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不義密通の罪と罰 〜光源氏の老いと死、そして子孫たちの運命は?〜

歴史No.1雑誌から抜粋された記事を、無料で全文を大公開!
今、話題を集めている大河ドラマ『光る君へ』の主人公・紫式部による名作『源氏物語』。計400人以上の人物が登場する壮大で複雑なストーリーです。
世界最古の長編小説ともいわれるこの物語について、最新・歴史研究レポートを届けます。
今回は、華麗なる女性遍歴を重ねた主人公・光源氏の老いと死、そしてその子孫たちの恋愛劇についてを徹底解説!
栄華の頂点を極めた光源氏の晩年を襲った不義密通の罪と罰とは・・・。
第一線で活躍する歴史研究者&歴史作家が、光源氏の人生の光と影に迫ります。

福家俊幸

ふくや としゆき/1962年、香川県生まれ。早稲田大学高等学院教諭、早稲田大学教育学部助教授を経て、現在は早稲田大学教育・総合科学学術院教授。著書に『紫式部日記の表現世界と方法』(武蔵野書院)、『紫式部 女房たちの宮廷生活』(平凡社)など多数。


栄華の頂点をきわめた光源氏の老いと死 

新たな妻の密通と
光源氏を襲う因果応報

 冷泉帝の即位にともない退した朱雀院は病気がちな日々を送っていたが、いよいよ出家の意志を固めた。この因縁浅からぬ兄の判断が光源氏の晩年に翳りをもたらす。朱雀院には後見のない女三の宮という娘がいて、自分が出家した後に、この娘がどうなるかを案じていた。そこで思案の結果、女三の宮を光源氏の許に降嫁させることにした。光源氏は固辞したが、藤壺の姪にあたることもあり、最終的には女三の宮を正妻として六条院に迎え入れる。そのことで、これまで六条院の中で、最も光源氏に愛され、他の妻達と理想的な関係を築いてきた紫の上は衝撃を受け、光源氏との関係にほころびが生じる。この後、紫の上は病気がちになり、仏教への思いを強めてゆく。

 一方で、光源氏もあまりに子供っぽく、意志が見えない、14歳の女三の宮に新婚早々失望していた。そんな彼女に早くから想いを寄せていた青年がいた。内大臣の息子柏木である。光源氏の妻となり、1度はあきらめたが、思いもかけぬことが起きた。六条院での蹴鞠の折りに、柏木は猫の紐(当時猫は貴重で紐につながれていた)が御簾に引っ掛かる偶然から、女三の宮の立ち姿を見てしまい、道ならぬ恋のとりことなった。女三の宮付きの小侍従という女房を介して思いを遂げるが、その後、柏木からの恋文を光源氏は発見し、すべてを知る。光源氏はかつて自分が犯した罪が因果応報として戻ってきたことに愕然とし、父桐壺院もすべてを知っていたのでは、とも思うのだった。

 柏木の子を妊娠した女三の宮は出産とともに出家した。また、すべてを光源氏に知られたことを悟り、柏木は罪の思いに苛まれ、病床に臥し亡くなった。

<コラム①>
【光源氏 2人の妻の運命】
紫の上

光源氏が想いを寄せる藤壺の姪にあたり、光源氏に強引に引き取られた。源氏の最初の正妻である葵の上の死後、正式に妻となり正妻扱いとなった。理想化された女性、源氏最愛の女性として描かれるが、朱雀院の娘である女三宮が新たに源氏の正妻として迎えられると精神の安定を失い、源氏に先立って病没する。

女三の宮
朱雀院(光源氏の兄)の娘で内親王。源氏の正妻として迎えられるが、過保護に育てられ子供っぽく未成熟な様子に源氏は失望する。柏木に一方的に思いを寄せられて関係をもち、不義の子薫を出産。不義の事実を知った源氏の皮肉めいた非難に耐え切れず、父朱雀院に頼んで出家。以後は仏にすがり晩年を送った。

描かれなかった
主人公・光源氏の死

 そのころ、紫の上の病状は悪化し、死を覚悟し、出家を願い出るが、紫の上を喪うことに耐えきれない光源氏は許すことができない。結局、出家せずに紫の上は亡くなる。光源氏は亡き妻を偲びながら、紫の上に仕えていた女房達とともに、手紙を焼くなど身辺整理しつつ、最期の日々を送った。やがて出家して亡くなったのだろう、ということが暗示されるが、物語は光源氏の死を描かない。「雲隠」という巻名だけで中身はない形で伝わっているが、これは読者に光源氏の死を想像させる作者紫式部のアイデアなのか、後世の人が加えたのか、説が分かれている。


