澤村さん

私は私の大好きな人が私に大好きと言ってくれることが好きだ。
健二はもちろんだし、ママやパパにも言われたい。もし犬が人語を話せるようになったとしたら、ノンノにも言われたい。だって、高校に入るまでのご飯当番は私だったし、いつもかわいいって言って撫でているもの。きっとノンノも私のことを好きでいてくれる。
でも、毎日大好きと言ってくれるかというと、そういうわけではない。ママはパパの愚痴を言う時ばっかり饒舌になって、私のことを褒めてくれるのは、私がテストで全校10位以内に入った時だけ。その時だけ「さすがママとパパの子。大好きよ。」と言ってくれる。パパに最後に大好きと言われたのはいつか覚えない。パパはもうずっと朝早くに家を出て、日を跨いだ後に帰ってくるから話すことはほとんどない。会ってもいつも疲れた顔でぼーっとしているから、私は私から話しかけるのをやめた。いつかまた、公園や水族館に毎週のように連れて行ってくれたあの日みたいに「かわいいな。大好きだぞ。」って言ってくれるようになるまで私は待つことにした。大人の世界はわからないけど、パパは今忙しいだけだと思うから。
健二は私に大好きと言ってくれる。誰よりも大好きと言ってくれる。私は健二を大好きだし健二も私を大好き。初めての時は成り行きだったけど、後ろから抱きついて、何度も何度も好きと言ってくれた。私はそれが嬉しかった。だから健二とそのまま付き合うことにした。
健二は学校では話してくれなかった。もっと話したいと相談したこともあったけど、「男には男の階級がある。女とばかり話していると馬鹿にされて階級が落ちる。」と教えてくれた。
だから、それ以来無理に健二に話しかけることはやめた。それでも、その時が来ればまた後ろから大好き大好きと言ってくれるから、それでよかった。
2年生の夏、私の成績はガクンと落ちた。
健二は野球部で、どんどん忙しくなって会えなくなっていった。それで寂しくて、大好きって言って欲しかったのに、毎日今日は無理と言われ続けて、いつのまにか私の成績は落ちていた。
ママは最初こそ怒っていたけど、途中から、何も言わなくなった。私に愚痴をこぼす相手としての価値も無くなったみたいに話しかけても来れなくなった。
だから健二とママにまた大好きって言われるために勉強したけど、ダメだった。
美波は私の1番の友達だった。健二みたいに私に大好きとは言ってくれないけど、「親友だもんね?」と言ってくれた。これはこれで嬉しかった。美波の成績は良くなかったけれど、私と違う価値観の子にに触れるのは楽しかったし、宿題を見せた時にありがとうと抱きついてくれるのはけんじを思い出して安心感があった。
あぁ、美波も私の大好きな人なんだと思えた。
美波は2年の春から化粧をするようになった。どうしたのと聞いたら、お母さんのを借りたんだと教えてくれた。この後、人に会うから綺麗にしたい。美波はそれから毎日化粧をしてくるようになった。私は美波と一緒にいる時間が減ったけど、美波には私の知らない美波の人生があるからしょうがないと考えた。そして、健二からも美波から離れてしまった寂しさを紛らわすようにアプリを始めた。
最初は面を食らった。私の知らない、会ったこともない人が私のことを褒めて大好きと言ってくる。私と同い年ぐらいの人から、パパよりも年上の人からも毎日何十件とメッセージが来た。正直怖かった。こんなにも怖い大好きがあるんだとこの時初めて知った。私が好きな大好きと言う言葉は、あくまで私からの好意がある人からのもののみなんだと気づいた。もちろん何人か同年代でいい人はいた。でも、その人たちと会ってしまうと、健二が部活を頑張っているのに浮気をしてしまうんじゃないかと思って会うことはしなかった。私が唯一会ってみたのは澤村さんだけだった。澤村さんは36歳のおじさんだったけど、他の人と違って私に大好きと言ってくることはなかった。ただただ、私の成績が落ちていること、健二や美波に会えなくなっていることを親身に聞いてくれた。澤村さんは私を決して否定することはなかった。いつも私の話に相槌を打ちながら、こう言うことだねとまとめてくれて、私の中でもうまく言葉にできなかったことが、澤村さんの口からスルスルと出てきてくれてすごく感動した。もっともっと澤村さんと話して、私は私について知りたかった。だから、5月末の中間テストの前に一度会ってみた。澤村さんはどことなく記憶の中のパパに似ていた。今のくたびれたパパじゃない。私と遊んでくれたパパに。だから実際に会ってみてもすごく話しやすかった。電話口と同じように、私のことを私以上に理解して話を聞いてくれて、パパのような優しさで私に微笑んでくれた。だから私は、澤村さんにも大好きと言って欲しくなった。私の大好きな澤村さんに、私のことを大好きと言って欲しかった。でも、どうしたら言ってくれるかが分からなかった。ママは勉強を頑張れば大好きと言ってくれたけど、パパが言ってくれたのはずっと子どもの頃だった。美波は大好きと言ってくれないし、無条件に私のことを大好きと言ってくれるのは健二だけだった。でも、いくら年齢が離れているとはいえ、健二と澤村さんを同列に並べてしまっては浮気になってしまうんじゃと躊躇した。でも、美波は言っていた。年上の人を喜ばせるのは私たち若い子にしかできないんだから、これは私の使命なのと。それに健二にはもうずっと会えていなかった。ママは落ちた私の成績で褒めてくれることは無くなった。だから、私は健二が初めて大好きと言ってくれたあの日のように、澤村さんと過ごした。

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