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本当に90分でわかった!「90分でわかるフランスの歴史TERAKOYA」(2020.1.11)

レキシズルきっての世界史プレゼンター公望(きんもち)による
90分でわかる世界の国々シリーズ第三弾
ロシア、アメリカに続き今回はフランス!

フランスといえば、なんかオシャレで美食の国
お高くとまってプライド高いといったイメージがある。
そしてドイツとすごく仲が悪い。

フランスの歴史をたどると、ちゃんと根拠があるらしい。
ここでは特に「プライドの高さ」「ドイツとの仲の悪さ」
のルーツをレポしていきたい。

まずは、このシリーズではお馴染みの一覧

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各国の人がどの民族なのか。
ゲルマン人:ヨーロッパの北に住む喧嘩の強いマッチョな人たち。
      金髪で目が青い
ノルマン人:世界で一番大きいカラダを持つ民族。バイキングのイメージ
ラテン人:南ヨーロッパ。黒髪、オリーブ色の目
スラブ人:東ヨーロッパ。ロシアは元々スラブ人の国
ケルト人:先住民族。ハロウィンもこの人たちの文化

ではフランスは?というと・・・ゲルマン+ラテンなのだそう。
そうなった理由を古代ローマの歴史から探っていこう。

▪︎”フランス”誕生!
黄色が全部、古代ローマ帝国。
栄えていたのは地中海沿岸で、北部にはほとんど人が住んでいなかった。

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巨大な古代ローマ帝国も栄枯盛衰、内輪揉めで東西に分裂。
これが西欧、東欧の区別の元になっている。
ちなみにその時、日本は古墳時代。

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さらに西ローマ帝国がグダグダになってくると
北に住むマッチョなゲルマン人たちが大挙して南下。
ここから「中世」がはじまる。

古代は神様のような絶対的な支配者が治める世界。
それが分裂した中世は「殺戮の時代」

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この画像のようにオシャレなイメージがあるのは
実は近世(1400〜1800年)で、中世は500〜1400年。

中世が始まった時にはヨーロッパはぐちゃぐちゃの
”スーパー野蛮人タイム” 略してSYT。

マッチョなゲルマン人が戦いあった末、フランク王国に統一。
それが今のフランス+ドイツ。

そこにめちゃくちゃ強い王様、カール大帝が現れる。
ローマ教皇は、名目上ではあるがローマ帝国の後継者として
彼に”大帝”を授ける。

しかし、フランク王国はまたもや東西に分裂。
西フランク=フランス、東フランク=ドイツ。
つまり、フランスとドイツは同じ親から生まれた兄弟なのだ。

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東フランクは古代ローマ時代、ほとんど人が住んでいなかった地域
西フランクは元々ラテン人が住んでいたところに
ゲルマン人が入ってきたので、
ドイツ=ゲルマン
フランス=ゲルマン+ラテン

フランク王国から
・西フランク王国→フランス王国→すったもんだあって→今のフランス
・東フランク王国→神聖ローマ帝国→すったもんだあって→今のドイツ
大雑把にいうと、こういうことになる。

▪︎暗黒の中世に誕生した”フランス人のプライド”
わたしたちは歴史が進む=文明も右肩上がりに発展する
と思いがちだが、さにあらず。
中世は「暗黒時代」と呼ばれ、どうしたらこうなる?くらい
後退した時代だ。

たとえば、これは古代の芸術。ものすごく緻密。

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それが中世になるとこうなる。

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なぜだ・・・

なので、中世が終わったあとを
”ルネサンス”=再生(古代文化の復興)というのである。

中世はカトリックに支配された時代。
当時のカトリックは超排他的で、他の宗教を認めないどころか、
カトリック以外のキリスト教も許さなかった。

聖書以外は全部嘘!というカトリックに対し
「聖書の神は堕落した天使だ!」という主張をしたグノーシス 派という
キリスト教の一派があった。これが「デビルマン」の元ネタだそうだ。

カトリックが支配した中世は
科学技術は衰退(数学は悪魔の学問とされた)
下水道とトイレがなくなり、道にウ◯チをしだす有様。
(古代ローマは上下水道完備)

この時、日本は平安時代。
日本の方がよほど文化が進んでいたと言える。

さて、中世のドイツはなぜ”神聖ローマ帝国”と名乗っていたか。

フランク王国が分裂した後、
ドイツ側にオットー1世というめちゃめちゃ強い王様が登場し、
ローマ教皇がローマ帝国の権限を与えたため、
神聖ローマ帝国と名乗った、というのが答え。