光源氏の没後、不義の子らが繰り広げる
恋愛劇と浄土信仰の救済 

図版制作/グラフ

出生の秘密を知った
薫が求めた女性とは

 光源氏亡き後、柏木と女三の宮との間に生まれた薫と、今上帝の第3皇子で光源氏の孫の匂宮を軸に、物語は展開する。2人は幼いころからともに育ち、親友であるとともにお互いを認めるライバルでもあった。生まれつき良い香りを発する薫に対して、匂宮は工夫を凝らした薫物を装束に焚きしめることで対抗していた。薫も匂宮も、そうした香りに関わるあだ名である。この2人が宇治を舞台に恋のさやあてを展開する。

 宇治には、八宮という皇族が大君と中君という2人の娘とともにひっそりと暮らしていた。八宮は光源氏の異母弟で、かつて冷泉帝と東宮を争って敗れ、この閑静な地に逃れて、俗聖と言われるような仏道探究の日々を送っていたのである。

 自らの出生に疑問を抱く薫は内省的な青年に成長し、道心を持ち続けていた。八宮と知り合った薫は足繁く宇治に通い、姫君達と知り合う。八宮に仕える弁という老女房は、薫にその出生の秘密を語る。

 八宮は薫に姫君達の後見を託して亡くなる。薫は聡明な大君に強く惹かれた。一方で、大君は妹中君の将来を案じ、薫には中君と結ばれることを願う。薫は大君の思いを知り、一計を案じる。自ら中君の寝所へ行くと見せかけて、匂宮を送ったのだ。匂宮と中君は結ばれたが、身分の高い匂宮は頻繁に宇治を訪れることはできない。薫に対する大君の不信感は極まり、嘆きの中で病に臥し亡くなってしまう。

薫と匂宮に愛された
浮舟が選んだ仏の道

 薫は大君の面影を追い、しばしば京に移り住んだ中君の許を訪れる。中君は、八宮が召人に産ませた異腹の妹・浮舟が常陸から上京していることを告げる。宇治で浮舟を見た薫はその面ざしが大君に生き写しであることに驚く。薫は強く惹かれ、浮舟の許に通うが、匂宮も浮舟の存在を知り、浮舟と逢瀬の時を持つ。

 2人の貴公子に愛された浮舟は、身の処し方に苦しみ宇治川に向かう。翌朝、川岸に気を失って倒れていた浮舟を横川の僧都一行が助け、浮舟は小野の妹尼の許に預けられる。浮舟は出家し、薫が使者として送った、弟の小君にも会おうとしない。それを聞いた薫は、誰かが浮舟を隠し置いているのではないかと疑う。愛執の世界から抜け出した浮舟とその世界に留まり続ける薫を描いて、物語は閉じられている。

<コラム②>
【匂宮と浮舟の不義】
『源氏物語』第3部の宇治十帖は、光源氏没後の子孫たちの物語となっている。都とともに主な物語の舞台となるのは宇治だった。光源氏の妻である女三宮と柏木の不義の子として生まれた薫は、かつて思いを寄せた大君の異母妹である浮舟を宇治にかくまうが、薫に対抗心を持つ匂宮は密かに宇治にまで出向き、薫のふりをして浮舟に近づき関係を持つ。薫と匂宮の間で苦しむ浮舟は自殺を図るが、生き延びて出家する。やがて薫が迎えに来るが、浮舟はこれを拒絶して仏の道を目指す。

<コラム③>
浄土信仰と『源氏物語』】
平安時代中期以降、汚れたこの世界(穢土)を逃れて仏のおわす西方極楽浄土に往生することを願う浄土信仰が盛んになり、『源氏物語』にもその影響がうかがえる。第1部は光源氏が不義の子をもうける「罪」を描き、第2部は源氏の妻が不義の子を産み、源氏がそれを育てるという「罰」を描き、そして第3部では源氏の死後、浮舟が浄土信仰にすがることで源氏らの罪を償う「贖」が描かれているとの見解もある。

<コラム④>
【中世の芸術 〜彫刻と絵巻物〜】
『阿弥陀如来像』

足元に蓮華を敷いて雲に乗り、極楽浄土からあらわれた阿弥陀如来の姿を描く。14世紀の制作とされ、浄土信仰を視覚化した代表的な作品のひとつ。

『餓鬼草紙』

飢えに苦しむ亡者となった餓鬼の世界を描く絵巻。この世を汚れた穢土として描き、仏の導きで極楽に往生することを願う浄土信仰を反映している。


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