詩(土地・写真・忘却)
水写真
三匹の干からびたイヌの死骸が鉄条網に吊り下げられている
私は
薄目を開いて、
光なのか、霧なのか、白い
「右部分はかすれているんだ」
そうして、背後から友人の声が聞こえた
「ポンペイの悲劇詩人の家に行ったとき、イヌを象った床絵を見た
そこにはかすれた文字で“CAVE CANEM”とあった」
中央には腕だけが欠けた人骨がある
三日前に要介護認定を受けた母親のものだ、と
思った
ここに生きているものはなにもなく
足元で水音が反響している
川辺だろうか 地平線にうすい煙がたちのぼり、
生ぬるい風と腐臭
かつての黒く細い肢体のような
ねじ曲がった木々をくぐると、
下方に横たわる真っ白い肉山、
茶色い毛並みのイヌとまた黒いイヌとが
貪っている
黒いそれはヒトの手をL字型にして抱えている
甲虫の死骸のような瞳、
干からびていたのではなかったか
「私は、生きているものは撮らない」、と
言っていた友人は
若年性アルツハイマーに罹って
私のことを覚えていなかった
振り返ると
年老いた母親が残りの一匹を連れて
石造の霊廟らしきところへ登っていくのが見えた
また振り返ると
彼はシャッターを切っていた
無国籍地
翳る灯台の下にシロツメクサが
咲き乱れている国境を越えて
たどりついた近くからも
遠くからも聴こえてくる
声
岬には白波が打ちあがり暗い
海から老いた牛が駆けてくる
ような朝に
年若い修道女たちは
祈ることも
夢みることも
せず
ただきまった身振りだけを反芻する
溶岩からできた
土地に血の
流れる音が
石の壁の外からも内からも聴こえてくる
ぬれたシーツのむこうにある
割れた鏡
母の肖像
黒いローブを着ている
「私はこのところ毎日
草を刈っているんです
見目麗しい女の子たちと
いっしょに
だけど彼女たちは
もう笑うことがありません」
彼女たちは鳥の群れをみつめ
ひとりは甲高い声を上げ
ふたりはおしだまっている
やがて、雪がその影の
狭間に滑り込んで忘れ
られた土地に水が忘れ
射しその上忘れ
上を私は歩く忘れる
以下を参考。
《水写真》
W. Eugene SMITH, the series NEW MEXICO, 1947.
Sebastião SALGADO, Mali (A boy and trees) 1985.
Sebastião SALGADO, Crateus, Brazil, 1983, From the series Latin America 1977–1983.
藤原新也《ニンゲンは犬に食われるほど自由だ》, 〈メメント・モリ〉より, 1972.
藤原新也《あの人骨を見たとき、病院では死にたくないと思った。なぜなら、死は病ではないのですから》, 〈メメント・モリ〉より, 1972.
《無国籍地》
奈良原一高『ヨーロッパ・静止した時間 奈良原一高写真集』鹿島研究所出版会, 1967
奈良原一高『王国 Domains 沈黙の園・壁の中』ソノラマ写真選書 朝日ソノラマ, 1978
奈良原一高『人間の土地』リブラポート, 1987
奈良原一高『無国籍地 1954』クレオ, 2004
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