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母親が父親の愚痴を子どもに言うことの悪影響についての断章

まず、私の父親は大体普通に良いおとんである。
にもかかわらず、おかんには色々と気になるところがあるらしい。
まあおとんも悪いことは往々にしてあるが、正直おかんはかなり拗らせている。
のほほんとあんまり何も気にせず過ごしているおとんが気に食わないのだろう。
小さい頃からよく愚痴を聞いていた気がする。

私はなんでも快/不快という二種類の主観で物事を判断する性格なので、きっぱりとそういう母の側面は幼い頃から不快だった。

まあ私は比較的早期に近代文学を摂取したので、なんかずっと病んではいるが、ニヒリズムの盾に守られて元気である。ポジティブとはネガティブの先にあるもの。

ただ、気にしないようにしていたとしても、子どもにとって母による父の悪口は重いものだ。

僕はパパに似るだろうから結婚したくない、とは弟の言葉。

母はこれを重く受け止めるべきだ。
多様性の時代とか結婚すべきしないべきとかいう議論はどうでもいい。人生における一選択肢としての結婚を、母による父の愚痴によって失ってしまっているということが毒。
加えてそれ以前に、尊厳の問題である。我々は「神」から与えられた身体に誇りを持つべきだ。

弟の自己肯定感の低さには時々かなり心配になる。

そんなことして!パパみたいやん、というのも酷い。何度も言うが、おとんは基本的に良い人である。ちょっと周りのことを考えられないだけで。あと、のほほんとしすぎなだけで。
母系、激情派すぎるわ。

ちなみに、私も結婚はしたくない。「男なんてろくでもない」からだ。完全におかんの影響である。

まあ、流石に男女で他人を見てはいないので、ジェンダーは関係なく結婚なんて面倒なことはしたくない。

人間なんて大体ろくでもないし、救いようないものだろ。
聖母子を求めているなら、美しくて残酷な物語を信じていればいいが、神は死んだ。

今、母親になろうとしている人間と、母親である人間は、たやすく父親の悪口を子どもに言わないでほしい。
あと、Twitterを見続けていてもろくなことはないので、どうせならもっと眼前に広がる街を見つめてほしい。
戦争を止めるのも立派なことだが、配偶者や隣人と良好な関係を築くのが先決じゃないか?
「個人的なことは、政治的なこと」という言葉の意味をはき違えているようにしか思えない。

アイス食べたいです!!!