近藤勇の見果てぬ夢「新選組 近藤と土方 TERAKOYA」(2019.3.16)

新選組といえば
歴史界のジャニーズともいえる存在。

漫画やゲームでイケメンに描かれる彼らの中で、
局長・近藤勇は最も有名なのに、
なぜか人気がない。

その原因を作ったともいえるのが、
この作品で新選組ファンになった人も
多いであろう、司馬遼太郎『燃えよ剣』だ。

ここで描かれる土方は、とにかくかっこいい。
中学生のわたしも、
アイドルを想うように土方に憧れた。

それに比べて近藤は、単純で無骨で、
よく理解できない男として描かれている。

そんな不当に歪められた近藤勇という人物を
プレゼンターかもめによる”かもめ史観”で
見直してみようという試みが、
「新選組 近藤と土方 TERAKOYA」
で行われた。

今回のプレゼンは三部制。
わたしなりにそれぞれにタイトルをつけ、
レポートしていこうと思う。

◆新選組とはなんだったのか?
「会津藩お預かり、新選組である」
ドラマや映画でもおなじみのこのセリフ、
新選組のスポンサーが
会津藩であることを示している。

当時の日本は開国か攘夷(外国を打ち払う)かで揺れていた。

もはや開国しか道はないと幕府はわかりつつも
外国嫌いの孝明天皇に攘夷を約束するため、
将軍・徳川家茂が上洛することになる。

その警護として江戸で募集されたのが浪士組だ。

近藤と土方は迷わず参加する。

二人は現在の東京多摩地区の出身で、
武士ではない。

武士ではない田舎ものが、
なぜ迷わず「将軍のために!」と思えたのか。

それは、多摩が徳川の直轄地であり、
名代官と呼ばれた江川太郎左衛門の方針により
農民の間でも剣術が盛んな地域だったからだ。

徳川将軍のために、
そして天皇が望む攘夷のために、
自分の剣の腕を生かしたい!

意気揚々と京に入った二人。

だが、すったもんだの挙句、
何もできないまま浪士組は江戸へ戻るよう
命じられる。

「攘夷を実行するためには、
朝廷と幕府が一体とならなければいけない。
こんな時に将軍を残して江戸になど帰れない!」

悔しさのあまり近藤は、
京都守護職である会津候・松平容保に
「浪人の身になってでも、
帝と将軍様をお守りし、
攘夷を決行するつもりです!」と訴える。

『天皇のために命をかけて尽くしたい』

その想いは、徳川も会津も薩摩も長州も同じ。
つまり、日本人全員が「尊王」だった。

しかし、孝明天皇は、
攘夷と言いつつ過激な行動を起こす長州を嫌い、
徳川や薩摩とは良い関係を築きたいと思い、
そして、最も信頼を置いていたのが会津だった。

その会津に見込まれ「お預かり」となったのが
近藤であり、新選組だったのだ。

◆近藤の見果てぬ夢とは?
「尽忠報国」
忠義を尽くし、国に報いる。

朝幕一体を助け
その下で攘夷の魁となる。

自分は草莽といわれる名もなき者だが、
その実現のためにこの身を捧げる。

近藤とはそういう男だった。
新選組はそのために存在したのである。

だが、近藤の想いとは裏腹に、
その剣の腕は、京で暗躍する者たちを
殺す道具となってしまった。

池田屋事件などで
新選組が有名になればなるほど、
近藤の描く理想から遠ざかっていく・・・。

さらに、薩長が手を結び、孝明天皇が崩御し、
徳川が「朝敵」とされてしまったことで、
近藤の尽忠報国の想いは打ち砕かれてしまう。

◆新選組は本当に「負け組」だったのか?
朝敵とされた最後の将軍・徳川慶喜は
新政府に対しひたすら恭順の姿勢を示す。

その慶喜に全権を委任されたのが勝海舟であり、
勝は新選組に「甲陽鎮撫隊」と名付け、
甲府行きを命じる。

通説では、新選組は新政府軍に
徹底交戦するつもりでいた
と言われているが、プレゼンターは
「本当に鎮撫隊だったんじゃないか説」
を唱える。

つまり、新政府軍と戦うことが目的ではなく、
幕府の中で不満を持つ反乱分子を鎮めるために
武州から甲州に向けて
進軍したのではないかというのだ。

最低限の武器しか持たず、
ゆっくり進軍したのも、
周辺の反乱分子を探索するための
行動だったことを裏付けている。

あれだけ徳川を想う近藤が、
慶喜の命令を無視して戦うなどありえない。

朝幕一体を助ける「報国」は叶わなくとも、
徳川への「尽忠」はまっとうする。

それが近藤の真の姿ではないだろうか。

運命のその時、1868年4月3日、
近藤は土方の反対を押し切って
流山で新政府軍の任意同行に応じる。

翌4月4日、徳川慶喜の助命が叶い、
4月11日、江戸城は開城される。

もし、近藤が徹底交戦していたら?

慶喜が明治に生きることも、
江戸城が無傷で開城されることも
なかったかもしれない。

近藤の助命が叶わず、
土方は本当に悔しかっただろう。
しかし、その死は無駄ではなかった。

新選組は人気はあっても、
歴史的な価値は低いと言われることがある。

それはなぜか?

それは、近藤が”幕末の志士”のように
「オレが日本を変えてやる!」
といった自己主張をするのではなく、
日本の理想の実現のために自分が盾となる
という裏方に徹しようとしたからではないか。

天領多摩に生まれた一人の青年の
まっすぐな想い、
そして新選組の新しい一面を見た、
しみじみ、いい夜だった。

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