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泪のタンゴ (松平晃)。

もうじき今年の秋も終わりを告げ、肌寒い季節に移り変わらんとするこの頃。そんな晩秋の夜が似合う曲と言えば、私は躊躇なく松平晃の歌う「泪のタンゴ」を挙げます。奥山靉作詞、服部良一作曲による此の憂いに満ちた一曲は、和製タンゴの傑作であると同時に、コロムビアに移籍してメジャーな人気を獲始めた服部良一の欠かせないナンバーでした。昭和4年頃にはダンスホールのバンドマンとして最初のレコーディングを地元関西のコッカレコードで経験し、そして24歳の若さで西宮市に在ったタイヘイレコードに入社。バタ臭い歌もそうでない歌も器用にこなして音楽の勉強を続け、東京から変名録音に来る歌手達と交流を結んで人脈を広げていました。昭和8年に上京してニットーレコード入りし、更に3年後の昭和11年にコロムビアに招かれて辣腕を振るう事になるのでした🎼。

「泪のタンゴ」は二番構成で、作詞はジャズソングを手掛けていた奥山靉が担当しています。彼の本職は医者でして、職務上欧米の言語に明るかった事からコロムビアに出入りし、淡谷のり子の「思い出のカプリ」等を書きました。松平晃は「サーカスの唄」「急げ幌馬車」等数多の大ヒット曲を放っていた人気歌手であり、従って期待の篭った一曲となりました。針を下ろすとハバネラの重いリズム、咽ぶ様なバイオリンのカデンツァが暗く肌寒い夜半の窓辺を思わせる沈んだ前奏。松平の嘆きを噛み締める様な切切とした歌声が、恋人との過ぎ去った昔を偲ばせます。楽器の使い方も見事で、後奏に現れるギターやアコーディオン、カスタネットの音色が印象的でした。有名になったのは裏面の淡谷のり子の「別れのブルース」でしたが、此の「泪のタンゴ」も悲哀の名歌と申せましょう😀。

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