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歴史事典アーカイブ:閃きをあなたに

歴史学の独立研究者が運営しています。専門家の研究書等を用いて、歴史のより確かな知識と魅力をしっかり紹介します。ウェブ上のコスパよい歴史事典アーカイブの構築を目指しています。月額5…
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#中世

(定期購読)教皇ボニファティウス8世

 教皇ボニファティウス 8 世は中世のローマ教皇(1235ー1303)。在位は1294 ー1303年。国家と教会の関係をめぐって、フランス国王フィリップ4世と激しく対立し、拿捕された挙げ句に憤死した。  グレゴリウス7世やインノケンティウス3世とともに、中世の教皇至上主義の代表的な教皇の一人として知られる。この記事では、その生涯と歴史的な重要性を説明する。 ボニファティウス8世の生涯  ボニファティウス8世はローマの名門貴族出身である。本名はベネデット・ガエタニ。ボローニ

(定期購読) 藤原彰子:藤原家の天下と宮廷生活

 藤原彰子は平安中期の中宮で皇太后(988―1074)。父は藤原道長。一条天皇の中宮の時期には、才色兼備で知られ、紫式部や和泉式部らの優れた女房を従えた。藤原道長の実権掌握に必要不可欠な役割を果たした。よって、藤原彰子がいなければ、藤原氏は全盛期を迎えられず、歴史は大きく変わっていたかもしれない。同時に、彰子自身も主だった政治的主体の一人となった。 藤原彰子の生涯:出自と家系  藤原彰子は京都で貴族の家庭に生まれた。父は藤原道長である。母は左大臣の源雅信(みなもとのまさの