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非科学的自殺予防:自殺未遂経験(2003.05.25.)

 2003年5月25日。
 
 筆者は、会社の寮の最寄り駅であるJR武蔵境駅に向かった。
生還後、会社の同期(親友の中の親友)に、「疲れた」からやろ、と言われた。
 筆者の語彙力の範囲では、「疲れた」からではない。
 どのような心境だったのだろうか。そもそも言語化できる状態ではなかった。
 
 プリペイド式のカード残高が130円に満たなかったので改札機を通過できず、券売機で切符を購入しなおし、改札機を突破してからは階段を走り降りて一直線・・・・・・思い直そうと「努力」した記憶にないが、目の前をオレンジ色の車両の中央特快が猛スピードで通過したのはおぼえている。「中央特快」の行き先案内板の「青色」は、何度も思い返す。あの「青色」が、筆者を(おそらく)「死」から跳ね返した。
 
 筆者は、医師でもカウンセラーでも宗教家でもない。
 あの「青色」が筆者を救ったと、なんの根拠もなく感じているだけだ。
 しかし、「信じる者は救われる」のだろうか。
 あの瞬間から20年の今、おそらく生きている。
 死んでいるかもしれないが、noteの投稿予約をした時点では、生きている。
 
「私は、なぜ、あの時、死ねなかったのか・・・・・・」
 
 何度も、こう思った。
 
 いつの頃からか、「こう思う」ことがバカバカしくなった。
 「成就」したら周囲に迷惑をかける。
 
 だから、自分なりの対策をたてることにした。
 筆者の場合、「5月」が苦手なのである。昨年(2022年)には「4月29日」が加わってしまったのだが(「4月29日」といえば親友の結婚式の司会をさせてもらえた吉日なのだが、運命とは残酷なものである)、いわゆる「五月病」というものに縁がない「人生」。「『5月』は危険な月なのだ」と意識してきた。身構えることで、筆者が「突発的なこと」をしないように。
 
 とりあえず、今年(2023年)は、乗り切れる。
 筆者の場合(あくまでも(おそらく)属人的で非科学的なのだが!!!)、アニメ『推しの子』(第6話)の描写に救われた。アニメ『推しの子』を推薦してくれた友人に感謝したい。
 
 このような日記を公開すると、間違いなく筆者は敬遠される。
 「社会的に望ましくない人物」とレッテルをはられることは想像にかたくない。
 しかし、2003年5月25日のあの時の心境(?)がなかったことにされるなら、書いてしまおう。なかったことのように綺麗にされるのは、それほどにつらい。
 
 こんな忌まわしい記憶がある。
 かつて友人だった某君。彼のもとに、つねならぬ訃報が届く。
 
「このような不幸が起きることがないように、お前(神谷:かみたに)の話を聞きたい」。
 
 彼が、特段に悪人だとは思わない。
 おそらく、「普通」の人間なのだと思う。
 
 筆者が絶交を告げた際に、彼からの電話口の向こうからのセリフは、こう。
 
「いつも、いつも、ネガティブなことばかり言いやがって!」
 
 いや、彼を「大切な友人」だと思うからこそ、彼とその周囲から少しでも不幸の芽をなくすことができればいいなと思って、「ネガティブ」なことを積極的に伝えていたのだけれどね。
 
 さて、2023年5月。
 報道等で、安直なコンプラ対応なのか、厚生労働省のホットラインなどの連絡先が同時に添えられるようになった。前文を悪意ある文体にしたのには、相応の(主観的で属人的で長い文脈を必要とする)理由があるが、これは割愛する。割愛したのにはこれまた相応の理由があるのだが、絶縁した「某君」に対してほかならぬ筆者が「おそらく、『普通』の人間なのだと思う」と表現したことからお察しいただきたい。
 聞きたくないことは、耳にいれようとはせず、拒絶しようとするのかな。
 
 ところで、アニメ『推しの子』。
 第1話を視聴した時点では、ドストエフスキー『罪と罰』から着想を得たものだと想像した。「復讐」という発想を正当化し、それを実行し、それと向き合うというシナリオ・・・・・・・、筆者は信じている、第1話だけをみれば、誰かは、きっと同意してくれるかもしれない、と。
 
 その後の20年。筆者の時代と周囲の環境は恵まれていた。
 「警察のスパイになって、その正体を秘匿し、コードネームで呼ばれるような『会食』をしつづけ」たのだから。
 自らの体験をかかえながら「余生」を耐え忍ぶくらいなら、謀略と信頼と不信に生きる方が楽しかったと、今生最期に思うのではないだろうか。


 
 今は、この生き方は制度的に不可能だと思われる。
 特定秘密保護法などの法整備がされて、セキュリティ・クリアランスが徹底されるようになると、自殺未遂経験のある筆者はインテリジェンス・コミュニティに関わることができない。生命保険にも加入できないし、住宅ローンも組むことができない。
 皆さん、大好きですからね、「コンプラ」が。
 「コンプライアンス」といえば「法令『遵』守」と非常用漢字を使ってでも背筋を伸ばして接するものだと思っていたのが、2002年に就職活動を行っていた筆者の認識だった。人口に膾炙すると、その言葉の意味するところと、世間で、「普通」に扱われる重みはかわっていくもの、なのかな。


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