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伝染病の撲滅と教育に心血を注いだ”いいひと”の物語「魁!!適塾TERAKOYA」(2020.3.14)

コロナなんか気にせず開催するレキシズルTERAKOYA。
冬のような寒さも、雪さえも吹き飛ばしファンを集めた
プレゼンターは”泣かせのキチどん”ことキチエモン。

今回の主人公は緒方洪庵。
大阪に適々斎塾(通称:適塾)という
蘭学界最高峰の私塾を開いた人。

一説によると1,000人を超える塾生がいたとも言われ、
大阪大学医学部の前身となった塾。
現在も修復されて大阪淀屋橋に建物が残る。

洪庵は医者をやりながら多くの塾生を育てた。
その中には明治の偉人と言われる人も多い。

そして、世界中の人を悩ませた天然痘の根絶を目指した一人でもある。

洪庵は江戸後期、1810年に現在の岡山県に生まれ、
幕末の激動期、1863年に江戸で亡くなった。

彼が掲げたのが「神志(しんし)」
”自分に利せず、人のために生きる”
を生涯の志とし、本当に実践した人。

この言葉を根っこに緒方洪庵と適塾という
とんでもない世界を教えてもらうことにしよう。

▪︎第一部 ラブラブ洪庵❤︎
緒方洪庵は足守藩の武士の家に生まれた。
三男でおまけに病弱。
跡も継げないし体弱くて武士としてイマイチ。

そんな洪庵くん、17歳。
父の仕事に同行した大阪で運命の出会いを果たす。
蘭学と西洋医学だ。
「病弱な自分が世の役に立つのはこれしかない!」
と医者の道を志す。

大阪、江戸で学び27歳で長崎へ。
費用を出してくれたのは未来の妻のお父さん。
彼を見込んで娘の婿に!とスポンサーになってくれた。

そして29歳で大阪で開業、適塾を開き、
12歳年下の八重と結婚。

スポンサーになってくれたので、仕方なく結婚・・・
と思いきや、この二人超ラブラブ❤︎

二人は次々と子供をもうけ、なんと18年間で13人!
まさに性豪❤︎

適塾は30年続くが、洪庵と八重が関わったのは約24年間
・・・ということは、ほとんどの時間、
八重さんは妊娠していたことになる。
その状況で塾生の面倒も見ていたのだ。

洪庵が医者、研究者、教育者として活躍できたのは
献身的な八重の支えがあったから。
八重は塾生にも心から慕われていた。
洪庵も八重への感謝を忘れなかった。

子供達のうち4人は夭折してしまうが、
八重は、あとの9人を洪庵亡きあとも一生懸命育て、
男の子は医者、教育者、官僚となり、
女の子は医者の妻など、皆、様々な道に進んでいる。

ちなみに三番目の平三(惟準/これよし)は
明治陸軍の軍医で、塾も開いており、
”江戸の適塾”と呼ばれていた。

その場所がレキシズルのある御茶ノ水だったらしい。
学生街で大学病院も多いこの場所は、
今も洪庵の息吹が続いているのかもしれない・・・。

洪庵は適塾で多くの人材を輩出したが、本業は蘭方医。
蘭方医として立ち向かったのが多くの人を苦しめた天然痘だ。

彼がいかにして天然痘と闘ったのか、見ていくことにしよう。

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↑大阪淀屋橋にある適塾

▪︎第二部 天然痘との闘い
天然痘とは、人類が3000年以上前から悩まされ、
飛沫・接触感染する”おっかない伝染病”。
洪庵自身も幼少に罹っている。

高熱・頭痛・腰痛・悪寒がして、熱が下がると
顔面を中心に全身に水ぶくれのようなものができ、
高熱&化膿したあと呼吸不全になり、
2〜5割が亡くなる病気。

実は当時すでに予防法が発見されていた。
”人種痘”と呼ばれ、天然痘になった人の膿を採取し
健康な人の身体に叩き込む方法で、
今でいうインフルエンザの予防接種のようなもの。

