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小笠原晴香生誕祭2021(大阪明星学園97G)

To: #小笠原晴香  部長!

『響け!ユーフォニアム2』のライバル校は、「みょうじょう(大阪府)」なのだが、筆者は明星(めいせい、大阪府)OB、97G。モデルは別の学校のようだが、まぁいいだろう(←よくない!、という意見は正論)。吹奏楽部は、母校での呼称の「音楽部」と表記する。

 『響け!ユーフォニアム』の滝先生初登場の場面で「正しくは『地獄のオルフェ』」というセリフがあるが、『響け!ユーフォニアム2』の主題となっている「ダッタン人の踊り」というのは、歌劇『イーゴリ公』にある”Polovtsian Dances”であり、「ダッタン人」というのは誤訳。「ポーロヴェツの踊り」という言葉を知っていないと、外国語で曲名が表記された音源にたどりつく機会が激減すると思われるので要注意。

 『響け!ユーフォニアム2』の作品の中の世界では、「ダッタン人の踊り」は、「ポーロヴェツの踊り」ではなく、「ダッタン人の踊り」で良いと思う。第1話からじっくりと描かれるのぞみとみぞれの物語。のぞみは「戻りたい」といってそれを拒絶された末に受入れられるストーリー。
 「ダッタン人の踊り」は歌劇『イーゴリ公』の一部だと先に書いたが、この曲は、(英雄的に描かれる)敵役が、虜囚となった主人公たちを、奴隷たちの舞踊によって饗応するくだりで演奏される。女奴隷たちの哀切の歌の歌詞を一言でいうなら、「望郷」。のぞみの「吹奏楽部に戻りたい」という気持ちと関連があるなら秀逸な演出。

 男・女・混声の奴隷によっての舞曲が「ダッタン人の踊り」で『イーゴリ公』の最大の見せ場でもあるのだが、その哀切と勇壮のコントラストと秩序調和した乱舞は劇場の聴衆を興奮の渦にまきこむ。強豪校「みょうじょう」は「ダッタン人の踊り」を選曲し、北宇治高校は舞台袖でそれを聴いていったんは動揺しながらもたてなおして一つにまとまっていくのだが、本番に向かう昂揚を表現しているのは『響け!ユーフォニアム2』の愁眉。引き立てる「みょうじょう」のモデルが我が母校なら(←違うらしいが)、嬉しい。

 お前ら、他校の生徒にこんな風に見られてたんやな。同級生として誇らしい。

 筆者自身は、英語部部長として高校1年の春から高校2年修了までそれなりに頑張ってはいたけれど、自分自身のことで精一杯だった。リアルみょうじょうを「大阪明星学園」(大阪市天王寺区)とするならば、中高一貫の男子校。音楽部は文化部の中でも常に意識させられる存在だった。英語部といえば「英語の成績で常に首位をとる」のでは同級生からは認められない。筆者自身は、英語の成績はそれほどでもなかったが、「部活で何をやっているのか」と問われなくとも、学校生活の折に触れて活動内容(演奏)が伝わる音楽部はうらやましかった。

 筆者が在籍した当時の大阪明星学園(1992年4月-1998年3月)では「校長先生の話」は長くなかった。いつ終わるともしれない部活動表彰を中心に全校朝礼が構成されていたからだ。英語部と部室が隣だという縁で美術部と仲が良かったのだが、コンクールで作品が入賞すると「校長先生に題名が読み上げられる」ので、どれだけネタになる題名をつけるのかという基準で「作品」をコンクールに出品し、受賞していた。

 音楽部がどのような表彰をされていたのか、正直なところおぼえていない。部活紹介は中1と高1向けに講堂で行われるが、演奏をすれば活動内容を理解してもらえるのは、わが英語部ではとうていまねのできない芸当である。筆者が高2の時、大演説をして万雷の拍手喝采を浴びて部員2桁になって、やっと活動できたというのが正直なところである。声の大きさと響きだけなら首相になれる。戦前生まれの人生の先輩に言われたこともある(2010年)。

