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若者はみな哀しい

 (就活に苦労していた学生時代、僕の中には行き場のないモヤモヤした感情が渦巻いていました。そのころ、僕より一足先に「シューカツ」戦線を戦い抜いた知人・友人たちは、感受性が強すぎたのか、一様にメンタルを病み、「死にたい」ような気持ちに苛まれていた人も、少なからず存在していました。この文章ではその辺の事情はかなり誇張して書いていますが、若者が思わず死にたくなるような社会なんて間違っている、という怒りに駆られて書いたのが、この「若者はみな哀しい」です。数年前に書いたものなので、文章の拙さや下手な気負いばかりが目立ちますが、なるべく手直しせずに公開することにします)


 「死にたい」——そう口にする人たちが周りに増えていくのを横目で見ながら、僕は酒と本にまみれた、実に色気のない青春を送った。
 「世の中は何かおかしい」
 偉そうにそんな口をきいて、厭世家を気取ったりもした。それが、悪意に満ちたこの世界を渡って行くための、唯一の方法だった。
 冷ややかな夜気の立ち込める街を行き交う「社会人」たちの目は、どこかよどんでいる。まるでネオンの海を行き場もなく彷徨う魚みたいだ。
 そうやって笑う僕らもいずれ魚になる。それに気付いたときには、青春はもう下り坂に差し掛かっていた。

 「へぇ、君は本を読んで暗い気持ちになるのかい?」
 行きつけの古本屋の親父が、感心したように言った。
 「はぁ、確かにそうなります」
 「じゃあ君は偉いよ。しっかり本を読めている」
 暗い気持ちになることを褒められるなんて、人生で初めての経験だった。
 僕は戸惑った。
 「どうして僕が偉いんですか?」
 「簡単なことさ。みんな、暗い現実から目を背けるために本を読むからだよ」
 そんなものか、と思った。

 それから数か月後、僕は会社の内定式とかいうのに御呼ばれした。同席者は一人だけ。二人きりの寂しい式だったから、自然同僚になるべきその男とよく話すことになった。スーツがよく似合う好青年といった感じの彼は、同年代の僕の目から見ても、まぶしい存在だった。

 他愛もない世間話を交わしていると、偶然、お互い本好きであることがわかった。
 「どんなものを読まれるんですか」
 僕がそう尋ねると、彼は誰もが聞いたことのある流行作家の名を何人か挙げて、こう言った。
 「本はいいですね。『自分』の世界に浸ることができる」
 「……そうですね」
 ——嘘を言うな。それは『自分』の世界じゃない。そんなものは、「誰か」の見せる夢にしかすぎない。そのことに、何も疑いをさしはさまない生き方なんて、つまらないじゃないか!
 喉の奥まで出かかった言葉を飲み込んで、僕は張り付いたような笑顔を浮かべた。こんなことを言ったって、どうせ面倒くさい人と思われるだけのことだ。
 後のことは、あまり覚えていない。

 帰りの電車の中で、しみじみと、古本屋の親父が言ったことは間違っていなかった、と思った。嬉しそうに愛読書について語るあの男の目は、「魚の目」のように、どこか宙を向いていた。ああ、何れ僕もああいう目をした魚になるのだ。そうなったら、少しは気楽に世渡りができるようになるのだろうか。それとも僕だけが人間だ、「考える葦」なのだと、虚空に向かって叫び続けようか——僕は知っている。そうやって、無い意地を張り続けた者から先に「死にたい」と言い出すのだと。これが「美しい国、日本」の正体だ。なんて素晴らしい国だろう!
 ——せせら笑いたくなる衝動を抑えて、今日も僕は冷たい机に向かい、読みさしの本を開く。『ロシア文学史』と『神々の愛でし人』だ。

 専制のまかり通る世の中で「俺だけが人間だ、英雄なのだ!」と叫んだレールモントフは、齢26にして夭折した。社会の矛盾に父親を殺された21歳のガロアは、自分の本分である数学を捨てても、なおそれに立ち向かい、そして死んでいった。そろそろ僕も「なんて馬鹿な連中だ!」と、彼らをこき下ろせるような「分別」とかいうものを身に着けるべき年齢に達しつつあるのだが……。
 白状しよう。僕は彼らのことが羨ましくってたまらない。彼らのように、鮮烈に生き、鮮烈に死ねたならば、どんなにか良いことだろう。

 メナンドロス曰く「神々の愛でにし人は夭折す」と。では二十代も半ばに差し掛かって、のうのうと生き長らえている僕は、神様たちに愛されなかったのかな?——なんて、馬鹿なことを考えつつ、僕は本を閉じ、ベッドの上に身を横たえた。

 そういえば、昔友人のK君が気に入ってよく聞いていた洋楽の歌詞に、こういうのがあった。「ベッドの上で革命を夢見る」。
 そう、あれは確か社会の矛盾に怒りながら、何もできない自分自身を責める男の歌だった。そんな男が孤憤を紛らわすために出来た、たった一つのこと、それが「ベッドの上で革命を夢見る」こと——なんて馬鹿な奴だろう!
 古ぼけた天井を見上げた僕は、クックと笑った。
 そうだ、一つ僕も「革命」を夢見てやろう。暗い顔をしながら黙々と働き、「死にたい」と口にしてしまう僕の仲間たちが、明るい顔をして生きられる世の中が到来する夢を見よう。みんなが自分自身の理想を追い駆けることのできる時代が来る夢を……。

 暗闇の中で、僕は独り泣いた。

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