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鹿児島小原良節。

昭和9年、日本の流行歌はかつて無い程の百花繚乱の賑わいを呈しており、二世歌手の歌うジャズソングも流行れば、或いは時局に迎合した大陸歌謡も大ヒット。更に人気を誇ったのが、人気芸者歌手らによる「ハァ小唄」や、或いは「◯◯音頭」に「◯◯小唄」と言った邦楽調流行歌だ。特にビクターから出た勝太郎と三島一声の「東京音頭」や、市丸の「天龍下れば」が爆発的に大ヒット。対するポリドールが送り出したのが、新橋喜代三の歌う「鹿児島小原良節」で、これまた売り上げを伸ばして行き、双方の綺麗所の人気上昇も相まって双方嬉しい悲鳴を上げていた。此の「小原良節」は鹿児島の民謡として有名で、古くは既に江戸時代前半期に歌われていたという。また此の歌のリズムを前奏に応用していたのが、先に書いた「東京音頭」で、思わぬ相乗効果を生んだ様にも見える。

「鹿児島小原良節」は、曲に関しては著作権がないので早速他社もカバー盤をリリース。此処に挙げたのは日東レコードからデビューした、若き芸者歌手の美ち奴が歌うバージョンであり、うち一番など半分は原曲の歌詞を流用し、残りが新たに書き下ろされたもので計6番構成。サビの部分では他のバージョン同様に番事にお囃子が入り、賑やかに決めている。この時の美ち奴は何とまだ17歳であり、残っている写真を見るとあどけなさが見えるものの、歌声は艶めかしくて二十歳前には思えない。その彼女にレッスンしていたのが、遥々関西から上京したばかりの服部良一であり、此の歌のアレンジも担当した。間奏でワンコーラスの空伴奏では、サックスが少し音階を崩したりと遊び心が現れているではないか。尚、美ち奴は此の歌を長津彌(義司)の編曲で、太陽レコードでも録音した。

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