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公安調査庁は同業他社

 2013年3月6日のことである。筆者は、シンポジウムを開催するユーラシア研究所のボランティアスタッフとして、受付をしていた。
 
「あっ!」
 
 筆者の顔を一目見て、その方は、声をあげた。
 
「ご来場、ありがとうございます」
 
 筆者は、誰だったのだろうかと頭の中を「検索」した。
 
「はじめまして」
 
 ホッとした。なんだ、初対面なのか。顔をおぼえるのを苦手としている筆者が、また粗相をやらかしたのかと焦っていた。名刺の会社は、
 
「公安調査庁」
 
 とある。
 
(ああ、「コウチョウ」か。同業者と「こんにちは」したことになるな)
 
 サラっと頭の中をかけめぐった。大阪府警外事警察のカウンターパート(警部補)と毎月酒席をともにしているが、警察の公安と公安調査庁とは無関係なのに、「公安」と略称が同一なので、公安調査庁は「コウチョウ」と呼んでいた。筆者との間で警察の「公安」(略称「ハム」)が出てくることはほとんどない。
 
 酒席といえども、会話が外部に漏洩しないように、「個室をとる」とか、「店員さんが入ってきた頃にお互いに談笑しているような演出をする」といった筆者流の「保秘」をするのだが、公安調査庁のことは、「校長先生」と隠語を使っていた。拙著
 

 
に登場する、長門・三好のリアルのモデル人物との会話では、「校長先生」という隠語で通用していた。文例。
 
長門「『コウチョウ』とウチは、よく共同作業をしますよ」
三好「『コウチョウ』は仕事が『あらい』と、ウチでは言っていますね」
筆者「『校長先生』の動きはどうですか」
 
 公安調査庁は、法務省に所属する。ネームバリューは非常に高い。そういえば、筆者(1980生)の同学年の公務員志望者のうち、何人かが「『公安』に行きたい」と言っていた。
 
「『公安』は、名乗ってはいけない、らしい」
 
などと言われていたが、その日、筆者は、受付で名刺交換をした。人当たりのよい人物である。仮にAさんとしよう。この年(2013年)に、筆者は異業種交流会の幹事をしていたのだが、2013年・2014年とよく見かけることになる。

【追記。2023.12.14.公安調査庁をとりあげた本稿へのアクセスがのびています。今までなら単に「公安」だったのですが、法務省に所属する「公安調査庁」。警察庁・47都道府県警察の「公安」(ちなみに筆者は公安の部分集合の「外事」の協力者でした)。「公安調査庁(法務省)」だけではなく、「警察の公安」については2023年11月にアマゾンKindle(電子書籍)で「出版」した拙著があります。読んでもらえると、嬉しいです。】

 
 話しかける相手を出会う前に「知っている」ようで、異業種交流会の聴衆席でも、狙いのビジネスパーソンにたまたま隣に座るというキッカケをつくって、話しかけていた。話しかける人物は、『日本経済新聞』や『ロシアNIS調査月報』『ボストーク通信』『月刊ロシア』などに登場した会社に所属する人物だということが、高い確率であった。もっとも、ロシア業界の世界は狭いので、会社名が出たら、それを誰が担当しているのかはわかるということは、よくある話である。
 
 筆者は、彼にとって、話しかけるほどではないにせよ、初対面の挨拶(名刺交換)をかわす前に、先方が筆者の顔を認識していたというほどには、注目されていたのだろう。・・・・・・今ではTwitterやnoteにも実名とコードネームを出しているが、大阪府警のカウンターパートとやり取りしている情報を学会で報告することも論文で実績を積むことも当時は(暗黙の約束で)不可能だったが、秘密が守られるからこそできる下積みをすることができた。オモテの顔は家庭教師。
 
 筆者にとって、「公安調査庁」は、いつも会える同業他社だった。警察庁と法務省。指揮命令系統も異なるし、ましてや、民間協力者の筆者にとっては、取引先の「営業」を間接的に荒らすようなことはしない。異業種交流会の幹事をしながら、はたまた、ユーラシア研究所のボランティアスタッフをしながら、
 
「公安調査庁のAさん、今日は、来ていないかな」
 
と、席の離れた友達のような感覚だった。
 
 2014年12月5日。
 異業種交流会の忘年会。
 公安調査庁のAさんは、共同通信のBさんに話しかけていた。Bさんは、2014年の異業種交流会の勉強会講師の一人。聞き出したい情報があったのだろう。Bさんの勉強会に出席していたかどうかは知らないが、情報収集のネットワークの網にひっかかったのだろう。立食形式の忘年会。キーパーソンに話しかけることができるかどうかは、胆力次第・・・・・・ナンパできるかどうか。ちなみに筆者はナンパの経験はないが、気になる女子に突撃して玉砕したことならあるから、こわいものなしである。
 
 筆者が、公安調査庁のAさんに話しかける理由。それは、異業種交流会という社会人の席に、焼鳥屋で親しくなった男子大学生の就職活動の手助けをすること。「公安調査庁」の名刺は、彼(C君)にとって小田急町田駅から京王井の頭線を乗り継いだ交通費のモトをとれるだろう。
 
