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いとしの君よ (羽衣歌子)。

羽衣歌子の歌う「いとしの君よ」。柳水巴=西條八十の作詞、編曲は伴奏楽団の指揮者であるウェイン・コールマン自身かと思います。大正末から昭和の極初期、日本には欧米から最新の楽曲とそのレコード楽譜が輸入され、ハイカラ層に愛好されていました。アメリカからはジャズやハワイアンが入り、ヨーロッパからはタンゴやシャンソン、少し後にルンバなども加わって、当時の日本音楽界は早くも百花繚乱の様相を呈していたのです。欧州、特にフランスではレビューの女王と呼ばれたミスタンゲットや、アメリカから来たジョセヒン・ベーカーが人気を競っており、その熱気は日本にも伝わりました。彼女らパリで活躍するスター達に曲を提供していた作曲家の一人が、スペイン出身のサンチェス・ホセ・パディラ。「いとしの君よ」は、その彼の書いた「バレンシア」が原曲でした🎼。

此の歌も間を置かずに輸入され、大正14年にはなんと陸軍戸山学校軍楽隊が伴奏して公共の電波に乗りました。。続いて二村定一や三輪慎一らが歌い、似た感じの「バルセロナ」(T・エバンス曲)と並んで愛唱されたのです。羽衣歌子盤は、当時来日してフロリダ・ダンスホールで吹いていたウェイン・コールマン楽団が伴奏を担当。トランペット、サックス、バンジョーらの陽気なサウンドをバックに、羽衣は豊潤でふくよかな歌声を聴かせます。メロディは明るく六拍子のマーチで、タイトル通り陽気なスペイン娘を連想させる一曲でした。羽衣歌子は青森県出身で、後年は殆ど「女給の唄」程度しか知られていないのですが、一方で此の歌や「ティティナ」「マオリの月」などバタ臭い曲も多数残しました。A面は葭町勝太郎の「ギッチョンチョン」で、レコは昭和6年初夏の発売です😀

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