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花のような人 星のような人

私は先月48歳になりました。人生を折り返してしばらく経ちます。
軽度の障害のある一人息子は22歳になり、就労支援施設で元気に働いています。コロナで一変してしまった世界で、この2年弱の間に、たくさんの方が亡くなって、私の周りでも、8人の人が亡くなりました。
親友のお母様、手伝っている障害者施設の同僚のお父様が2人、施設の利用者さんのお母様が2人、1人の利用者さん、役者の窪寺昭さん、そして神田沙也加さん。
三浦春馬さんや、竹内結子さんや、藤木孝さん、千葉真一さんも、事務所の方が知人だったりなどで、間接的にお人柄を見聞きしている方々でした。
この方々の訃報が轟いた日にも、ステージの本番に挑んでいた知り合いもたくさんいます。彼らを失った日を境に、今日から「彼らのいない世界」なのだという現実に、心が追いつかないまま、日々をやり過ごしている人も多いのだろうと思います。

これから書くことは、障害児の親として、告知を受けた19年前に自分が感じたことと、それから19年の間に変わっていった私の死生観のようなものです。障害当事者の家族として、言葉を選ばず正直に、当時感じたままを書いています。すべての、同じ境遇の方が、同じように感じることでもないことで、あくまで私個人の考えです。


「人の役に立つ人間になりなさい」と言われて育った

大きくなったら何になる? と初めて聞かれたのが何歳だったかなんて覚えていないですが、きっと幼稚園児のときにはもう何度かそう聞かれていて、私自身の一番古い記憶は、6歳のときです。肺結核を患って入院した病院で、看護師さんがとても格好良く見えたから「看護師さんになる」と答えていたのを覚えています。そのあと、買ってもらった百科事典の星座のページに夢中になり「天文学者」と答えた時期もあったし、絵が得意なほうだったから「漫画家」だとか「美術の先生」だとかに揺れ動き、高学年になれば推理小説にはまり「弁護士」や「検事」なんかに憧れたこともありました。
自分は絵が得意らしいという認識のまま、高校から芸大受験の美術科に進学し、芸術短大に進み、そのまま写真とデザインの仕事をかれこれ27年続けて今に至ります。

そんな私が、26歳のときに授かった第一子に障害があると告知をされたときに思ったことは、

この子を育てあげることに何の意味が? でした。

人の役に立たないのに、と。

人の役に立つ人間になりなさい。働かざる者食うべからず。これらは当たり前に言われて育った言葉でした。そして、私はそれまで健常者だけの家で育ち、身の回りに難病を抱えるような方もいなかった。五体満足で、みんな何かしらちゃんと働けている環境で育ったから、自分が障害児を授かったときの衝撃は相当なものでした。
何より、自閉症特有の感覚が過敏になる症状のせいで、当時3歳の息子は世界に怯えて泣いてばかりで、本人が毎日とても辛そうでした。こんなに泣いてばかりで、怖がって生きていくなんて辛いだけだから、一緒に死のう。私がそう考えるのに時間はかかりませんでした。
すぐに家族が私の異変に気づいて、私は心療内科にかかり、鬱病の治療で抗うつ剤と安定剤を処方されました。とにかく「ぼんやりする薬」だったと記憶しています。話したことを覚えてられない。行動を起こすエネルギーも抑えこまれたようでした。思い詰めないように、自殺を決行するエネルギーも奪う、ただただぼんやりするだけの薬です。
7ヶ月で、自分の判断で飲むのをやめました。大切なクライアントとの打ち合わせの内容を覚えていられないのに耐えられなかったからですが、家族だけでなく、そのときの社員2名が私を支えてくれていたのは間違いないです。

受容の5段階

その頃に、大切な人の死や、病気・障害の告知など、人生に起きる辛いことを人間が受け入れていくのには、いくつかの段階を経ると知りました。

「否定」 事実として受け入れず、そんなはずないと考える
「怒り」 どうして私が? と誰かのせいにしたい感情に囚われる
「取引」 神様など目に見えない存在に、奇跡を願う
「抑鬱」 絶望し、気力を失う
「受容」 時間が経つにつれ、それが現実として横たわる日常と共存していけるようになる

私自身が真に息子との人生を受容するのには、10年ぐらいの時間が必要だったように思います。
その間に、いろいろと自分が生きていく上で、理解に苦しむ出来事がありました。沢山の人の役に立った方が無残に命を奪われて人生を終えたり、子供の命を奪った虐待親の刑が信じられないぐらい軽かったり。若かった私には、世界は不快なほどに、理不尽と不条理で満ちていました。
一番は、尊敬していた祖母の認知症が始まったことでした。あんなにも立派だった祖母が、何もわからなくなって、ぼんやりして、子供のようになっていく姿に、人間は何のために生きるのだろう? あんなになってまで生きている意味は? どこを目指して生きたらいいんだろう? 幸せってなんだろう? と、しんどい毎日を歯を食いしばって生き続ける意味が本当にわからなくなりました。

そんな鬱々としたある日に、何の前触れもなく腑に落ちたことがありました。

幸せって「今日」にしかないんだ、と。

大切な人と美味しいものを食べる。綺麗な景色を眺める。美味しい野菜を育てる。ひととき夢中になる音楽や物語を鑑賞する。人が快適に過ごせる建物を建てる。誰かを夢中にさせる物語を生み出したり、表現したりする。そのすべての「人間の営み」には、ゴール地点なんてものはなくて、ただただ「今日」それを「感じる」ことが、人生のすべてなんだと。

