楽しみ方は人それぞれ、という当たり前の話

Xでとあるnoteが目に入ったので、覗いてみたら「あぁ、結局今もそういう感じなのね」とちょっぴり悲しくなった話です。

事の発端

元はこれらのnote。
引用させていただきます。

要は「現在のラブライブでこういうところ(声優コンテンツとか興味ないです、など)に萎えている」というnoteを投稿したら、批判と賛同の両方でお気持ち大会勃発中、といった流れがあって、その批判意見で過去に自分がコンテンツから離れた理由を思い出した、という話です。

思ったことは上記noteで大体言ってくれていて、あとはもう重複しているかただの思い出話とか感想なので、何かを批判するのが趣旨ではない…のですが、思想が滲み出ていたら、すみません。

知らない人のために補足すると、ラブライブとは…

…ごめんなさい、自分には説明が難しいです。
ラブライブって何なんですかね?

というか、これをズバッと言い切るのって難しいよね、というのが趣旨の文章になります。

自分の背景を語っておくと、自分はラブライブ初代アニメ1期頃から入ってスクスタ2ndシーズンあたりでサヨナラバイバイしています。察してください。

なので、近年の作品の実情はうすーくアンテナ張っている程度であまりわかっていないです。(今回の一件から目に入ってくる情報からの印象とそう変わりはしないのだろうな、という気はしています)

お気持ちに対する批判について

さて、自分でも上記のnoteとそれに対する反応をいくつか参照してみたところ、批判は色々あるものの、追っていないとわからない要素を除くと確かに以下に類する意見が多いようです。

・声優に興味がないのなら何故蓮ノ空に?
・ラブライブはアイドル声優コンテンツだから合わないなら離れるべき

批判している彼らからすると自分たちの楽しみ方を面白おかしく真正面から否定されていることになりますから、目に入れば批判や反論もしたくなって当然でしょう。

ただ一方で、当たり前の話ですが、受け取り方や楽しみ方は人それぞれです。
疑問に思うまではともかく、他人の楽しみ方を否定する権利まではないはずです。
好きに理由はなくても良いんです。
それを他人に押し付けなければ。

自分は元々のんびりアニメやゲームするのが好きでイベントやライブなんか行ったこともないようなタイプだったので、当然のようにキャラクターありきで考えていましたし、キャストのブロマイドなんか売り出した時は何ズレたことやってんだって思っていました。

じゃあ、何が正解なのかって話なんですけど。

ラブライブって何?

今でも覚えている印象的な過去のツイートがあります。
確かμ'sのファイナルライブ前後で、μ'sの活動が実質休止になることを受けてのものでした。

細かい言い回しは流石に覚えていませんが、
「μ'sを追えなくなるのなら、我々ラブライバーのすべきことはAqoursを応援することなんかじゃなく、μ'sキャストの個別活動を追うことだ。なんでこんな簡単な話がみんなに通じないんだ」
という趣旨でした。

当時は内心何バカなこと言ってるんだと憤ったものですが、しかし彼にとってはそれが当たり前であったのです。

そもそもの捉え方が違うのです。
彼にとってラブライブとはあのキャスト9人の活動によって成るものであって、他の誰でも代わりになどならない、だから個別になったとしても当然そちらを応援するのだと。

しかし自分はそうは思いませんでした。ものの見方が違う、それだけの話です。

もしかしたらラブライブらしさというのは、人の数だけ答えがあるのかもしれません。
絶対的な正解なんてないんです。

一時期テレビでラブライブがよく紹介されていた時、「キャストとキャラクターのシンクロパフォーマンスが人気の秘訣!」みたいな見出しになることがよくあって、いまいち同意が得られずみんなが微妙な反応をしていたのを思い出します。

「何言ってんだ!昔からこういうコンテンツだったろ!」という意見は極端な話、あなた(とその周りの人)にはそう見えていただけという話であって、違う見方で捉えていた人もきっとたくさんいたのです。

キャストが先かキャラクターが先か、なんてよく論じられているようですが、その人の経験やコンテンツへの入り方が複雑に関連し合って醸成される考え方なのであって、共通認識にできるわけないです。

