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まじめ?ゲスい?愛されキャラ一休さん誕生までの物語「一休さん」(STEP30min① 2020.8.26)

二人のプレゼンターが30分で語る「STEP30min」。
新たに始まったレキシズルの企画、第一段は大学の同期でライバル関係(?)のアオッキーと宇内。

まずは、アオッキーによる「一休さん」。

一休さんといえばアニメでおなじみの
・とんちで大人の舌を巻かせる
・明るく元気な小僧
というイメージを持つ人も多いと思うが、実際は全然違う。

爽やかな明るい感じかと思いきや、陰気臭いじいさん。

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臨済宗の大徳寺派では禁止されている、肉・酒・女・男を食らう生臭坊主。

かなり挑戦的な人物で、
「狂ってる俺が嵐を起こし、
遊女屋や居酒屋に出入りしている
俺に禅で挑戦できる坊主がいるならかかってこい。
やれるもんならやってみな。」
という意味の漢詩を残している。

やばいエピソードは数知れず。

一休が、浄土真宗の中興の祖といわれている蓮如を訪ねた時のこと。
蓮如が留守だったため、しばし待つ一休。
念持仏という蓮如が大切にする”マイ念仏”を枕に昼寝してしまった。

蓮如も蓮如で怒ると思いきや
「俺の商売道具で何してるんだよ」と爆笑。
やばい人同士で気があったらしい。

他にも、経典に脱糞したり、
長太刀を帯刀した肖像画を描かせたり。

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生臭坊主っぷりを発揮していた。

◼︎「一休」になるまで〜修行の日々〜
ではここで、一休さんが生きた時代背景を見てみよう。

室町時代、将軍・足利義満の尽力で南北朝が統一。
時の天皇は後小松天皇だったが、この人こそ一休の父親。

天皇の息子がなぜ5歳で寺に預けられたのか?

それは母親(アニメ一休さんでも”母上様”でおなじみですね)が、南朝の家臣の娘だったから。
南北朝統一は北朝が主導権を握っていたために、遠ざけられたといわれている。

ちなみに一休の墓の管理者は宮内庁だそう。
子供の頃、ほのぼの観ていたアニメに、そんな複雑な事情が隠されていたとは・・・

さて、安国寺に預けられた一休だが、そこには名門貴族の次男三男が多く、身内自慢のいけすかないヤツも多かった。

根は真面目な一休、こんな生活はイヤだ!と別の寺に移る。

その西金寺(さいこんじ)で師匠・謙翁と出会い宗純という名をもらった一休。
仏教について深く研究したが、21歳の時に師匠が亡くなり、辛さのあまり淀川に身を投げようとしたそうな。

こんな、悟れない自分を表現した漢詩を残している。
「私の心は迷いっぱなしだ。
本来、悟りを開くというのは仏の口からでまかせで
本来、一般人は迷うものなのだ」

次の師匠である華叟(かそう)について厳しい修行をする一休。

「有漏路より無漏路へ帰る 一休み
雨降らば降れ 風吹かば吹け」

今、生きているということは、
この世からあの世へ行くまでに一休みしていることなのだ。
なら雨が降ろうが、風が吹こうが悩むことではない。

という漢詩を残しているが、これが”一休”と名乗る元となった。

形のあるものは意味なしと考える一休。
師匠からもらった悟りの証明書となる印可状も燃やしてしまうが、足腰が弱り排泄もままならない師匠の便を手で片付けるなど献身的に看病。

最終的に「自分の教えを一番受け継いでいるのは一休」と言わしめた。

◼︎「一休さん」〜風狂の日々〜
一休は臨済宗大徳寺派の僧侶。
総本山はもちろん大徳寺だ。

室町幕府が作った寺トップ10にも入る由緒ある寺だったが、南朝の後醍醐天皇とのつながりが深かったため、室町幕府の庇護が受けられず没落していた。

そこで、一休の兄弟子である養叟(ようそう)は、資金を集めるために、秘伝で極秘だった禅問答を金持ちに売ることを始める。

それを知った一休は養叟を痛烈に批判。
批判・・・というか、散々な悪口を書いた本「自戒集」を出版する。

僧侶にあるまじき、長い太刀を持った肖像画。
実は中身は木刀。
派手な袈裟を着てても、中身はどうなんだ?

一休が言いたかったのは「本質を見ろ」ということだった。

飾らない一休の人柄は、武士や堺の商人にも受け入れられた。
その中に、アニメの”新右衛門さん”でおなじみ、蜷川新右衛門もいた。

一休の時代の大きな事件といえば、応仁の乱。

大徳寺もボロボロ。
一休のためならとお金を出す人も多く、一休は大徳寺の再建を果たす。

のちに大徳寺は豊臣秀吉や前田家から庇護を受けることになる。

晩年、死を覚悟した一休は弟子に言う。

「死にとうない」

江戸時代の小説「南総里見八犬伝」の中に、足利将軍の前で屏風に描かれた虎に挑戦する一休の絵がある。
一休は、見事、屏風の絵を消すスーパーヒーローとして描かれた。

飾らない性格で破天荒な彼は、後の世に”一休さん”として親しまれるようになる。

プレゼンターは最後に
ROCK YOUで
FUCK YOUな
一休をみんなLOVEYOU

と表現したが、それが適切かどうかは別にして、”一休さん”は今も愛されていることに変わりはない。

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