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酋長の娘 (大阪富田屋喜久治)。

全く日本の猛暑が収まりません。今年は梅雨も大した事はなく、7月は延々晴天にて酷暑の毎日。漸くお盆も近づきやっと遊べるかと思いきや、突然台風が狙い撃ち。都心ではスコール同然の天気で、此処は本当に東京かと思う次第です。そんな日本にも一世紀前は、正真正銘の南国が国内にありました。グアム島以外のミクロネシア、トラックやパラオ諸島などで、第一次大戦後にベルサイユ条約によって日本の信託統治領となったのです。その後日本人の入植や企業の進出が行われましたが、被支配層である現地住民との関係は終始至って良好でありました。これらは『内南洋』と呼ばれて、その後四半世紀に及んで平和な時代が続くのですが、太平洋戦争半ば以降は米軍との最前線となり空襲や艦砲射撃により大損害を被り、サイパン島玉砕などの多くの悲劇を生み出す事になります😢。

さて此の『酋長の娘』はそんな内南洋に住む娘さんを唄っており、演歌師の石田一松が作歌しました。と言っても既に大正時代後期に原曲が存在したとあり、これが関西で流行っていたので石田が手を加えたとも言われています。昭和5年初頭に邦楽を出し始めた日本ポリドールで吹き込む運びとなり、唄うは大阪の茶屋町南地の富田屋の芸者喜久治でした。全五番の歌詞で、伴奏は笛、三味線、鐘、太鼓等で、2分余りの短いメロディを間奏抜きですっ飛ばします。ポリドール初の大ヒット曲となって、喜久治姐さんの歌声は全国区に響きました。御座敷ソングの定番曲となり、末永く人々に愛唱されて定着し、また昭和後期になっても映画やアニメの宴会シーン等で挿入歌に用いられたので、戦後世代の人でも一度は耳にした事があるでしょう。レコードは昭和5年夏に発売されました😀。

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