どこまでも聞こえるように大きな声で弾けて。

その森には今日も鳥の鳴き声が響いていた。
ピヨピヨというものもあればクァクァと街中では聞き馴染みのないものも聞こえる。
私、根田裕信はこの森にもう5日は篭っていた。
初めは出来心だった。
毎日毎日先輩に叱られ、お客さんには自分とは関係のないことで小言を言われ、私にとってバイト先のカフェは最も忌み嫌うものとなっていた。
それ故に私は街を出た。小さな街の小さなカフェ。
都会の人からすれば憧れるようなそんな場所が、私にとっては苦だっだ。
田舎の人間の嫌味を都会の人は感じることさえできない。子どもの頃に父親に連れられたそこは、初め憧れの場所だった。
しかし、今となっては毎日顔を合わせる先輩と、毎日来て一つ一つの些事に嫌味を言ってくるマスターの古くからの友人の常連。
この場所から逃げたとすれば、一瞬で街の中にはそれが届く。私は小さなカフェの店員すらできない出来損ないの大学生だというレッテルが、街中に伝わっていく。
時候は幸いに夏休みだった。
通学に片道1時間半をかけて必死に単位をとりに行く必要はない。
それ故に私はシフトの休みをついて、森へ出かけた。

森の中は思ったよりも音が多かった。
誰もいない静かな場所で。そんな頭の中の森はここにはなくて、そこは鳥や虫やその他の生物の住処として賑わっていた。
そこには活気があった。祭囃子さえ聞こえてきそうなほどだ。
私はもとめていたそれではなかったけれどすっかり気に入ってしまった。
田舎のカフェとは違う開放的な祈りの声たち。あそこと違って僕は求められていないけれど、拒絶もされていない。求められずとも拒絶されない、その環境に私は心を奪われた。
一歩、また一歩歩くたびに私の足音が聞こえる。枯れ葉を踏んだ音、落ちた枝を踏んだ音。土を踏めばズジリと音が鳴るし水たまりの上を歩けばビシャリと音がする。
意味もない。目的もない。それなのに私の足は次に次にと前へ進む。何度歩いても、どこを歩いても革靴とコンクリートが触れ合うことがないその場所を歩き続けた。

気がついた頃には陽が登っていた。私は瞼を閉じ、ただ音を聞きながらに歩いていたからか、夜が来ていたことすら気づいていなかった。いつの間にか、日を跨いでいた。
今が何時かはわからない。でも、私は今、確実に今日のバイトをサボっていることがわかっていた。森が告げる音は、太陽の示す影は昼時を回っていることを教えてくれる。
私は初めてサボってしまった。
でも今はそんなことはどうでもいい。

パチン

何かが弾ける音がした。
パチン。パチン。
その破裂音は私の歩みに合わせて前へ進んでいる。
また聞こえる。
パチン。パチン。

もう幾度とこの音を聞いただろうか。
私はこの見知らぬ男に向けて足を進めている。
そうして、4度は朝を告げる鳥の鳴き声を聞いた。
私はこの音に合わせて、5日も森にこもっていることになる。

パチン。パチン。

_____

音が止まった。
私の歩に合わせてなるものはもうない。
ただ、ここに足を踏み入れたあの日のように、鳥や虫の声だけが響いている。
ここ何日もその音だけを目指して生きてきた私にとって、それは私の死の一つにすら思た。
今ここで、私は音と共に死んだ。

5日ぶりに目を開ける。
そこは死後の世界だ。私は逃げることを恐れた。それによって周りから蔑まれるのを恐れた。
そうして入った森で、私は死んだのだ。
死の幸福はどれほどだろう。どれほどまでの色が私の目には入ってきたのだろう。
そしてなぜ、私の目の前には大きな大きなフライパンがあるのだろう。

パチン。パチン。

音はまた弾けた。私の足の動きとは関係なく弾けた。

パチン。パチン。

私の開かれた目に映るのは、大きな大きなフライパンの上で踊るポップコーンだった。

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