カミソリと言われた男「陸奥宗光の外交TERAKOYA」(2019.4.13)

まことに小さな国に カミソリと言われた男がいた

男の名は陸奥宗光(むつ むねみつ)。

2019年4月13日、
「陸奥宗光の外交TERAKOYA」
プレゼンターは「泣かせのきちどん」こと、
きちえもん。

明治時代。
力こそすべてという帝国主義の世界で、
アジア人は欧米列強にとって
人間以下の存在だった。

その中で、世界の情勢を正確に把握し、
列強と互角に渡り合おうとした
外務大臣が陸奥である。

紀州の上級武士の家に生まれながら、
9歳で一家離散、
15歳で江戸に出るも、
吉原通いがバレて師匠に
破門されるという破天荒な男。

一方で、武士であれば
当然、与えられたはずの教育を
受けられなかったことで、
逆に、驚くほどの知識と
考え抜く力を身につけ
努力で才能を開花させた男でもある。

彼はリーダータイプではない。

切れ味はいいが、
使い勝手の悪いこの”カミソリ”は、
うまく使いこなせるリーダーと
出会ってこそ、その才能が発揮される
NO2タイプである。

陸奥にとって、
この二人との出会いが人生を決めた。

坂本龍馬と伊藤博文である。

若き日に海援隊の一員だった陸奥は
龍馬の背中から
日本の進むべき未来を知り、
総理大臣・伊藤博文によって
才能を開花させた。

当時の日本の願いはただ一つ
「はやく、一等国になりたい」

そのためには、不平等条約を改正し、
一刻も早く諸外国と対等の立場になること。

陸奥はメキシコとの間に、平等条約となる
日墨修好通商条約を結んだことを足がかりに、
世界一の一等国・イギリスと
日英通商航海条約を結ぶ。

完全な平等条約とは言えなかったが、
当時のイギリス外相は語っている
「この条約が成立したことは、
日本の国際的地位を向上させる上で
清国の何万の軍を撃破したことより
重要だろう」

日本の国際的地位の向上は、わかる。
が、なぜ、清国の軍を撃破という
セリフが出てくるのか?

この言葉が予言したかのように、
イギリスとの条約を結んだ9日後、
明治27年7月25日、日清戦争が開戦、
日本が勝利している。

陸奥の類稀なる戦略と
それを後押しした総理大臣・伊藤博文の
存在があってこその結果だった。

時代を少し遡り、明治の初め、
開国した日本の次に
列強が目をつけたのが朝鮮半島だった。

当時「李氏朝鮮」は未だ鎖国しており、
国内の体制もかなり弱体化していた。

清には、朝鮮を完全な属国にしたい
という欲望があった。

ロシアも「不凍港がほしい」と
虎視眈々と狙っていた。
さらに、アメリカまでもが
朝鮮を欲しがっていた。

日本は李氏朝鮮に対し、
国内体制の強化と開国を要求していた。

しかし、「国家としてちゃんとして!」
という日本の要求に
朝鮮は「この西洋かぶれが!!」と
拒絶していた。

そこで日本は、
ある意味”いちゃもん”をつけて
日朝修好条規という日本に有利な
不平等条約を結び、朝鮮を開国させた。

幕末に日本が列強国からされたことと
同じことをしたのである。

さらに、朝鮮国内のクーデターを鎮圧すべく
朝鮮半島に乗り込んだものの、
清のあざやかな対応になすすべもなく、
日本はますます朝鮮から嫌われてしまう。

陸奥が外務大臣になった頃、
朝鮮をめぐる情勢はこのようになっていた。

陸奥は思う。

「このままでは朝鮮はロシアか清に
飲み込まれてしまう。
それは、日本の喉元に短刀を
突きつけられているようなものだ。
朝鮮は自力で自国を守る力はない。
それならば日本が介入するしかない。
が、日本には力がない、味方が必要だ」

そこで陸奥が考えたのが、
イギリスと対等な条約を結び、
世界に日本が一等国の仲間入りを
したことを示すことだった。

そうすれば他の国も日本を認め、
その肩書きがあれば、
清を遠慮なく叩くことができる。

清の軍隊は実は弱いという情報は得ていた。

陸奥はその考えを実行に移す。

明治27年、日清戦争のトリガーとなる
「東学党の乱」が朝鮮で起こる。

李氏朝鮮は清に援軍を要請、
清は、援軍を決定したあとに、
日本に通達する。

清にとっては、日本を出し抜いて
朝鮮に軍を送る、
絶好の機会と捉えただろう。

しかし、日本は”朝鮮オタク”の
日本人から情報を得ており、
なんと、清軍の翌日に、
日本軍を朝鮮に到着させたのだ。

そこには陸奥と伊藤の
素早い判断と行動があった。

朝鮮半島には清軍と日本軍。
その撤退をめぐり、清の李鴻章と陸奥の
駆け引きがはじまる。
そこへロシアが介入し、日本を脅しにかかる。

が、陸奥は予測する。
「シベリア鉄道は開通していない。
このタイミングでロシアが日本を
攻めることはないだろう」

そしてついに、日本は清との戦争に突入。
結果、日本は勝利し、遼東半島を手にする。

戦後処理の交渉相手は李鴻章。
老獪な彼は情報を漏えいし、
またもやロシアが介入してくる。

教科書にも載る「三国干渉」は
実質「露国干渉」だった。

最終的に、日本は遼東半島を
永久放棄する約束をさせられる。

日本国内で「陸奥は無能」と叩かれた。

だが、陸奥にとってのゴールは、
他国から領土や金を奪うことではなく
日本を列強国と対等な一等国にすること、
朝鮮の政治、経済、教育などを整備し、
自立した独立国にすることだった。

きれいごとではなく、そこが、
世界の中で日本が生き残るための
最上級のラインだったのだ。

病を押して戦後交渉にあたった陸奥は、
その会談の2年後に没する。
享年53。

その想いは、日露戦争の戦後交渉に臨んだ
小村寿太郎に引き継がれた。

日本は外交が下手だと言われることがある。

が、わたしは思う。
ペリーと対峙した幕臣たち、
そして陸奥、小村と受け継がれた
バトンによって、
日本は帝国主義の波に飲み込まれず、
独立を保つことができた。

アジアの小さな国が、
どれだけ世界を驚かせたか。

彼らを知ることは、
日本の未来を考える上で、重要なカギになる。

そう思ったら、胸が熱くなって、
プレゼンター・きちどんに、
やっぱり泣かされてしまった夜だった。

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