東京戀しや (勝太郎)。
勝太郎の歌う「東京戀しや」。西條八十作詞、中山晋平作曲で、まだ「島の娘」を吹き込む前に勝太郎姐さんが入れた一曲です。明治37年に新潟県新潟市に生まれ、幼くして料亭の養女になるなど早くも只ならぬ人生を歩み出します。小学校を出ると芸者の道に邁進する日々が始まり、地元の沼垂で清元や端唄など純邦楽の稽古に明け暮れました。二十歳を前にして地元では有名な芸妓となり、年季が明けた24歳の時に上京。葭町の検番のお世話になって以降も勝太郎は御座敷稼業の傍ら、純邦楽の修行を続けており、また売れっ子芸者としても多くの贔屓客を得たのです。その一人が文学教授で詩人の西條八十、隅田川を行く屋形船の中で耳にした勝太郎の吟じる「佐渡おけさ」を聴き、これを大絶賛。レコード会社からもオファーが来て、先ずはオデオンに「槍錆」などを入れました🎙️。
昭和6年にビクター入りし、暫く「替歌さのさ」や「赤城おけさ」などを歌っておりましたが、専属一年目過ぎに録音したのが此の「東京戀しや」です。作曲は多くの新民謡や流行歌を書いた中山晋平で、陰旋法の淑やかなメロディで書かれており、作詞は勿論西條八十。既に「東京行進曲」と云うホームランを放ったコンビの楽曲だけに、その出来は保証付でした。端唄調ですが伴奏は和洋合奏であり、三味線の他にピアノ、またバイオリン、ギターなどの弦楽器がキレのある響きを聴かせております。西條の歌詞がまた素晴らしく、一番では銀座の街を女優に似た人の後影が出て来たり、二番では大川端の春の光景、三番ではお馴染みの浅草が登場。結びの🎵泣いて数える鐘の音…と云う歌詞はとても幻想的に思えました。このA面こそ四家文子の「銀座の柳」で、昭和7年初夏の発売です😀。
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