よく偏食と言われる人の食のこだわりについて②【調味料編】

私はよく偏食と言われる。しかし、自分では偏食だとは思っていない。一体どの辺が偏食なのか教えて欲しい。こんなので偏食なんて言ったら本気の偏食家に失礼ではないか。こんなにわか偏食が偏食を名乗るなんて、プロ偏食の方々に恐れ多い。なので、自分的には偏食だとは認めていないが、偏食であるとそこそこの頻度で第三者から言われるので、自分なりの食のこだわりについて今回も書き出してみることにした。前回は幼少期の食べれなかったものを中心に書いたので、今回はどうにかすればギリ食べることができたものを書いていくつもりである。いわば創意工夫作品である。以下では、私の創意工夫作品について紹介する。

まず紹介するものは、ラーメンである。今でこそラーメンは種類によっては好きな食べ物であるといえるが、昔は全般的に苦手だった。何が苦手かというと、味のしない汁に浸った味のしない小麦粉をねりねりした上にさまざまな具材が混ぜ合わさり、おまけに謎の濃いとも薄いともいえない匂いと後味を放つ(今思えば出汁のことである)謎料理であるからだ。ちなみに、現在は味も出汁も香りも全てにおいて主張の激しく、かつ具も背脂とチャーシューぐらいしか入ってないような、シンプルかつ単純な味であるといえる本気の博多豚骨ラーメンは割と好きなものに該当する。味噌ラーメンも具材が多いのは気に入らないが、味が単純で主張もそこそこしてくれるのでまぁ許せる。(ちなみに味噌ラーメンの中でもすみれはめちゃくちゃ美味しいので、是非セブンイレブンに足を運んだ際は食べてみてほしい。店舗は北海道と横浜にあるらしいが、私はまだすみれ店舗童貞なので、本場のすみれはまだ食したことはない。しかしセブンイレブンに売っているカップラーメンのすみれは何百回と食べてきた。ゆえに、私はすみれ素人童貞であるといえる。早くすみれ童卒したいものだが、中々北海道や横浜は物理的距離の障害がある。しかし、最近江戸川橋にすみれの系列店舗である「さんとら」ができたようだ。味もすみれにかなり近いということで、個人的に気になっている。しかし、江戸川橋に行く用事がマジでない。今後も「じゃあ江戸川橋で待ち合わせね!」となるような予定が立つ見込みも一ミリもないので、私は多分一生すみれ素人童貞のまま死んでゆくのだろう。なので、私と一緒に江戸川橋までさんとらに行ってくれる人をわりと本気で募集している。だが、そんなにすみれヘビーユーザーなら、さっさと一人で江戸川橋に行かないのか?と思う方読者もいるかもしれない。念のためもう一度言っておくが、私はすみれ素人童貞なのだ。一人で本家にいざ出陣できるようなメンタルを素人童貞が持ち得ているとお思いだろうか?普通に度胸や行動力がないと考えるのが妥当である。優しい読者の方はその辺は察して頂けたら幸いである。)そして話を戻すと、その味のしない汁に浸ったねりねりした謎料理をどう食すか。そんな時、私は餃子にかける用のお酢がテーブルの上に醤油と肩を並べて並んでいるのが目に止まった。これをかければ、ラーメンの抱える課題「①味がしない謎料理感②微妙に香る匂いと後味」を解消できるのではないか思った。ラーメン屋経営に携わる方々全ての方にお詫び申し上げるが、私はこの出汁の香り・後味を消すことに尽力していた。完全なる偏見と固定概念だが、ラーメン屋が開店する際に一番力を入れているのが出汁(スープともいえる)であり、納得するまで試行錯誤を重ねているイメージがある。なので、そのような一番こだわっている部分を一瞬にしてなかったことにしてしまうのは非常に申し訳ないが、私がいかに美味しく食せるかの方が余裕で大事なので、出汁の香り・後味は消させていただいた。ちなみに、お酢の量に関して言うと大体1瓶半〜2瓶かける。なので最低でも1瓶は確実に消費するということになる。これはどういうことかというと、事前に店員さんが満タンにストックされたお酢瓶をテーブルの上に設置していたとしても、「元からお酢あんまり入っていませんでしたよ...?」というような顔をして「すみません、空なので新しいお酢お願いします」と言わなければならないということだ。1回目に関しては、店員さんもハッとしたような顔をして「只今お持ち致します」と言って新たに満タンに補充されたお酢瓶を持ってきてくれるのだ。しかし、満タンではなかったが現存量のお酢と一度目に呼んで満タンに補充してもらった実質1瓶分のお酢でも味を打ち消せないことが多々あるのだ。そういう時、2回目にどういう顔をして店員さんを呼べばいいのか問題が発生する。1回目まではいいものの、2回目となると店員さんの表情も変わる。「え?何コイツ。てか、コイツのラーメンのスープのかさやばくない?しかもスープの色変色してるじゃん。えっ、コイツまさかラーメンの中にお酢全部入れたの!?」みたいな顔をされる。そして、怪訝そうな表情で「少々おまちください...」とその場を逃げるように立ち去り、一度目の時より若干塩対応気味でお酢を補充した瓶を置いていくのである。お酢ラーメンビギナー時代は、このような対応をされるのがちょっと悲しかった。けれども時が経ち、今ではそこそこ慣れてきたので、何食わぬ顔でしれっと「空なのでお酢頂けますか?」と伝える。すると相手も一瞬、「あれ?さっきこの人のお酢補充したような...」という顔をするが、すぐに「少々お待ちください」と言い、新たに満タンに補充されたお酢瓶を持ってきてくれるのだ。ここで重要なのは、あたかも料理屋の中で日常的に行われるワンシーンの一つとして「しれっと感」を出すことが重要なのだ。お酢瓶の補充が甘かったなんていうのは日常的であるが、異常なスープのかさと妙に薄い色のスープのラーメンを目の前に、2瓶目のお酢の補充を要求する客のオーダーを受けるのは日常的でないといえる。ゆえに、いかに異常性を感じさせずにオーダーをすることが重要なのだ。

