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今日は時間を外した日

岐阜の明るく楽しい養蚕家の
加藤祐里です。

「13の月の暦」では明日から新年です。

今日は「時間を外した日」
去年でもない、今年でもない
どこにも属さない自由な日。

過去を振り返り
未来を描き
自分のあらたな可能性を
感じる日。

今日は養蚕や糸紡ぎの話題とは
関係なく、私の身におきた
この1年を振り返ります。
(長いです)

ちょうど1年前は高3長男(現大学生)が
人生かけた吹奏楽部人生最後の大会直前。
負けたら引退→受験勉強。

コロナ禍では制限があり
せっかく強豪校に入ったのに
思うように活動できず悔しい思いばかり
味わいました。

コンクールは「ダメ金」と言って
県大会で金賞はもらえたけど
東海大会には行けず。
でも、自分の出来る限りの
演奏は出来て納得して引退できました。

そっから、怒涛の受験生。
正直、通っていた高校は私立大学付属という
こともあり外部受験に特化してない
生温く緊張感のない環境で
今さら通える塾もなく
とにかく自分でなんとかするしかない!という
状況のなか、やり切りました。

高校3年間、担任をしてくれた先生が
「加藤君って、頭良かったんだね!」と
褒めているのかそうじゃなかったのか
分からないようなコメントを
してくれたぐらい

受験のプロも真っ青の
想定外の伸びしろで
結果を出せました。

少ないけど塾に行ってなくて
学校に残って一緒に勉強した仲間は
ほぼ100%国立大学合格。

3年間、部活もやらず
塾に行って長男より早く勉強を始めて
模試の結果も良かった子でも
(目指すレベルが違うので
比べる話ではないけど)
思うような結果が出なかった子もいました。

受験は計画的に学力をあげて
志望校を目指すやり方もあるでしょうが
我が家は吹奏楽で培った
根気と感性をそのまま
受験に応用して
規格外の結果を見せました。

3月上旬に合格発表があり
新生活に向けて住まいを探したり
入学準備をしつつ
また部活に戻り卒業公演に向けて
朝昼晩々の練習すること2週間。

自分の担当楽器(コントラバス)は
普段は目立つパートはないのですが
先生が最後ということで
気を使ってくれたのか
かなり強引にソロパートも作ってくれて

ステージドリルでは触ったこともなかった
パーカッションの担当も加わり
卒業公演だけで約6個の楽器を
奏でていました。

うちは吹奏楽やるまで
ピアノもやったことはなかったし
楽譜も読めなかったけど
なんだかんだと言って
長男は音楽が好きだったんだなぁと
あらためて気づきました。

これも後から気づくことだけど
長男は予定日より一ヶ月以上も早く
早産未熟児で生まれてきてしまい
(それも早生まれ)
本当は生まれたら1歳ぐらいで
仕事に復帰するつもりでいたのが
人生計画は大幅に変更。

最初の頃は普通に産んであげられなかった
ことで自分を責めていたんですけどね。

長男の発達に合わせて
ゆっくり寄り道周り道して
色んなことを経験して
子どもを自然環境豊かな場所で
育てるために
親戚もいない田舎に移住して
仕事も勤務助産師から 
鍼灸院経営へ。

郡上に移住してなかったら
養蚕はもちろん、
自分で糸を紡いで機織りまで
するようになるなんて
思いもしませんでした。

長男の吹奏楽の卒業公演は
たまたま彼の18歳の誕生日で
今まで頑張って子育てしてきた
私に対する祝福の日でもありました。

担当はコントラバス&エレキベース。低音好き。
コスプレする吹奏楽部。卒業公演は彼の誕生日。すごい運命!!

長男は4月に県外の大学へ引っ越し。
家具付き、食事付き、
トイレお風呂共同の男子寮に
入ったおかげで
友達もすぐに出来て
今はバイトにサークルに毎日
忙しいようです。
(親はお金だすだけ)

一方、次男は昨年4月に
県外の全寮制の農業高校に入り
長男以上に一気に親離れ。

スマホ禁止の学校のため
メールもできず
反抗期も重なって滅多に
電話もかかってきません。

次男は恥ずかしがって写真も
撮らせてくれないので
今年の春に家族で出かけたときの
兄弟の隠し撮り↓

離れて住んでいるのに喋り方とか父親に似てくる!

今思うと、今年の春の養蚕がはじまる
ちょっと前の5月あたりは
急な子離れの寂しさで
私も元気がなかったのですが

糸紡ぎや草木染、機織りとか
家で一人で出来る手仕事に
すごい救われました。

女の人生は長くて
色々なことが起こるけど
長い人類の歴史のなかで
空いた時間にちょこちょこと
手を動かして

なんだったら仲間と愚痴でも
言い合いながら

次の自分のステージ(使命)を
みつけていく。

本当に30代までの私は
仕事ひと筋で、趣味なんか
ありませんでした。

面倒臭くてお金にならないような
ことは死んでもやりたくなかった。
休みの日も子どもは放っておいてでも
働きたいと思うような人間だった。

それが今や養蚕やって
(木綿も畑で育てて紡ぎます)
くず繭紡いで草木染して
機織りまでするなんて!

本業の鍼灸師も大事な役割ですけど
売上を氣にして欲張ることは
辞めました。

よくそんなんで生活出来るね、
と言われますが

私はコレぐらい肩の力を抜いて
明るく楽しく生きたほうが
ちょうどいいことに
ようやく気づけました。

同じように
今風でいえば「サステナブル」な
ものづくりをされている方は
たくさんいますが、

やはり「ビジネス」を意識した途端に
お金に繋がらない作業や時間は
「無駄」になります。

みんな生きていくために
仕方ない部分はあるけど

口では自然がいい!
手作りがいい!
とか言いながら

ビジネスで成功しようと思ったら
締切もあるし
作りたいものより
売りやすいものを
意識するようになる。

手作りならではの
デコボコや曖昧さを
受け入れることが出来なくなる。

子育てという最大の無駄を学ぶ
経験をしたからこそ

ちゃんとしてない
規格外の部分に才能は
眠っていると感じます。



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