つまり、フランスは”ローマ帝国”という本家争いに負けたことになり、
これがフランスとドイツの骨肉の争いのきっかけとなった。

フランスは本家争いにも敗れ、
”神聖ローマ帝国”がゲルマン人の国だったのに対し、
自分たちはゲルマン人でもラテン人でもない・・・

「俺たちって、何なんだ・・・」
完全にアイデンティティー崩壊。

そこで彼らは開き直る。
「俺たちはフランス人だ!!!!」
「誰よりも気高く、美しいのだ!!!!」

これが「フランス=プライドが高い」の原点。
そして「ドイツゆるさねー!」もフランス人に深く刻まれた。


▪︎フランスといえば”あの少女” でも何した人なの?
フランスを語る上で、ある意味外せないのが
”オルレアンの少女”ことジャンヌダルク。

プレゼンターいわく”メンヘラ”。

ジャンヌダルクが登場するのは英仏百年戦争(1337〜1453)の時代。

初戦、フランスはイギリスにフルボッコ。
エドワード黒太子というめっちゃ強い人がいたためだ。

そんな時、あの少女がつぶやく「あたし、聞こえるの・・・」
フランスが勝利するという”神様の声”を聞いちゃったらしい。

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次第に周囲も信じ始め、国王のシャルル7世も便乗。
少女に1軍を与えたところ、勝利に次ぐ勝利。

が、ローマ教皇から
「神様の声が聞けるのはローマ教皇の特権だ!」
「だからあいつは悪魔だ!」と文句が入る。

そうなると、ヤンキーのメンツ争いにすぎないような戦争が
ヨーロッパ全土を巻き込んだ宗教戦争になる恐れが出てくる。

宗教戦争とは、宗教が原因で起こる戦争ではなく、
お互いを悪魔だと言い、最後の一人になるまで殺しあう
「宗教が原因でやめられなくなる戦争」なのだそうだ。

シャルル7世は考える。
「ジャンヌには死んでもらおう、イギリスに殺してもらえれば好都合」

結果、ジャンヌダルクは火あぶりの刑になるが、
キリスト教は人間の姿であの世に行くため、
悪魔とされたジャンヌは形の残らない殺され方をしたのだ。


▪︎中世を終わらせた”悪役ヒーロー”
宗教戦争が行き着くところまで行ってしまったのが
カトリックvsプロテスタントの三十年戦争(1618〜1648)。
拷問技術も発達するという、嬉しくない発展もとげている。

フランスはカトリックの国だが、なぜかプロテスタント側につく。

理由はただ一つ。
神聖ローマ帝国がカトリック側だったから。
徹底したドイツ嫌い。それがフランス。

参戦を決めた時、ある男が言う
「神聖ローマ帝国の消滅こそ我が国最大の国益
宗教なんてどうでもいいわ」

カトリックが支配した時代=中世の終わりを告げる象徴的な発言の主は
「三銃士」でおなじみ、黒衣の宰相ことリシュリュー枢機卿
ルイ13世の時代の総理大臣にあたる人物である。

彼が目指したのは「脱・ローマ教皇」
当時は国王の上にローマ教皇が絶対的な存在で君臨。
ローマ教皇に破門と言われたら、死ね!といわれたも同然。

その支配から抜け出し、
王は神から王権を授かったという「王権神授説」を唱えた。
今でいう中央集権国家で、現在でもフランスは最も中央集権が
進んだ国だそうだ。

リシュリューはバチカンの軍隊をボコボコに蹴散らす。
これはローマ教皇の力が衰えたことを示し、
三十年戦争をもって中世は終わりを迎える。

「朕は国家なり」
ルイ13世の息子であるルイ14世の言葉だ。

”王権神授”は本来周囲が言う言葉。
自分から言ってはいけないのに言っちゃってる。

最も華やかだったルイ14世の時代。
そこから2代後に起きるのがフランス革命だ。


▪︎フランス革命がおきた、まさかの理由
フランスといえばフランス革命
「ベルサイユのばら」で描かれたルイ16世の時代。

革命が起きた理由はざっくりいうと「悪ノリ」
え?それってどういうこと?