軽い天然痘に罹らせて耐性をつくるものだが、
中には重い天然痘になって亡くなってしまう人もいた。

さらに医学は発達し、もっと安全な方法が開発される。
エドワード・ジェンナーというイギリス人医師による
牛種痘という方法(牛痘種痘法)だ。

牛がかかる病気である牛痘の膿を人間に注入するもので、
この牛痘の膿のことを”Vaccine”=ワクチンというのだ。

京都で牛種痘が成功したと聞き、
なんとか分けて欲しいと懇願する洪庵。

ようやく手に入れた牛種痘を試そうとしたところ
なんと「牛種痘を打つと牛になるぞ!!」という
風評被害を受け、なかなか受診してくれる人がいない。

このままじゃダメだ・・・洪庵は皆に訴えかける。
「感染してからじゃ遅い。でも種痘をやれば予防できる。
大切な人を悲しませないで」

どうにかして受診してほしいと
「種痘を受けてくれたら、もれなくお饅頭を贈呈します!」
といったキャンペーンまで実施。

人々を救いたい・・・
儲けなんて考えず、数年にわたって一心に訴え続けた。

地道な活動は徐々に人々に知られるようになり、
適塾から近い場所に幕府公認の「除痘館」も設立された。
洪庵をはじめとする蘭方医の不断の努力が実を結んだのだ。

洪庵の名声が高まると幕府も黙ってはおらず、
将軍の医者になれと命令が下る。
さらに西洋医学所頭取にも任ぜられる。

自由な研究ができなくなるし、患者も大勢いる。
再三拒絶するも、しつこい幕府は地元の足守藩に命じたため、
1862年、洪庵は仕方なく江戸に単身赴任する。

江戸では大奥での診察や漢方医との付き合いもあり、
本来目指した医者の姿ではなく、気疲れすることばかり。

妻の八重と小さな6人の子供が江戸に出てきてくれ、
洪庵は心休まる日を送れるようになる。

しかし、洪庵が江戸に出て10ヶ月、
八重と暮らし始めて3ヶ月のある日・・・

1863年6月10日
洪庵は自宅で大量の血を吐き、窒息死する。
享年54。

もともと身体が弱かった上に心労も加わった突然死。
「これからどうすれば・・・」
途方に暮れる八重の元に50人を超える弟子が駆けつけ、
彼女を支えた。

洪庵は大切なものを残していってくれた。
「自分に利せず、人のために」という洪庵の生き方を学び、
洪庵のともした優しさを胸に全国に散らばって行った弟子たちだ。

適塾で学んだ弟子達が世に出て活躍する”前”は
どんな姿だったのだろうか?

▪︎第三部 塾生たちの青春
洪庵先生はとても穏やかな人だったという。
ただ、勉強をサボると静かに厳しい言葉で諭した。
それが一番怖かったと塾生は語っている。

記録に残っているだけでも600人を超える弟子の中で
プレゼンターが挙げたのは8人。

医師として活躍した高松凌雲は、
幕末の決戦地である函館で敵味方なく治療した。
手塚良仙は手塚治虫「陽だまりの樹」の主人公で、
手塚治虫の祖先でもある。

さらに、
慶應義塾の創設者 福沢諭吉
安政の大獄で無念の死を遂げた 橋本左内
外交官として活躍した 大鳥圭介 花房義質
明治陸軍の父 村田蔵六(大村益次郎)
日本赤十字社を創設した 佐野常民
と錚々たるメンバーである。

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洪庵は開業2年目で医者番付に名を連ね、
塾生が増えたために引越した頃には一位、
つまり「診られたい男NO1」という名医。

蘭学界最高峰の塾で、最先端の医学を学びたいと
全国から若者が集まってきた。

適塾は完全実力主義。入塾年も関係なし!

塾生に最も力をつけさせたのが適塾名物「会読」
オランダ語の翻訳だ。

ところが辞書は一式のみ。
くじ引きをして順番に使いながら
昼夜問わず必死で勉強し、会読の日に臨む。

3ヶ月間の会読の結果、成績優秀ならクラスが一つ上がる。

最も優秀な人が塾頭となり、
十代目塾頭だった福沢諭吉は
適塾ほど厳しいところはなかったと語っている。

過酷な適塾には、闇の名物もあった。

それが不潔道、盗人道、全裸道。
想像するだけでゾワッとするが、
これを会得してこその適塾生だったそうな。

風呂に入るもの惜しんで
ぎゅうぎゅう詰めの場所で勉強していた塾生。

不潔道
シラミもわき、食器が少ないと顔を洗う桶にご飯を盛り、
医者の卵なのに不潔きわまりなし。

盗人道
化学実験の道具が足りないと、
酒屋や飲み屋から徳利をくすねる。
飲み屋も心得ており、塾生が来ると多めに酒代をとったとか。

全裸道
基本、塾生は全裸マスター。
シラミもわくので全裸が当たり前。

ある日、全裸で気持ち良く昼寝していた塾生に、
階下から呼びかける女性の声が。
「なんだよ・・・」と思いながら降りていくと、
そこには八重夫人が・・・

あっ!!と思ったが時すでに遅し。

あまりの恥ずかしさに、生涯謝れなかった情けない塾生が、
誰あろう、福沢諭吉だそうな。

当時はまだ、何をしたらいいかわからない、やんちゃな若者達。
激動の幕末とはいえ、
誰もが進むべき道をわかっていたわけではなかった。
洪庵先生は彼らに道を教え、
塾を巣立ってのち、それぞれの道を歩んでいったのだ。

▪︎エピローグ 洪庵のともしび
「自分に利せず、人のために生きる」
医者として人に尽くし、
塾生に優しくも厳しく最先端の医療を叩き込んだ。
それなのに54歳であっけなく亡くなった緒方洪庵。

こんなの報われないよ。
プレゼンターは最初、そう思ったそうだ。
だが、塾生たちのその後の姿を見て、それは違うと気づいた。

皆、洪庵先生を心から慕っていた。

人の命を救い、
人々の苦しみを和らげる以外に
考えることは何もない

洪庵の生き方を学んだ塾生が
教えを胸に、それぞれの場で活躍した。

プレゼンターは洪庵のことを
「美しい人生」と表した。

観ていた側として、
主人公が第二部で亡くなったことに衝撃を受けたが、
だからこそ、洪庵の志を受け継いだ若者たちに
思いを馳せることができた。

洪庵の遺したものは、本当に大きい。

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