次に紹介する私が食べれないものはサラダである。サラダという大層な名前だが、実際草だ。私は動物ではないので草は食わない。何故人間の食卓で草が並ぶのだろう。草=その辺に生えてるものという認識なので、それが農家のおっちゃんが手間暇かけてビニールハウスで育てたものだとしても、草は草なのでその前提が覆ることはない。ただ、野生で生えてる草より綺麗で安全性もあるので食用として一般的に認知されてるだけの草なのだ。なぜ摘みたての草的なビジュアルのものを、私が食べなきゃいけないのか。私は公園でおままごとに参加している幼児でも、草を主食とする動物でもない。このような問題への対策として私が用意したのはドレッシングであった。ただドレッシングをかけるのではなく、ドレッシング瓶の容量3分の1以上をかけるのが重要なのだ。全ての草が萎んでしなしなにして、しっかり草がみえなくなるまで浸からせる。要は草を摘んできました感とダイレクトな草の味がなくなればいいのである。ドレッシングでスープ料理にしてしまえば、摘んできた草ではなく草を材料に使った調理された料理になるのだ。スープにしてしまえば、メインはドレッシングであるスープになるので、具である草もスープが絡み、スープ味の草的な食感の何かを食べることができる。しかも材料は草のみなのでかなりヘルシーであるといえる。美味しくてヘルシーなんて夢の料理である。それ以降、サラダ(ドレッシング多め)は私の好きな料理になった。

ちなみにこの創意工夫はコロッケにも適用された。コロッケはというと、衣の中に具材が包まれていることが気に食わなかった。これも以前の記事で書いたおにぎりの中にシャケ等の具材が包まれていることが気に食わなかったことと理由は同じなのだが、揚げた衣と中身の芋や肉を分けずに一緒に食すことが苦手であった。何故揚げた衣と芋や肉を一緒にしてしまったのだろう。一緒に食すぐらいなら味を打ち消したい。そのような思いから、かの名言「カオス料理が嫌いなら調味料で打ち消せばいいじゃない」が生まれたのだ。(ちなみにこれは今私が思いついた某国女王の名言のオマージュである。パクリというと聞こえが悪いので、オマージュと記しておく。)その名言の通り、私はブルドックソースを用いり、コロッケの頭が見えるか見えないかレベルまで、コロッケを浸らせた。もはやコロッケが具材のソーススープである。こうすることで、揚げた衣と芋や肉で構成された複合的な味はソースのみしか味として感じられない単一的な味になるのだ。こうして、私はコロッケというカオス料理を食すための知恵を手にいれた。

このような様々な調味料を駆使することで、私は食べられる物の幅が格段に増えた。調味料は魔法のアイテムであるといっても過言でもない。しかし、このような食べ方は公共の場では推奨できないので、私の創意工夫作品を見ることができるのは身内のみに限られる。なので、もしこのような創意工夫作品の制作を拝見した時は、多少なりとも心を開いてるんだなぁと思っていただければ幸いである。

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