【美しく…ただ美しく… 〜三島由紀夫へ捧ぐ愛の詩〜】

昭和45年、11月25日。

ノーベル文学賞候補に上がる程の世界的名声を得ていた作家三島由紀夫が、自衛隊市ヶ谷駐屯地を占拠し蹶起を促す演説を打つも、バルコニーにて無念の割腹自決を遂げた。

しかし私の世代からすると、割腹自決した作家、と自決がまず先にあり、その自決した人物が作家であったという順序を経て記憶されるが為に、憂国の文士として頗る雄々しい姿でもって闊歩する情景が最初に眼に浮かぶ。
しかしながら生来そうでない事は調べればすぐ判明するが、かといって幻滅するわけでもなく、三島由紀夫が自身で死の直前までに完成させた知的でダンディズム溢れる三島像には、後世から窺いみても憧憬の念を禁じ得ない。
そこで三島がのめり込んだ226事件の反乱将校の栗原安秀の存在を交錯させる事で、割腹自決するまでの心情を追い、三島の美学に基づいた三島像の完成までを辿り、三島の美しさに対する衝動を浮き彫りにしていきたい。

時には大胆に仮説を織り交ぜながら…


三島は幼少時より終生自らの体が弱い事にコンプレックスを抱き続け、自決前までに肉体を鍛え上げる事で言語と肉体のバランスを取り克服したと自称していたが、実際にはその肉体は全てが虚構であった。
もっと言えば彼の本質に行動者たる英雄的素養というものは一切存在していなかった。
そしてそれを一番知り、恐れ、拒み続け、抵抗したのが三島自身であったのは運命の皮肉であろう。

三島のエッセーや有名な東大全共闘との対話を目にすると極めて歯切れの良いダンディズム溢れる三島の姿を目にする事が出来る。
誰もが魅了される語り口と存在感は他者をすべて脇役に追いやり、美意識溢れる一個のカリスマがそこに降臨する。
しかしそんな三島の内面はただただ空虚であった。
彼には類稀なる知性と教養、内なる熱き衝動が常に湧き上がっていた…そしてそれは心からの叫びであった事は否定しない。
ただ彼には現実が見え過ぎていた。
彼の知性は肉体の限界を見据え、いわゆる雄々しき衝動をがんじがらめに捕らえ封じ込めていた。
そしてそれは三島の肉体から這い出でる事はないのだ。
それゆえ彼の純朴なるロマンティックな焚けき衝動はなんら肉体と結びつく事はなく、それを繋ぎ留めているのは虚飾に彩られた理性という名の装飾に過ぎなかったのだ。

もう一度言う。
三島の本能には肉体的発露に基づく本能というものは存在していなかった。
しかしながら言語的な本能は多分に備わっていた。
そこに悲劇はある。
ある時を境に三島は肉体的本能に根差した肉体的行動に憧れ夢想した。
本能よりも理性、行動よりも思考の寵児が、である。
言語的本能では肉体は自由には動かない。
三島はまるで気体を圧縮して固体にまで凝固する様な異常さでもって一種の擬態した肉体的本能を思考によって創りあげ、擬似肉体的行動とでも言おうものを理性で植え付けた。
しかしその内面をいくら掘り下げても本当の意味での肉体的衝動という本能は見当たらないのだ。
だから三島は絶望した。
しかしそれでも三島というカリスマを演じ、演じながら没頭し虚像が本物になると信じあらがった。
それが例え幻想であっても現実に変えるために…
一言で言えば彼は純粋の人であった。

かたや栗原安秀は行動の人であった。
彼が内から湧き上がる衝動、それは密接に行動へ繋がっていた。
やると言ったら必ずやる、やるやるの栗原と渾名されるように彼の行動は肉体的衝動が先走り噴出し肉体を動かした。
彼には何ら思想はない。
しかし本人は知らない。
彼は226事件において君側の奸を討つという大義を掲げクーデターを決行した。
そしてその赤心は紛れもなく本物であった。
だからこそアジテーターとして周囲を巻き込み煽動が出来た。
しかしその思考は肉体に侵された、もっと言えば肉体的行動の道具でしかなかった。
彼の肉体は探していたのだ。
自分の肉体的衝動を行動に移す何かを。
そしてそれが昭和維新のイデオロギーであった事が、その後の彼を運命づけた。
つまり革命思想に侵されて軍事行動に移したのではなく、肉体が理性を凌駕して思考を麻痺させコントロールしたのだ。
それ程までに彼の肉体的本能は飢えていた…
そして彼もまた純粋の人であった。

三島はある日、自分という人間を知った。
そこから憑かれたように非業の死を遂げた人に惹かれ研究した。
大塩平八郎。吉田松陰。西郷隆盛。加屋霽堅。磯部浅一。
成否を恐れず自分の心の赴くままに立ち向かい、死を従容として受け容れる。
彼らに共通して浮かび上がる美学に殉じたその姿を三島はただ美しいと感じ、憧れた。
そして自分もそうありたいと誓った。

そこから三島は体を鍛え肉体と言語の超越者ならんと奮闘した。
しかしながらそれは望み得ない願いであった。
いつしか三島は半身を求めた。
自分に無い、何かを。
そう栗原安秀のような自分とは正反対の肉体を。
そして出会った。
森田必勝という肉体の権化のような男に。
三島は自分自身へ森田の肉体的本能を寄生させ歪な完成をみた。

三島は足りないものを全て補った。
そして1970年11月25日。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にて統監を人質にして籠城し、バルコニーから自衛隊決起の訴えを叫び…叫んだあと失敗を確信し割腹自決した。
享年45歳。

三島は果たして満足であったであろうか。
最期は志を遮られ無念な死を遂げた。
しかしそれは彼の本望ではなかったか。
刃が自らの肉体を傷つけ血塗れになる光景に酔いしれ、死を迎える状況に甘美な想いを抱き、残酷なまでの現実に快感すら感じる。
およそ理性的ではなく思考に対する裏切りとでも言うような、この馬鹿げた肉体的行動に三島の肉体的衝動は覚醒し、遂に肉体的本能は目覚めた…
と、三島は思ったであろう。
彼は首を落とされる瞬間、心の中で嗤った。


三島の評論は色々世の中に出回っている。
そしてどの著者も主張するのが、今までの三島研究本は三島を何も分かってない、だ。
だから今回の主張もその一つに過ぎず異論は認める。
ただ私は私なりに三島を解釈し、私なりに三島という人を美しく描いてみたかった。

美しく…ただ美しく…

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