ジョン万次郎に惚れた夜「ジョン万次郎TERAKOYA」(2018.6.9)

今回の歴史TERAKOYAの主人公は、
ジョン万次郎。

「なんかよく知らないけど、
漂流して帰ってきた人だよね」

そんなふわっとしたイメージが
完全に覆された夜になった。

ジョン万がアメリカから帰国したのは、
ペリー来航の2年前。

当時はまだ、外国に行った者は
死罪になる時代だった。

しかし彼は、琉球の役人、
薩摩藩主・島津斉彬、
長崎の幕府役人すべてに
頭の良さを驚嘆され、
この国に必要な人間と言わしめた。

さらに、やっとの思いで故郷・土佐に帰り、
母と再会したのも束の間、
5日後には藩校の教授を命ぜられる。

貧しい漁村に生まれた14歳の少年が、
なぜ10年余りでここまでになれたのか?

それは、彼には人を惹きつける
高いコミュ力と
度胸と場を読む力があったから。

無人島に漂着した彼は、
仲間4人とともに
アメリカの捕鯨船に助けられる。

捕鯨船の乗組員は、
一攫千金を狙う「海のヤクザ」。

そんな荒々しい集団の船長に気に入られ、
養子にまでなったのだ。

アメリカに到着した彼は、
16歳で小学校からスタートし、
19歳には航海専門学校を首席で卒業、
捕鯨船に乗り、海の男として生きる選択をする。

そして、若くして船長に推されるまでの
実力と人望を得るまでに成長する。

だが、日本への帰国の夢は捨てていなかった。

時は1849年。
彼は、49’sの一人として
ゴールドラッシュに参加、
船を買う資金を稼ぎ出す。

船の名前は「アドベンチャー号」。

捕鯨船から降り、
ホノルルにとどまっていた仲間を連れ、
ついに帰国を果たす。

夢と「冒険」と仲間。
まるで『ワンピース』の世界じゃないか。

帰国後、ペリー来航で混乱する幕府トップの前で、開国の必要性を堂々とプレゼン。

彼を気に入った老中・阿部正弘によって
幕府直属の役人に抜擢される。

そして、通訳や未来の「幕末の志士」たちを
教える先生として活躍し、
明治に入り、東大教授にまで上り詰める。

が、息子として受け入れてくれた船長と
21年振りにアメリカで再開してまもなく、
43歳で引退してしまう。

余生というには若すぎる。

彼のアメリカでの応援者であり、
新聞社のトップだったデーモン牧師は
彼に対する日本の待遇が低すぎると述べている。

しかし、彼は夢を捨てていなかった。
引退後、捕鯨の会社を立ち上げたのだ。

彼の心は海にあった。

暴れ狂うクジラとの格闘、
その激しさを制した達成感。

コミュ力と能力の高さで、
請われるままに活躍せざるを得なかった。

でも、彼には政治への野心はなかった。

船長への恩、アメリカへの恩を返すために
日本の開国に尽力したあとは、
「捕鯨船の船乗りとしての夢」
を純粋に追いかけたかったのではないだろうか。

人を惹きつける高いコミュ力と能力、
でも野心はなく、純粋に夢を追う人。

そんなジョン万に惚れてしまったよ。

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