 Aさん(公安調査庁)とBさん(共同通信)の会話をうかがう。モスクワのローカルな話題で談笑し、Bさんが勉強会で話した
 
「海外での駐在。大使館主催のパーティーは、どんな手をつかってでももぐりこみたいところです。担当であるかどうかはあまり考えません。『担当』などと考えていては、マレーシア大使館で北朝鮮大使にインタビューする機会なんてなかったですから」
 
 閑話。金正日の長男が暗殺されたのは、どこの国の空港だったでしょうか。
 
「『ゴミ箱あさり』は、記者にとっては貴重な情報源です。金正日が本当に『まるちゃん』のカップラーメンを食べているということとか、まぁ大きな声では言えないのですが、英国製のiPhoneであればシャッター音が出ないから金正日の画像を撮影できるとか・・・・・・まぁ、記者も大変なのですよ」
 
 と公民館で話していたBさん。公安調査庁のAさんが接近してきても、たじろがない。フレンドリーに談笑している。Bさんは大物記者だから、公安だろうと動じない。警察は、お友達。駆け出し記者の頃には、サツマワリといって警察署をまわってニュースがないか行動していたと考えるのが一般的だろう。
 
 筆者は、ウェイター・ウェイトレスが飲み物を立食のあいたグラスや皿をあげさげするタイミングで、二人から距離をおく。彼(彼女)らはすぐにUターンして厨房に戻るのだから、その瞬間に、筆者は二人との距離を一歩つめる。当日は72名の大盛況だった(昨年は同じ会場で49名だった)から、彼(彼女)らは、いれかわりたちかわり会場を行き来することになる。彼(彼女)らが忙しく立ち回るのを利用して、そのたびにAさんとBさんとの距離を縮めていく。そして、談笑のタイミングで、一緒に笑い声をあげられる距離に近付いたら、声をかける頃合いをみはからうことになる。
 
 公安調査庁のAさん。気さくにC君とのインタビューに応じてくれた。
 
「A様。彼(C君)は、青山学院大学のX学部、表参道にあるキャンパスではなく、町田市近くの淵野辺というところにあるキャンパスで学んでいるのですが、就職活動の練習として連れてまいりました。名刺交換をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「いいですよ。……でも、ビックリしないでくださいね」
 
AさんはC君を見て名刺を差し出した。
 
 C君は、一般的な大学生なのだろう。
 
「……公安、ですか?テレビとかで出てくる、えらい人ですよね?!」
「いえいえ、私なんてピラミッドの末端の一番下の方ですよ(笑)」
 
Aさん、普通の学部生にそんなことを言ったら言葉通りに受け取られますよ、っていうか、本物の「公安」を見てC君はビックリしていますよ、と筆者は心の中で思っていた。
 
「NSA……とか、ですか?」
「あぁ、NSCには情報を吸い上げられるばかりで、私のような者はひたすら情報を上にあげているだけですよ(笑顔)」
 
C君の「NSA」発言を華麗にスル―して、紳士的に言い直すという紳士的な対応をしたAさんは、完全に周囲にとけこんでいるなと筆者は感じた。しかし、「NSC」が日本版なのか本家米国のものなのかはこのままだと不詳のままに終わる。なお、今(2022年6月)では「NSS」という呼称が人口に膾炙しているが、2014年当時は、防諜業界では「NSC」という呼称が一般的だった。
 
筆者としては、C君の「公安体験」の時間も稼ぎたかった
 話をつないだ。
「一般的には、『情報等価の原則』といわれますから、御社(公安調査庁)とNSCの間で等価な何かがあるのではないですか?」
「ないですね。吸い取られる一方の、不公正な取引です(笑顔)」
「滅相もないことです。……ところで、就活中のC君、公務員試験も考えるかと思うのですが、A様はどのようにして入社されたのですか?」
「広島の支社から入りました。その後は転勤で全国をまわされて、ついでに大使館で勤務もしたりして色々とばされました。組織も色々ですよ
 
「大使館」はサラっと話されたが、Bさん(共同通信)との会話の中でモスクワのローカルネタ(地名・番地・通りの名前)を出していた。Aさんが上司に報告をあげる本命事項は、「(在モスクワ)大使館でのパーティーは情報入手にとって絶好のチャンス」というネタのもよう。
 
Aさんへの筆者接近の口実は、「C君への就活情報提供」。
 
「大変参考になる情報、ありがとうございます。ところで彼(C君)は熊本出身なのですが、熊本での採用はありますか?」
「あるかもしれませんが、さすがに最初は福岡での勤務になると思いますよ」
「C君にとっては『出向』といえば、『半沢直樹』(2013年放送)のイメージ(『出向=左遷』)が強いかもしれませんが、A様のキャリアパスのお話、とても参考になると思います。……可能であればということでよろしいのですが、彼がA様にメールをお送りしてもよろしいでしょうか?
「いいですよ(笑顔)」
 
「Cさん、メールアドレスが名刺に記載されているか確認してごらん?」
「あ、書かれていないですね」
「では、書きましょう。ボールペンとかありますか?」
  
筆者はボールペンを差し出した。
 
 
 その翌週。新百合ヶ丘で大阪府警カウンターパートと忘年会をやった。
 リア充空間・年末の新百合ヶ丘。
 
「コウチョウのAさんが話した内容、特に、キャリアパスの話は、さすがにカバー(偽装)でしょうね」
「いえ、案外、本当だと思いますよ。四六時中、会社の人間を演じていたら、私たちもやってられませんよ」
 
 同業他社の動向。わたしのすきなことばです


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