道は必ず啓(ひら)ける「佐久間象山TERAKOYA」(2018.7.14)
昨夜は「佐久間象山TERAKOYA」。
象山は、スティーブ・ジョブズみたいな人だと
わたしは思った。
時代の先を読む奇才であり、
我が道をゆく孤高の人。
そして、脂が乗りきった50代、
さらに必要とされる時代を前に
突然、この世から居なくなってしまった。
プレゼンターいわく、
「傲岸不遜」「自信過剰」「超絶KY」
日本人離れした顔立ちと、その態度に
ペリーが思わず頭を下げてしまったという
エピソードが残るほど。
そんな人間を作り出したのは、
父・佐久間一学と、
主君・信州松代藩主 真田幸貫。
幼少から天才性を発揮した象山。
父は、その長所をガンガン伸ばし、
一方で、すぐに癇癪をおこす短所は
直さなかった。
その結果、家老の息子を理詰で言い負かし、
3年の謹慎を言い渡されてしまう。
普通なら絶望してもいい状況に、
象山はラッキー!とばかりに学問に打ち込む。
周りを気にせず、我が道をゆく。
傲岸不遜度、ハンパねー、である。
そして、23歳でついに江戸へ。
主君・真田幸貫も、
短所はあれど、象山の才覚を認め、
西洋式の砲術を学ぶことを命ずる。
ところが、いつまでたっても
砲術を教えてくれない師匠に業を煮やし、
2ヶ月でオランダ語の読み書きを習得するや、
自ら大砲を作ってしまう。
さらに、広い視野で物事をみる才覚で、
開港するなら横浜だ!という意見をもち、
アメリカとの交渉役である
幕府役人・岩瀬忠震(ただなり)
にも影響を与える。
そんな象山のもとに、
教えを請う若者たちが
続々と集まるようになる。
結局、佐久間象山て何した人?の答えは、
だれもが名前を知る
「メジャー級の幕末の志士を育てた」
ということだ。
が、ここで象山の運命を変えてしまう
出来事がおこる。
「吉田松陰くんやらかし事件」である。
メジャー級の弟子の一人、松陰くんが、
黒船での密行を図り、
未遂に終わって自首した事件だ。
しかも、事もあろうに、象山が書いた
「松陰くん、がんばってね!」
という励ましの手紙を
犯行現場に置き忘れるというおまけつき。
象山は、弟子をそそのかした罪で、
蟄居させられてしまう。
その間、時代は大きく動く。
蟄居から9年、
この動乱の時代に必要な男は象山だ!
長州も土佐も朝廷も
「象山ちょうだい!」
と熱烈ラブコールを送るほど、
時代は象山を求めた。
いよいよ、天才俺様の出番!
と意気揚々と京都に乗り込む象山。
が、「外国人は追い払え!」
「幕府はぶっ潰せ!」
という嵐が吹き荒れていた京都で、
「開国すべき!」
「朝廷と幕府は協力すべき!」
と堂々と主張した象山は標的となり、
これからという時に、暗殺されてしまう。
なぜここまで、我が道を行けたのか?
それは、父と主君から受けた愛情により、
自分は絶対に受け入れられるという自信
そして、その才覚と天才性で、
物事を俯瞰してみる力
時代の先を読む力
があったからだと思う。
彼は、ただの傲岸不遜、KYではなかった。
その証拠に、コレラに罹った妻のために
電気治療器を発明し、
ついに病を治してしまったのだ。
彼の幼名は啓之助。
父が「空に輝く啓明(金星)であれ」
と名付けた。
のちに彼は、啓(ひらき)と名乗るようになる。
「いかにして日本を救うか」
を常に考え、実行し続けた人。
傲岸不遜で敵も多かったが、
我が道を貫いた。
自分を信じて行動すれば、
道は必ず啓(ひら)ける。
象山先生の教えを受けた、
正に「TERAKOYA」にいる気持ちになった
夜だった。
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