 筆者は、小笠原晴香のような「部長」ではなかった。怖がられていた。中学生の部員が退部を申し出た時、彼は筆者と同級である「先輩部員」に話をつけた上で、部長である筆者にやっと言い出せたということがあった。部長が、部長らしく、堂々として怖がられるよりは、泣き虫部長の小笠原晴香のような部長の方が、彼には良かったと思う。部員一人一人が自分の思っていることを正直に話すには、小笠原晴香に部長でいてほしい。筆者自身の生き方として、他人にどちらかといえばおそれられる存在として敬遠されているのは知っているし、それが私の生きる道だとも思っている。自身にないものをみるのが、「小笠原晴香部長」なのだ。

 大阪明星学園在籍当時の筆者の場合、先輩には敬語さえ使っていれば同等に扱ってもらえた。中1の時に演劇同好会に入った時には、高3の先輩の教室へ通っていたので、黄前久美子が田中あすかの教室に向かうほどの勇気も中1の時に克服していた、というよりも日常生活の一部だった。英語部員だった中3の時(高校受験がない)に高2の部長と、職員室の顧問の先生の前で、課題スキットをやりとりする課題を与えられたこともある。努力した筆者は、練習不足の部長に有無をいわせないくらい、「英語」でやりこめた(すんませんでした)。
 英語部の活動拠点の教室は、教頭先生もその存在を知らなかった地下室。教室使用届けを職員室の黒板に書き込んだことで、教頭先生に「そんな部屋があるのか」と尋ねられたくらいである。ある日。教室使用の許可を先にとったことがあった。しかし、他の部の顧問の先生が、職員室の黒板で英語部の名前を無断で消して、使用許可を横取りされた。筆者は、「理」を縦に職員室で口角泡を飛ばして議論をした時、職員室には緊張が走ったことだろう。その顧問の先生はのちに校長となる。英語部顧問のU先生、ご迷惑をおかけしました。

 英語部部長になったら、一度入部した部員を手放すわけにはいかない、やっと部活動をできるような所帯にできたのだから。学園祭で英語劇をやることで「成果」を発信できるまでは、筆者の存在感を教室でも職員室でも発信してはじめて可能になる。息苦しさが部内に占めていたのではないかと反省する。

 部長である筆者の知らないところで、筆者のコネで美術部が夏休みに地下の教室でバーベキューを顧問の先生に内緒でやっていたことは、後から聞いた。学園祭で英語部の英語劇に観客が集まらないのではという声が生徒会であがっていると聞いて、交流のある女子校・共学校に「1枚あれば何人でも入れる学園祭チケット」を発行することができる。そのチケットを顧問・生徒会の許可をとって、他校の女子中高生たちを招待し、筆者以外の部員が学園祭をエンジョイしていたのも知っている。女子中高生を引き連れての接待饗応役はそちに任せた。

 筆者は、学園祭の英語劇を無事に終えて、関係者以外立ち入り禁止の控え室を一人で静かに掃除しているのが性に合っていた。男子校に所属しながら、学園祭での女子中高生(男子もいたと思うが)の接待饗応役を部員の明智光秀(仮名)に任せても良かったのか。史実はどうであれ独善的なにおいのする部長の筆者だったが、幸いなことに「本能寺の変」も「伊賀越え」も起きなかった。「大御所」になった高3も部活で学園祭を楽しんだ。

 筆者がかれこれ英語部をしていた時、音楽部の基礎練習の音出しが、いつもどこかで聞こえていた。当時の筆者。日曜日には1週間の予習のために自宅にこもっていた。大阪城公園のバンドライヴの音が風に乗ってくるのが聞こえてくるのをよそに。でも、それでも気になる、大阪明星学園にとけこんだ音楽部の活動。それが音楽部。どうしたら、音楽部のように部員をまとめることができるのだろう。音楽部に所属する級友(彼のパートはユーフォニアム)に尋ねてみると「内実はバラバラ」だったらしいが、実績はそれとは逆だ。筆者が自宅で予習をしていた頃も練習なり演奏をしていたと思う。

