の中では、ほとんどいなくなりました。誰でもあの屏風を見る者は、いかに日頃良秀を憎く思っていても、不思議に厳かな気持ちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱を如実に感じるからでしょうか。
しかしそうなった時分には、良秀はもうこの世にいない人の数に入っていました。それも屏風が出来上がった次の夜に、自分の部屋の梁に縄をかけて、首をつって死んだのです。一人娘を先立てたあの男は、おそらく安閑として生き延びるのに耐えられなかったのでしょう。遺体は今でもあの男の家の跡に埋まっています。もっとも小さな標石は、その後何十年かの雨風にさらされて、とうの昔に誰の墓とも知れないように、苔むしているに違いありません。
――大正七年四月――
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