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飛行第四聯隊歌 (陸軍戸山学校軍楽隊)。

伊藤隆一指揮、陸軍戸山学校軍楽隊による歌唱・伴奏による「飛行第四聯隊歌」。近藤思川作詞、佐藤禎治作曲とありますが、通常軍歌のレコードは作者名が伏せられる事が多いので、これは異例の扱いに思えます。さて此の飛行第四聯隊は、遠く大正8年に福岡県の太刀洗飛行場が完成したのと同時に芦屋にて編成された、日本でも古くから存在した歴史ある部隊でした。太刀洗飛行場は東洋一の空軍基地と言ってもよく、西日本屈指の防空拠点でありました。日華事変最中の昭和13年に飛行第四戦隊と名を改めて、一度は台湾南部へと主力を移しましたが、再び内地に戻った後は山口県小月に移動しました。戦争後半に於いては、北九州の軍需工場攻撃に飛来するB29に迎撃を行い、戦闘攻撃機“屠龍”を駆って強大なアメリカ空軍に対して損害を与え、終戦の日まで奮戦する事になるのです🔥。

「飛行第四聯隊歌」は、当時盛んに書かれた部隊歌の一つです。作詞の近藤思川(1883〜?)は九州在住の文人、作曲者佐藤禎治も同じく地元福岡県の音楽家であり「八女市市歌」をはじめとして校歌も多く手掛け、郷土に於ける音楽普及に貢献しました。北九州一帯の空を担う防人達への期待が込められた此の歌は五番からなる陽旋法のメロディ、トランペットによる短い前奏で歌に入り、殆ど間奏を挟まずに最後まで歌いきります。SP盤の収録時間を考えた場合、どうしても1〜2コーラスは端折らないと入らないのですが、当時は陸軍の権威性が高かった事もあり全番歌う事が義務化されていたのでしょう。此の頃の陸軍戦闘機は勿論「隼」や「疾風」ではなく、足も遅い複葉機が主力。海軍は九〇式艦上戦闘機、そして陸軍は九一戦闘機が其々戦間期の日本の大空を護ったのでした😀。

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