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手をかけて創る時間が、自分を生きること

岐阜の明るく楽しい養蚕家の
加藤祐里です。

3年ぐらい前から
月2ペースで「さをり織り」の
クラスに通っています。

どんな素材でも自由に
織らせてもらえるので
自分で紡いだ糸で織っています。

6月9月と養蚕があり
7.8月は子どもの夏休みに
振り回されるからおととしと
去年はクラスの予約は
とっていなかったのだけど

今年は10月に展示会に出すことになり
急遽、織り強化月間に突入。

6月の養蚕が終って
息子たちの夏休み前のスケジュール調整、
草がボウボウで無法地帯になっていた
木綿畑を雨のあいまに整理して
猛暑&更年期で夏バテもあり
テンションあがらず
鬱っぽくなっていたところから一転。

どの糸を使おうか?
追加で染めるなら山に植物を採りに
いかなきゃ。
何日までにここまで織ったら
もう一枚いけるかな?

一気に頭が回りだして
心のウキウキが跳ね上がってきました。

シルクを紡いで杉で染めた糸がベース

もしくは心がウキウキするから
良いアイデアが湧くのか?

私にとっては
どんなカウセリングを受けたり
旅行にいったり
お金かけて爆買い爆食爆飲するより
創ることが何よりもの
自分あげ、自己肯定になってます。

昔の日本人は食でも衣服でも
仕事に使う道具もすべて手作りで

面倒くさいと思うこともたくさん
あったとは思うけど
でも、次はどんなものを作ろうか?
もっと良いものを、
次はこんな工夫をしよう、
面白いもの作ってみよう、と

どんな人も
いつもアーティスティックに
生きていて
自分の世界を表現して
暮らしは貧しくても
身分が低くても
自己肯定感が高かったと思います。

私の知り合いでオーガニックな
こだわりのものづくりをして
ビジネスをしている友人がいますが

忙しくて自分のプライベートで
自分が使うためのものづくりはしません。

お金に繋がる製作は毎日してるけど
自分のために創ることはしない。

友人は元々、高学歴で
部活も勉強もなんでも
自分の頑張りで叶えてきた。

目的を叶えるために
ものすごく合理的に
無駄なことはしないタイプ。

子どももまだ小さくて
彼なりに愛情をかけて
頑張って育てているのだけど
自分の思ったように
仕事が出来ないとイライラするらしい。
(みんなそうだけど)

いくら社会的に評価されていて
お金もあって
欲しいものが手に入ることが
出来ても
暮らしのなかに自分の手で創る喜びが
なくなると自己肯定感が
下がってきます。

友人はビジネスでも売上に
繋がらないことはやらない。
売れない商品は扱わない。

仕事に関係する人とは
お金出しても会いにいくけど
自分の利益に繋がらない人とは
付き合わない。

悪い人ではないし
彼なりに頑張っているのも
すごく分かる。

口では「環境に優しく」とか
「化学薬品を使わずに
手間暇かけてゆっくり作る」と
言っていても

ビジネスとして結果を出したり
他人から「出来る人」として
評価されようとすると

都会的な価値観、
無駄なことは省いて
合理的に作業をこなせることが
仕事が出来る人、みたいになってくる。

手間暇かかるものづくりには
無駄なことがいっぱいある。

失敗もいっぱい、
凸凹とか、余白とか。

たくさん合理的に計画的に
売ろうとしたら
お金さえ払えばいつでも材料が
手に入って
みんな同じ、真っすぐで
ムラなく機械のように作ったものが
よしとされる。

すごい田舎の環境の良い場所で
自然に生えている植物を
使って伝統的なものづくりを
していても

周波数をどこにあわせるかによって
都会の百貨店に売ってる商品と
同じようになってきて
面白みがなくなる。


繭人形、最新作。忙しいときほど創りたくなる。


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