100年早く生まれてしまった男「田沼意次TERAKOYA」(2019.2.16)

田沼意次といえば、賄賂政治。

そんなイメージが定着したのはなぜか?

彼はあまりにも優秀で先見の明があった。
それゆえに、悪口を言うことでしか
後世に伝えることができなかったからだと
今回の「田沼意次TERAKOYA」で
知ることができた。

さらに、100年も前に
”幕末”への扉を開いたのも彼だった・・・。

田沼が活躍したのは、
享保、寛政、天保という江戸三大改革の
享保と寛政の間の時代だ。

享保の改革を行ったのは八代将軍 徳川吉宗。
その頃の幕府は、鎖国のために
貿易の収入はほとんどなく、
金銀鉱山も取り尽くしてしまい、
収入といえば、年貢くらいしかない状態だった。

そこで吉宗は、新田開発など
米を増やす政策を行う。
しかし、ここで大きな問題に直面する。

当時、武士は米で給与をもらい、
米を現金に換えていた。
米が増えれば米の値段が下がる。
つまり、武士の手取りが減ってしまったのだ。

吉宗は武士の収入を増やすべく、
さらに米を増やす政策をとる。
すると、さらに米が余り、値段が下がり、
武士の手取りが減る。

なんというスパイラル・・・。

そんな状態で政治を引き継いだのが、
吉宗の息子、孫である九、十代将軍に仕えた
田沼意次だ。

田沼は幕府の財政を回復させるため、
株仲間をつくって商人から税金を取り、
西と東でバラバラだった貨幣の統一を目指し、
印旛沼などの干拓を行い、
俵物と呼ばれるフカヒレや干しアワビなどを
輸出し貿易を拡大。

さらに、ロシアが南下してくるぞという
学者の進言を受け、蝦夷探検隊を結成、
蝦夷地で600万石もの収穫が見込める
報告を受ける。

田沼はロシアとの貿易、
さらには開国まで視野に入れていたという。

が、急激な改革は、
井の中の蛙であった幕府の反対派や
既得権益を失う商人たちの強烈な反発にあう。

その結果、父同様に先見性のあった
息子・田沼意知が江戸城内で暗殺され、
田沼意次も松平定信によって
失脚させられてしまう。

松平定信は、田沼の出世のきっかけをつくった
徳川吉宗の孫であり、
寛政の改革を行った人物である。

田沼は、失意のうちに70年の生涯を閉じる。

では、田沼政治とは一体なんだったのか?

「田沼意次TERAKOYA」で語られた核心は、
田沼親子を失ったことで、日本は100年、
時代を遅らせてしまったかもしれない
ということだ。

田沼家は、今の栃木県佐野市田沼町に
ルーツを持つ。

先祖が戦上手なことを見込まれ、
紀伊徳川家の家祖である徳川頼宣に
仕えることになる。

そして、紀伊徳川家出身の吉宗が
将軍になると同時に、
田沼意次の父も江戸に移る。

田沼家は元は足軽。
意次は吉宗の息子、
のちの九代将軍 家重の小姓となり、
最終的には将軍の側近中の側近である側用人と
実質的な幕府のトップである老中を
兼任するまでになる。

石高も600石から5万7000石、実に95倍。
妬まれて当然ともいえる。

だが、出世を妬む雑魚なんて、
どうでもいい。

田沼を失脚させた松平定信も、
頭は良かったのかもしれないが、
この時代のごくごく常識人で、
田沼の先見性を理解できなかっただけだろう。

最も罪深いのは、
田沼を追い落とした黒幕であり
今回の裏の主役ともいえる、
ラスボス一橋治済(はるさだ)だ。

一橋家とは、徳川御三卿の一つ。
徳川家は、将軍の血筋が途絶えた保険として
御三家を設置したが、
吉宗はさらに、息子や孫を分家させて
田安、一橋、清水の御三卿を創設した。

実は、将軍にもなれたはずの松平定信が
田安家から奥州白河の松平家に養子になったのも
ラスボスがからんでいる。

ラスボス一橋治済の快進撃は続き、
ついに、息子・家斉が将軍の座に就く。

それだけでなく、御三家の紀伊、尾張、
御三卿の田安、清水にも
一橋家から養子を出し、
水戸以外はすべて「一橋の子」
という状態になる。

幕末、最後の将軍となったのは、
水戸徳川家から一橋家に養子に入った
徳川慶喜だ。

「一橋」は田沼を失脚させ、
「一橋」から将軍となった慶喜は
田沼のような先見性のある右腕を
得ることができず、
政権を返上することになる。

田沼の政治から100年、
日本は開国し、明治を迎えた。

北海道は田沼の構想のように開拓団が入り、
今や日本有数の米の産地となっている。

通貨は「円」として統一された。

田沼が開発した印旛沼は、
昭和になって干拓が完成。

ようやく時代が田沼に追いついた。

田沼は、身分を超えて平賀源内と交流し、
田沼時代の自由な気風が「解体新書」という
西洋の医学書の翻訳を許した。

この時代に開国していたらどうなっていたか?
それは誰にもわからないけれど、
田沼意次という政治家がいたことを、
わたしたちはもっと誇りにしてもいいと思う。

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