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第二師団凱旋歌 (陸軍戸山学校軍楽隊)。

伊藤隆一指揮、陸軍戸山学校軍楽隊歌唱及び伴奏による「第二師団凱旋歌」。土井晩翠作詞、陸軍軍楽隊作曲で、この第二師団とは当時仙台に本部が置かれていた陸軍歩兵師団の一つです。元々は仙台鎮台として創設されましたが、近代化に伴い帝国陸軍の古豪師団として明治21年5月に編成され、その陣容は4個歩兵連隊から構成されており、専ら東北地方南部出身者が充てられました。歴史ある師団として日清日露の両戦争で活躍し、後者の戦いでは第一軍に属してロシア軍相手に激戦を繰り広げます。満州事変では再び同地の戦闘に出動し、奉天北大営攻略に参加。戦火が収まってしばらくは引き続き満州に駐箚しておりましたが、程なく再編成と人員補充を兼ねて帰国する事になります。満州事変での一連の戦いは日本有利に進み、凱旋した各陸軍師団は華やかな大歓迎を受けました🎌。

「第二師団凱旋歌」は彼等の帰国を祝うべく書かれ、全四番から成る作詞は御当地仙台在住の詩人である土井晩翠が手掛けました。彼は此の少し前にも「日本陸軍の歌」を作詞しており、恐らくはそれが縁となって引き受けたものと思われます。指揮は辻順治の後任である伊藤隆一が担当し、昭和7年から9年初頭まで陸軍軍楽隊隊長の任にありました。針を下ろす勇壮なトランペットと打楽器のファンファーレ、短い前奏の後で合唱に入ります。著作権は切れておりますので、一番を此処に掲載させて頂きます🎼。

♬凱旋、凱旋、誉の凱旋
 山より海より、深くして
 岩は山より、尚かたし
 第二師団の、○○使命
 凱歌を挙げて、今入る
 万歳、万歳、ああ我が勇士

陽旋法の元気溌剌とした天晴れな歌と伴奏、何一つ憂のない華々しいこの曲には大日本帝国絶頂期の栄光が垣間見え、そして最後の完全勝利が堂々と歌われているのです。その後の終わりの見えない戦争、日華事変や太平洋戦争での序盤の勝利では敵国を屈服させる事は出来ず、真の意味の凱旋を見ることはありませんでした。そして第二師団も再び戦地へと赴き、ジャワ攻略戦やガダルカナルの戦いに投入されて大損害を被ります。その後再編成されて東南アジア方面へ移動し、幾つかの作戦を経て現地で終戦を迎えました💬。


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