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忖度しない男「江藤新平TERAKOYA」(2019.6.8)

江藤新平は幕末から明治に生きた人。
はっきり言って、人気がない。

顔は地味なのに、眼光がするどい。
あまり人に好かれるタイプではなさそうだ。

しかも彼が心に決めたのは
「薩長を潰し、まったく新しい日本を創る」
ということだった。

江藤は薩長土肥の「肥」、肥前佐賀に生まれた。

さっちょーどひっていうけど、なんで”ひ”が入るの?
と疑問を持つ人も多いが、
薩長土に「肥」を加わらせた人物こそ、江藤新平なのである。

当時の佐賀藩は、
・ヨーロッパ中堅国並みの工業力
・黒船やアームストロング砲を創っちゃう
・隠れ佐幕派
・勉強できないヤツは、どんどん家禄没収

超先進的なのに薩長には加担せず、
勉強して個の力は強くなるけど一体感は薄い。

そんな特殊な藩をつくったのが
”肥前の妖怪”こと藩主の鍋島かんそー(閑叟)だ。

「佐賀の二重鎖国」という言葉がある。
薩摩も同様に二重鎖国といわれるが、その性質はまったく違う。

薩摩は「薩摩の秘密をみんなで守ろう」というものだが、
佐賀は「俺たちの秘密を絶対にもらすなよ」という
秘密主義の意味を持つ。

そんな藩なのに、江藤は脱藩した。

江藤新平は、ちょースーパー貧乏な下級武士の家に生まれた。
しかも父親は働かない。
貧乏すぎて藩校を退学、私塾に学んだ。

脱藩したときは、ほぼ無一文。
目指したのは京都、ノーアポイントで桂小五郎に会おうとする。

長州屋敷で何者かを名乗らない江藤。
怪しい、怪しすぎる。
あとで聞けは、藩に迷惑をかけたくなかったからだという。

江藤と会った桂は「すげーのがきたな、しかも肥前佐賀」と驚きつつ
「幕府を倒すなら肥前佐賀がほしい」と強く思う。

当時、脱藩といえば重罪。しかも秘密主義の肥前佐賀。
にもかかわらず、江藤は2ヶ月で帰郷する。

即死罪になってもおかしくない状況で
江藤は”ちょー精密な京都レポート”を書き上げ、
それを読んだ鍋島かんそーによって死を免れる。

脱藩した下級武士のレポを読む藩主というのも只者ではない。
とはいえ、重罪は重罪、
江藤は永蟄居という無期懲役を言い渡される。

が、時代は大きく動いていた。
肥前佐賀は決断をせまられる。
幕府につくか、薩長につくか。

藩主から意見を求められた江藤は
薩長につくことを強く進言した。

時代は、佐賀の軍事力によって決まったと言っても過言ではない。
その陰に江藤あり。
永蟄居から5年、江藤は許され幕末の変革期に参加することになる。

今回のプレゼンターは「歴史をポップに」という
今までにないものを仕掛けたレキシズルの”首脳”。

首脳によるTERAKOYAはラストということで、
どんなプレゼンになるか期待していると
なんと二部は観客にゆだねるという展開。

江藤新平 7つのこと
①明治新政府で欠かせない男となり、司法卿就任
②フランスの民主主義を手本に法整備
③長州閥の汚職事件、一歩も引かない戦い
④征韓論
⑤政争に敗れ、西郷隆盛に続き官を去る
⑥大久保利通
⑦明治7年

これについて、観客同士で話せと言う。

天才的な能力とスピードで法整備を行い、
酒や女遊びの領収書を「国」で切らせる長州人たちに毅然と立ち向かい、
潔く官を去り、不平士族が起こした佐賀の乱に加わり、斬首される。

こう書くと、正義感にあふれる人に見えるが、
わたしはちょっと違うんじゃないかと思っている。

死罪になるかもしれないのに、脱藩から2ヶ月で帰郷
海外に行っていないのに、外国の法律を異常なスピードで理解
汚職の内容を徹底的に調査し、政府の重鎮にも忖度しない
空気読まなすぎて、魔王・大久保利通にとことん嫌われる

最後は自分が創設した「指名手配写真」の第1号になり
あっさり捕まってしまう。
その時のセリフが「自分の作ったシステムがうまく機能した」だ。

頭がおかしいと思うくらい頭はいいが、人と上手く付き合えない。
天才に多い発達障害の一つではなかったか、とわたしは思う。

「法の秩序の基に国民は皆平等で」
という彼の志にも、この性質の一つである”強いこだわり”が伺える。

その才能を潰したのが大久保利通だ。
この人こそ、現代にも通じる”日本そのもの”ではないだろうか。

大久保利通=空気を読めない天才を排除する日本

江藤は裁判で弁明を許されなかった。
最期の言葉は「ただ、天と地は、僕の心を知っている」

江藤はどの時代に生きても、生きづらい人だったろう。
(周囲の理解を得られにくい、という点で)
でも、これからの日本を考えれば、
江藤のような人が、伸び伸びと才能を発揮できる社会をつくることが
わたしたちのミッションに思えてならない。


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