見出し画像

儘になるよで (小野寺貞子)。

小野寺貞子の歌う「儘になるよで」。高橋掬太郎作詞、今井三郎作曲ですが、此の歌は元々音丸が昭和10年に歌った「君は満州」の歌詞を変えたものでした。当時は一軍とも云うべき黒盤でヒットした歌を替歌にして、再度二軍レーベルからリサイクルする事がよく行われました。例えば松平晃の「サーカスの唄」は、桂三千夫の「あの娘たずねて」に生まれ変わってリリースされており、それ等のレコードは今でもよく出て来る程です。さて此処で歌っている小野寺貞子とは、後年ポリドールで大活躍した青葉笙子の本名であり、昭和11年にコロムビアが主催した歌謡コンクールで課題曲「下田夜曲」を歌って優勝し、晴れて専属歌手となりました。彼女は仙台の由緒ある家の令嬢でありましたが、当時はまだ18歳。有望な新人として期待され「月の枯尾花」でデビューしました🎙️。

「儘になるよで」は原曲とほぼ同じ編曲。陽旋法の演歌風のメロディであり、バックには三味線が使用されていて音丸のバージョンが色濃く残っています。邦楽調の編曲で10代の小野寺が素直な感じで歌っているのもポイントで、後のポリドールでの活躍の際にその何処か年増風な歌声が生かされて行く事を思うと、その下地が早くから完成していた事が伺える録音だと言えますね。作曲者の今井三郎とは江口夜詩の事で、その名の由来は平安時代末期に木曾義仲と共に果てた武士今井四郎にあり、主にリーガルで使用しました。小野寺貞子は此処ではあまり売れず、作曲家の服部逸郎の誘いでポリドールの廉価盤のコロナに移籍。やがて黒盤に昇格して、上原敏と入れた「鴛鴦道中」が売れて人気歌手の仲間入りを果たしたのは有名な話。レコードは昭和11年夏に発売されています😀。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?