それ以来、人間も、植物のように自然の一部だと思うようになりました。
花のように、芽を出して成長し、大きな花を開かせ、やがて枯れて散っていく。星のように、たくさんの数が、静かにそこにあって、気づかれずに消えていく。そして中には、彗星のように大きく美しく煌めいて、その分燃え尽きるのが早い星もあるのだと。

生きていることに意味なんかない。

その事実を、私はとてもすんなり受け入れることができました。意味はないと言われて怒る人もいるのだと思います。だったらなんでこんなに勉強して、頑張ってきたのかと腹立たしく感じる人がいるのも当然です。ただ、生きていることに意味なんてない、意味はいらないと思えた日から、私が息子の障害を真に受容できたのは確かでした。

何者かにならなくていい。
人の役に立たないでいい。
笑っていてくれたらそれでいい。

今日も明日も、花が散るように、誰かがいなくなります。そして誰かが生まれてきます。私たちは自然の一部で、花が散るのも、星が燃え尽きるのも、肉体または魂の寿命なのだと私は考えます。

中には、誰かに踏みにじられて残酷に命を落とす花もあります。
どうしてそんな目に、と思うような悲しい星もあります。
その姿に、何らかの意味を見出し、そこから自分の人生を支える何かを学ぶ方もいるでしょう。人の役に立ちたい、命を救いたいと、活動を始める方もいると思います。物語を紡ぐ方もいるでしょう。誰かを癒すための音楽を演奏する方もいるでしょう。それも、突き詰めれば、今日1日、眠るときに自分を満足させるための、人それぞれの生き方なのだと思うのです。

今日1日、眠るときに自分にそこそこ満足すること。
幸せってそれ以上でも以下でもないなと私は思っています。

自分はよくやっている、と人は思いたいものです。
何者かになりたいと、目指して頑張るものだと思います。
何者かになって、認められて、褒められたい。人間は自然にそう願う生きものだと思います。
そして、誰かの役に立つことは、人は本能的に嬉しいものなのです。
でも、できるなら、何もしなかった自分、頑張れなかった自分、目指す場所に届かなかった自分を否定しないで欲しい。穏やかに眠れる暮らしを維持できるだけの稼ぎで生きていくことも、幸せなことだと知って欲しいと思いました。今周囲からのプレッシャーに苦しんでいる人がいるなら、そう伝えたいです。なるべく加害者にも被害者にもならずに、穏やかに寿命を迎えられる日まで、大切な人と「今日1日を無事に終える」。それだけを目標に、日々を暮らしていいのだと。

夢を追うこと 掲げた夢を下ろすこと

35歳〜40歳にどんな人間になっているかが、大半の人の「将来何になる?」の「将来」の地点で、それ以降の人生は、それまでの成績表を持って、残りの人生をどう生きるかを考えていくものなのだろうと私は思っています。
そこで、子供のころから思い描いた「何者か」になれている人のほうが、少ないのではないでしょうか。多くの方が、毎日の選択の繰り返しでたどり着いた自分なりの居場所にいて、そこが「思い描いた夢の場所」である人のほうが、少ないと思うのです。でもそこが夢の場所であるかは重要じゃないと私は思います。どんな場所にいても、今夜、「自分は頑張ってきたし」とそこそこに満足して眠りにつける人が、幸せな人だと私は思います。それには人にどう思われるかは関係ありません。

幸いにも、今は子供へ「こうあるべき」という断定的な教育をしない流れが生まれてきています。でも私たち大人はまだまだ多くの呪縛に自ら囚われて生きています。未だに根強い古いジェンダーの価値観や、生育過程に刷り込まれた言葉のせいだけでなく、身近になったSNSで、自分以外の人の人生の輝きが、生々しく視界に飛び込んでくるせいもあるでしょう。でも、激しく大きな光を放つ星は、早く燃え尽きてしまうものなのかもという視点も大切に思うのです。

また、一度輝けても、その光がやがて小さくなることを「劣化」「下火」「斜陽」「オワコン」と嘲笑する意地悪な人の声も、ネットの普及で昔より目に入ります。ですが、どんな人間も自然の一部なのだから、永遠に輝いている星などないんです。永遠に咲いてる花もない。だからどうか、自分を自分自身で追い込むことのないように。意地悪な言葉に追いこまれないように。ある時期が来たら、掲げてきた夢を下ろしていいんです。人生の下半期は、自分の幸せと、今夜の穏やかな眠りを第一に優先する選択をしていいんです。誰もが、安室奈美恵さんのように、自分で引退の時期を決めて、次の人生にギアチェンジをしていけることを願わずにいられません。


これは、人生を折り返し、下半期を生き始めた人間がたどり着いた考えで、そこに障害児の母という立場の視点も含まれています。でも、障害のあるなしは関係ないです。「何者かになれ」という他者からの視線と圧力で、幸せを感じられていない人がいるのなら、そこから解放されて欲しいと思って綴りました。

ここ2年で早逝した人たちが、人並外れて努力家の人だったことを、とても辛く悲しく感じています。
だけど、強く強く輝いて、命を燃やすように消えていった魂も、寿命を迎えて自然に還っていったのだと、今はそう思うようにしています。

何者かになれなくていい。人の期待に応えなくていい。
永遠に輝いている星も、永遠に咲いてる花もないのだから、もっと力を抜いて、今夜ゆっくり眠れることを最優先に、自分を甘やかしていい。

誰かにそう言いたくて、勢いのままにこのnoteを書きました。



最後に余談なのですが、先日かつてお世話になった方の遺影を撮ってきました。私は「写真を撮る」という私にできる営みで、写真を受け取ったその人の今夜と、いつかその人を想うご家族を、少し嬉しくしてあげられたらなと、今はそんなことを考えながら仕事をしています。

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