 たしかに、「内実はバラバラ」といった級友は、普段は部活で時間がない。中間試験の部活休止期間を利用して『ドラゴンクエストVI』をプレイして、盛大に勉強不足を露呈しはした。しかし、中間試験でコケれば期末試験で挽回して、大学受験も現役で合格した。ムドー(最終形態)のすぎやまこういち曲は、たぶん彼も知っているだろうし、今の筆者でも知っている。

 修学旅行帰路の飛行機の中で小澤征爾指揮『真夏の夜の夢』(メンデルスゾーン作曲、吉永小百合ナレーション)に感動した思い出を共有しつつ、彼は筆者の前をいって、その音源情報にたどりついていた。バスガイドさんとの交流は、クラスでお別れをした後に搭乗した機内で聞いたメンデルスゾーンで思い出となっている。彼がいなければ、筆者は「N響アワー」を視聴しなかっただろうし、スヴェトラーノフ指揮のチャイコフスキーに感動するあまりVHSテープをすり切れるまで視聴することもなかっただろう。すり切れたVHSテープの再放送がないかと駿台予備校(大阪南校)の公衆電話からNHKとNHK交響楽団に

「再放送の予定はないですか」
「CDを発売する予定はないですか」

 と直談判することもなかっただろう。
 
 音楽部は、私にそれと気付かない形で刺激を与えていたのだ、と今に思う。

【拙著CM(2024年1月5日23時36分追記)】


「大阪にはオーケストラがたくさんあるのに、コンサートに行かないのは、なぜですか」

 大学時代に、クラシック音楽仲間に尋ねられたことがある。

「私の好きな、ロシアクラシック音楽が演奏されないからです」

 当たり前だ。コンサートとCD音源収集の両立は、金銭的に不可能だ。後年の筆者の逸話を紹介しよう。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(TV番外編)に登場する歌姫が、「主人公が恋人に宛ての手紙を、オペラの中で読み上げる」というフレーズを聞き、その恋人の名前が「モデスト」だと聞いた。その台詞を聞いて、反射的に「チャイコフスキー『エフゲニー・オネーギン』の有名な場面。『モデスト』というのはピョートル・イリィチ・チャイコフスキーの弟の名前」だという連想が働くのはごく一部の層にしか受けないからやめておいた方がよい。百歩譲るとして、「『オペラ』と『モデスト』」で連想するのは、モデスト・ムソルグスキーだと思う。筆者は、とんでもないマニアックになってしまったが、引き返すつもりはない。

 自分にないものを、手当たり次第にうらやましがるのはよろしくない。「やさしい」という事象を集合Y、全集合をUと置くと”U-Y≠φ”と数式化することは可能だが、小笠原晴香部長にわかってもらえないことは覚悟している。筆者は、筆者の生き方でこれからも生きていく。ただ、筆者が「うらやましい」ものをもっているのが、小笠原晴香部長の「やさしい」である。

 吹奏楽に関する筆者の思い出といえば、「うらやましい」であり、目標だった。筆者は中高の部活動を通じて、語学の適性がないことを痛感した。写真は筆者の中高生の活動に対して贈られた盾であるが、「頑張る」ことによって達成できなかった指標でもある。天才は努力を必要としない。ただし、今の筆者の周囲(2021)には「英語ができる」と自称できる人は一人もいないことはちょっぴり誇らしい。

 筆者は、「頑張る」ことを通じて、わかりやすいものを手に入れたわけではない。吹奏楽の周辺にいて、あすか派は「アスカーチナ」、香織親衛隊は「オプリーチニク」といった言葉を思いつくほどには音楽好きになったが、筆者は、小笠原晴香機動隊・中隊長でいたい。・・・・・・祝! #小笠原晴香生誕祭2021


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