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彼女の死の真相とは「細川ガラシャ」(数寄語り2020.8.5)

今回のテーマはキュートな大学院生が語る、細川ガラシャ。
なのだが、最初に登場したのはマリーアントワネット。

アントワネットがまだ実家のウィーンにいた少女時代、お気に入りだったオペラが今も残っている。
タイトルは「気丈な貴婦人 グラツィア」。
グラツィアとはラテン語で神の恩寵という意味で、細川ガラシャをテーマにしたオペラだ。

ガラシャとマリーアントワネットには不思議な共通点がある。
二人とも悲劇的な最期を遂げ、37歳で亡くなっているということだ。

細川ガラシャを3行で紹介すると
①明智光秀の娘
②細川忠興の妻
③有名なキリシタン

なぜ、日本はもちろん、海外でオペラになるほど有名なのか。
それはやはり”壮絶な死”を遂げた人だからだ。

関ヶ原の戦いの20日ほど前、石田三成が敵方についた武将の妻子を人質にとる作戦を始めた。
その最初のターゲットが細川ガラシャ。
屋敷の周りを軍勢が取り囲み、力づくで連れ出そうとした。
しかし彼女は要求を拒否、家臣に槍で突かせ、遺体が残らないよう屋敷に火薬を仕掛けて燃やすよう命じた。

よく知られるエピソードだが、プレゼンターはここで聴衆に疑問を投げかける。

ガラシャは有名なキリスト教徒。
キリスト教では自殺は大きな罪になる。
よく言われるのは、自分で死んだのではなく、家臣に殺させたから自殺ではないということ。

でも「他人に刺してもらったら、自殺にはならないの?」
そして「彼女は最期に何を思ったのだろう」という、これを今日のゴールにしたいとプレゼンターは言う。

明智光秀の娘として生まれたガラシャは、16歳で同い年の細川忠興と結婚する。
20歳まではめっちゃ幸せな人生を送っていた。
が、本能寺の変を境に彼女の人生は180度変わってしまう。

光秀は細川家に味方を要請するが、拒否。
ガラシャは実家に返されないまでも、形上は離縁され、今の京都北部の山奥、味土野(みどの)に幽閉されてしまう。
当時、妊娠もしており精神的にもきつい状態。
明智一族は滅び、もう帰る実家もない。

2年後、豊臣秀吉から再婚と細川家に帰ってもいいという許しが出る。

やっと帰れる・・・と思いきや、戻っても外出禁止、監視生活が待っていた。
戻ったのが細川家の大阪屋敷で、その美しさから秀吉の目に触れないようにという夫の気持ちもあったのかもしれない。
しかしガラシャにとって、最もショックだったのは、辛い幽閉生活の間に夫に側室と子供ができていたこと。

ふさぎこんでいた彼女が救いを求めたのがキリスト教。

キリスト教と出会った彼女は性格が変わり、ツンとしていたのが人間的にも柔らかくなったという。
プレゼンターは言う。
宗教と出会ったとはいえ、ここまで真摯に向き合い自分を変えることができた彼女はすごいと。

厳しい監視生活の中で教会に行けず、侍女を通じて洗礼を受けたガラシャ。
その13年後、運命の関ヶ原の戦い。
夫・忠興は「何があっても屋敷から出るな。もしお前の名誉に関わることがあれば潔く死ね」という言葉を残して戦場に向かう。

が、キリスト教徒は自殺を禁じられている・・・
悩んだガラシャは、洗礼を授けてくれた司祭・オルガンティーノに手紙を書く。
「死を選んだら罪になるのでしょうか?神に反することになるのでしょうか?」と。

実は彼からの手紙は残っていない。
しかし、ガラシャ亡き後のオルガンティーノの振る舞いをみると推し量ることができる。

屋敷は火薬ですべてが焼き尽くされた状態。
彼はキリスト教徒たちにガラシャの骨を拾うよう命じる。
”骨を拾う”とは殉教者に対する行為。

「細川家の妻として、この避けられない運命を甘受することは、あなたが背負った十字架です。私はあなたの死を殉教として受け止め、祈りましょう」

おそらくオルガンティーノはこんな返事をしたのではないか。
だからこそ、あの一点の曇りもない辞世を残せたのではないか、とプレゼンターは予想する。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

プレゼンターが誰よりも一番好きという辞世の句で語りは締めくくられた。

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