元々のきっかけは都市のお金持ちに対する不満で、
オラ達の議会さ開け〜という要望だった。

ところが暴徒と化した連中がバスティーユ牢獄を襲撃。
さらに民衆が乗ってきて、ルイやっちまおうぜ!となり、
ルイ16世と妻のマリーアントワネットがギロチンに。

ベルばらで太っちょでちんちくりんに描かれていたルイ16世は、
実は190㎝もあり、おバカさんキャラの原因は
いい人すぎたからだそう。
うーん、かわいそうな人だ・・・。

ちなみにフランス革命当時、議会で議長席から見て
右に国王派、左に反国王派が座っていたことが
右翼、左翼のルーツになっている。

▪︎今も続くフランスの強さとは
革命後に登場したのがナポ様ことナポレオン。
あれ?フランスは共和制になったのにナポレオンは皇帝だよね?

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フランスは革命のあと「俺も革命できるじゃん?」となり
3ヶ月に1回革命が起き、革命の英雄であるロベスピエールも
ギロチン行きになるという混乱ぶり。

そんな危ない国フランスを叩こうとフランス包囲網ができ、
世界中vsナポレオン、となったのがナポレオン戦争
すったもんだあってナポ様は島流しになり戦争は終結。

ナポレオン戦争後、講話会議がウィーンで開催される(ウイーン会議)。
敗戦国フランスをどうしようか、という話なのに、
なぜか主導権を握ったのはフランスの宰相タレーラン。

「外交は戦争と同じであり、戦争は外交の一手段である」
というのがフランス流。
殴り合いは弱いが口喧嘩で勝つ。プライドは高いがしたたか。
小村寿太郎も吉田茂もフランスの外交を学んだそうだ。

しかしフランス国内はグダグダ。
対してドイツは神聖ローマ帝国からプロイセンへと
近代への進化を遂げる。

そして歴史上何度目かの宿命の対決
フランスvsドイツの普仏戦争が始まる。

フランスを率いたのはナポレオンの甥っ子ナポレオン3世。
ところがこの人、めっちゃ弱い。なんと速攻で捕虜になっちゃう。
おじさんと全く同じ道をたどるなんて、歴史の喜劇。

勢いづいたドイツ(プロイセン)はパリを占領。
でもこれ、絶対やっちゃいけないことらしい。
国民の恨みを買い、戦争の落とし所がみつけられず泥沼になるから。
しかもプライドの高いフランスにやっちゃった。

ちなみに同じことをやってしまった国がある。
それが日本。プライドの高い中国に対し首都南京を占領してしまった。
未だに中国に恨まれる最大の理由がそこにある。

しかもドイツはベルサイユ宮殿の鏡の間で
ドイツ帝国の戴冠式までやってしまった。
フランスは骨の髄までドイツを憎んだ。

そして第一次世界大戦。
ドイツはめちゃめちゃに負ける。
講話会議の舞台はベルサイユ宮殿の鏡の間
ドイツから屈辱を受けたあの場所だ。
「お前らのやったこと覚えてる?」世界最大の嫌がらせ。

賠償金は1320億マルク=264兆円という天文学的金額。

そんな金額払えるわけない。チャラにしてしまえ!
と踏み倒したのがあの男。
そう、ヒットラーである。

そして始まったのが第二次世界大戦。
だが喧嘩に弱いフランス。わずか2ヶ月で敗戦。
とはいえフランス、負けてからが本番。

戦勝国に仲間入りし、きっちり大国の地位をキープ。
第二次大戦当時の大統領シャルル・ド・ゴールが残した名言が
「フランスは戦闘には負けたが、戦争には勝った」

”助演男優賞”のポジションで生き残り、
世界一強かった時代が全くないのに大国。

「フランスには色々あった
ナポレオン戦争、普仏戦争、二つの大戦
決していい時ばかりではなかったかもしれない
だが、フランスは常に美しかった」

それがフランスのメンタリティなのだ。

最後に映画会社勤務のプレゼンター公望が紹介した
フランスを知ることができる映画がこちら

リュックベンソン監督「ジャンヌ・ダルク」

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アンジェイ・ワイダ監督「ダントン」
フランス革命の英雄で盟友であるロベスピエールに
断頭台に送られた悲劇の男の物語

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ヨーロッパでしたたかに生き延び、大国として存在感を放つフランス。
日本も学ぶべきところは多い。

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