自由と束縛

結局、自由だけがある人生は本能だけに従って生きていくことと同義になるのだから、悪影響のある本能と恩恵をもたらす本能の二極化ではなく、中和といった形で痛みは伴う。痛みもあるが自由意志が自分の人生の証明にもなるのだから、疑う必要もなくなる。束縛という言葉には、あまりよろしくない背景がうっすらと浮かび、嫌悪するが全ては使い方かもしれない。スケジュールは束縛と言えば束縛だが、ダラダラしたいというダメな嫌な自分から自由になれる。損をしているようで実は得している奇妙な構造だ。作業力の統計を自動で採取してくれるオプションがあるが、スケジュールを組まないで一日かけて作業した日と、スケジュールをきちんと組んで作業したら、わずか1時間30分でスケジュールを組まないで一日中ダラダラと過ごした作業量を超えた。スケジュールなんて組んでドMなんだろうなーって観察していたが、実際にやってみると自分を律することが出来て、効率的に何事も取り組むことができる。スケジュール通りに動けた瞬間の自己肯定感の上昇は自分に打ち勝てたと嬉々として跳ね上がる気持ちになる。ただ、人間関係においてスケジュールするのは良くないと考えている。自分の行動を他人に強制させることを何かしらの恩恵を与えずに達成させようとするのは、理不尽だろう。他人には自由を与えるやり方が、論理的だと考える。このように、物事の論理性を担保する判断材料になるのは自由と束縛のどのカテゴリーなのかを判断することだ。試してみて、どちらが論理的に正しいかの判断を下すことが重要だと考える。

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