北魏で確立した宗教の成立過程

問題

北魏では,太武帝の保護を受け,その後の中国で広く信仰される宗教が確立した。その宗教の名称とその特徴,およびその確立の過程について60字以内で説明しなさい。

配点: 4点 東京大学(2013)

採点基準

① 当時の道教について

1. 道教と答えられていれば +1点
2. 老荘思想・神仙思想を基にした思想であること、あるいは多神教・民間信仰であることに触れていること +1点

② 道教の確立過程

1. 寇謙之が教団を設立したことに触れていれば +1点
2. 「夷狄は統治者になれない」という考えをもつ儒学に対抗するため太武帝が国教としたこと、あるいは現世利益を追求しない仏教の価値観と対立したことに触れていれば +1点

③ その他

・上記以外の説明は加点対象外とします
 ・「五斗米道」について記述しても加点はしない
 ・現在の道教について説明していても加点はしない
・史実と異なった事項を記述している場合は、都度 -1点

解説

そもそも道教とは

源流は後漢時代の張角の太平道から成り、五斗米道などのイズムをもとに道教が作られた。そのころは不老不死・金銭的な豊かさ・家族愛などが中心の現世利益要素が強い宗教であったが、北魏の国教となるころには道家の思想(老荘思想)にアミニズム・神仙思想などを取り入れて発展した。その結果、自然法則が人為的な力よりも上位にあり、人間の知恵を超えた、世界を支配する根本原理と考える一大宗教となった。

道教が国教になるまで

北魏の太武帝は鮮卑族であり、漢民族ではなかった。当時の儒学は漢民族しか天子(国を統治できる器を持つもの)になれないとされていたため、儒学を国教にすることは太武帝にとっては都合が悪かった。そのため、対抗できる宗教として道教を選んだ。ではなぜ仏教を国教としなかったのか?これにはいくつかの説があるが、一つが鮮卑族王朝に反乱を企てていた勢力は仏教寺院に武器を隠していたから、仏教徒を反乱因子とみなした。という説が有力である。そして道教と仏教は現世利益を追求するかどうかという点で真逆の思想になるので、道教を国教とした太武帝は仏教徒を弾圧する活動に出るようになった。

解答例

道教。老荘思想・神仙思想を取り入れ、現世利益を求めた。寇謙之が教団を作り、太武帝は仏教・儒学に対抗するため国教とした。(59)

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