でも、(特にμ'sの頃は)ラブライブにはそれをまとめて飲み込むほどの熱量と勢いがあったと思いますし、ライブに興味がなくたって、なんならキャラやキャストをしっかり覚えていなくても、色々な楽しみ方をする人がいたと思います。

その懐の深さに飲まれたからこそ、自分も絶対ライブなんか行くタイプじゃなかったのに、気づいたら現地でペンライト振ってたわけです。

その熱が永遠に続くわけなんてないですが、自分を始め多くの人々の心にはあの頃の「ラブライブが好きだ」という気持ちが今でも残っているのだと思います。

思うに、「自分に合わない」と感じていながらもシリーズを通して応援しているファンの方々は、作品群から「ラブライブ≒スクールアイドルは素晴らしいものだ」「これからも続くスクールアイドル達の活躍を応援していきたい」という強い意志を受けとっているのだと思います。

合わないと感じたら切り捨てることもできるはず。でもそうしない。好きだから。

それを「愛」と呼ぶのか、もしかしたら「依存」と呼ぶのか、それは分かりませんが、その感情は本物だからこそ、自身が楽しく思えるコンテンツのあり方とのズレに苦しみ、時に漏れ出た意見が今を楽しんでいる方々の目に留まり、時に議論の元となっているのかもしれません。

友人の類似発言について

自分もそうやって応援していきたいとは思っていましたが、距離を置くきっかけのひとつになった発言がありました。

当時の自分はスクスタのアレやコレでだいぶ参っていて、まぁ遅かれ早かれ他界するだろうという状況だったのですが、まぁとてもニジガクのライブなんて行く気は起きませんでした。
それでよく一緒にライブに行く友人にふと思い立って現状を打ち明けたのですが、彼から帰ってきたのは次のような言葉でした。

「声優のライブに行ってこそのラブライブだろ」
「お前は楽しもうとする努力が足りていない」
「見たくないものは見ずにライブを楽しめば良いんだ」
と。

受け取り方だけでなく、受け手側のあり方についても、人それぞれ考え方は違うんだなと実感した発言でした。
彼は昔からライブ通いが好きで、好きなものを好きでいるための努力を惜しまないストイックなオタクでした。
そんな彼にとっては声優の活動を追わないのは「努力不足」であり、「楽しむ気がない」と評されてしまうのです。

ゆるく応援しながらも自分に合う形の楽しみ方を模索していた自分にとっては、哀しい言葉であり。
それをきっかけにコンテンツとの向き合い方についてしばらく見直すようになり、離れるに至りました。

もう声優の追っかけに興味ない層は楽しめなくなって、人それぞれの楽しみ方は許されなくなったのかもしれない、と。

今回批判している方達も、あの時の友人と似た考えを持っているのではないかと思います。
「蓮は声優のライブを楽しんでこそのコンテンツだ」「昔からこれでやってきているんだ」「好きになれないなら黙って離れるべき」だと。
実際そういった意見が大半かもしれないですが、それに同意できない人はやはり彼らには受け入れられないのでしょう。

あの時感じた寂しさの原因は、どうやら今も根強く残っているのだな、と感じました。

マイノリティであることを感じモチベーションが保てなくなった、という方もいますが、その多くは自分が少数派であることそのものよりも、自分の楽しみ方自体を否定され続けているように感じていることが原因…なのかもしれません。

おわりに

インターネットで意見をぶつけ合ったって他人の常識が変えられるわけではないし、かといって合わないものを押し付けても人は離れていくだけでしょう。

だからこそ、色々な楽しみ方ができる展開が始まったらもしかしたらまた楽しめるかも、と思うことはあるのですが、
「なんか凄い新しいことやり出したぞ!」という第一印象を受けた蓮ノ空が結局「声優ライブを楽しめないなら黙ってどっか行け!(意訳)」と言われてしまうようなコンテンツになっているというのは(運営がそういう方針でいるのか、オタク側がそれ以外を許していないだけなのかは外野には分かりませんが)、何とも寂しいなぁと感じる次第です。

リソースが限られているなら、強みに注力するのは当たり前なので、そのこと自体はもう諦めているんですけど。

ただ、もう今でも落としどころが見つからず宙に浮いたままの、ラブライブを好きだという感情が、ちょっと刺激された話でした。おわり。

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