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明治歴史民俗資料館

岐阜の明るく楽しい養蚕家の
加藤祐里です!

夏休みが終わっても
家族と行きたい
養蚕や糸紡ぎにまつわる
おすすめスポット紹介シリーズ!

「明宝歴史民俗資料館」

明宝は冬はスキーで
有名ですが
これからの季節は
美味しいお米に野菜に
秋の紅葉とドライブもおすすめです。

明宝歴史民俗資料館は
古い小学校跡地に
これまた古い古い農具や民具を
何万点と集めて展示してあります。

田舎にはよくある感じでは
ありますが
管理人さんのおじさんとの
トークが尚、よい!
(不定休、管理人さんも
いつもいるとは限りません)

私は今回は10年ぶりぐらい
2回目の訪問でした。

管理人さん直々に中を案内してくださり
私が普段やっている
養蚕や糸紡ぎについての
お話もさせていただきました。

普段、鍵のついたガラスケースに
保存されている
昔、養蚕小屋に祀ったであろう
養蚕の神様を描いた掛け軸を
見せていただきました。


↑ガの成虫を模した髪飾りに手に桑を持ってます

いつも巻いて保存してあるため
管理人さんですら
なかに何を描いてあるかまでは
見たことがなかったそうです。

補足というか、
養蚕の神様を描いた掛け軸は
たいてい馬に乗っているので
たいていどこの資料館に
行っても「馬具」のコーナーに
しまってあったりする😅

世界中に蚕にまつわる
民話があって
たいてい馬の話とセットだから
間違いではない。

↑私に似てるって噂の遠藤家の養蚕の神様

管理人さんからは
「今日、加藤さんが来なかったら
ここにあるって知らなかった。
これが養蚕の神様ということも
知らなかった。
日の目をみることもなかったかも」

アマテラスオオミカミを
暗闇から救い出したような
有り難い気分🤣

明宝地区に限らず
郡上中、日本中の農家で
養蚕が行われていました。

日本と養蚕の関わりは 
何千年にも渡ります。

奈良時代の文献にも
美濃地方の絹糸は全国でも
トップレベルだったと書かれています。

こんな雪深い不便な田舎でも
繭を育てて良い糸をひけば
お金を得て食べていくことが出来た。

もちろん、自給自足が当たり前ですから
自分たちが生きていくためにも
糸を紡いで機を織った。

平安貴族も絹織物を着ていたし
江戸時代は税金として
納められて
日本の誇るべき織物文化を
築きました。

明治になり列強諸国に追いつくために
絹糸を輸出して
経済を発展させました。

第二次世界大戦で日本は敗戦国となり
焼け野原になってしまったけど
また製糸、紡績、繊維業で復活します。

今では日本国内で養蚕はおろか 
ほとんどの繊維産業が他産業に変わったり
海外に移転したり
辞めてしまったけど

絹糸産業が日本を何千年と
支えていたことに間違いは
ありません。 

蚕という字は天の虫、と書きます。
気候、天候、気温、雨風に非常に
左右されます。

餌となる桑も毎年、気候によって
影響を受けます。
良い土があり良い水が流れ
良い空気があるから
良い桑が育ちます。

やっぱりそれらは神様のおかげだと
思っています。

今日から秋蚕がはじまります。
9月は飼育頭数は少ないですが
天候が読めないので
なかなか大変です。

数日前もよく分からん台風がきて
日本中、大騒ぎでした。
同じ岐阜県内の大垣でも
川が氾濫して大変なことになってます。

郡上も警報が出るかなぁと
用心していましたが
なんだかんだと予定通りに
養蚕小屋の準備が出来て
一番最初に食べさせるための
乾いた桑を確保出来ました。

養蚕の神様が見守ってくださっていると
感じます。



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