雑談しない力

画面の向こう側にいるトーク力全開のインフルエンサーや、持ち前の性格でゆったりとトークする雑談力が際立つ。自分が属するコミュニティーの中でも雑談ができる人間はヒエラルキーのトップに立つという仕組みになっているようだが、これから書き綴るのは雑談しない力というなんとも適当なタイトルだ。

雑談をしないことでなにが起こるのか?と考えることを出発点にすると、主にインターネットサーフィンやソシャゲ全般、隙間時間をボーッと空想に耽けていることだろう。多分だが「YOUTUBE」や「X(旧Twitter)」、「TWITCH」、「人気ソシャゲや人気PCゲーム」、この辺りに時間を投じていると想定している。それ以外のコンテンツを含むスマートフォンを使って時間を過ごしていることだろうが、雑談しないことによってこれらの一人で楽しめる娯楽の飽くなき追求を繰り返すことができる。私はこれらのコンテンツを自発的に禁止することによって、自分が有意義だと思えるコンテンツに時間を投じているわけだが、理由は述べよう。

意志で求めているのか、それとも脳が求めているのか。これは分かりにくい表現かも分からないが、意志とは「自分がやらないといけないこと」であり、脳とは「そんなの関係ないからこのアプリで気持ち良くなっちゃおうぜー!」というある種の中毒症状だ。意志は合理的に判断する機能だが、大衆が頻繁に使用するコンテンツは大衆の時間を搾取するために脳を中毒症状に陥れることで意志を超過する脳を生み出している。本来であれば意志が最重要決定機関であるはずが、アドレナリンがドバドバと放出するようにシステム設計されたアプリケーションに簡単に奴隷に成り下がってしまう脳が意志を殺す。

一人の時間を大切にして過ごすことは尊いことだが、インターネット産業に操られてしまっては元も子もない。私は一人の時間を自分だけの成長空間をデザインしている。それは読書をすることによって知的好奇心擽る幅広い知識を他人との比較なしに楽しめることは夢のような時間だ。言語学習をしている瞬間もスローライフを実感できる。自分が着実に成長していることを継続すればするほど感じ取れたり、分かりやすくデータ化してくれる現代は確実に成長していることを即座に理解することができる。

雑談をみんなが談笑している中で、無理に参加している場面はちらほらと出現するが、そんな時は雑談しない力を発揮すると無駄な時間は削減できる。人間は向き不向きある。才能で明るく振る舞える人間もいるし、人間との関わりを拒絶している頻度が多い人間もいる。無理に雑談をするより雑談しない力に頼って自分だけの空間をデザインすることで自分の心は明るく振る舞えるようになればいいじゃないか。それを他人に見せつけることが才能なら私はいらない。

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