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6年経って、あのときどうしたら良かったか答えはないけど。

岐阜の明るく楽しい養蚕家の
加藤祐里です。

初めて秋蚕7500頭をやったのが6年前。

そのときは寒くて暖房代もかかるし
桑もなくて
秋は台風に連休や子どもの運動会で人手も
確保できないから
もうやらないと決めました。

去年、手伝ってくれるスタッフも
確保できたし
地元で開墾した桑畑の選定を
しなくてはいけなくて
葉っぱを捨てるぐらいなら
飼ったほうがいいね、と
5000頭飼って
6年前に比べて倍以上の収穫でした。

今年は暑すぎて
桑も良くないから
どうなるでしょうね?

秋蚕は気候にも影響されるけど
思い出すのは6年前の「人間関係」

私も50歳近くになって
色んな人間に会ってきて
かなり免疫はついてきたけど

あのときのような出来事は
後にも先にも彼女たちだけだったなぁと
思い出す。
もう6年前だから
こうやってネタにして話せますけど!

最初に「オーガニックな服作りに
興味があります!養蚕やりたいです!」
と言って移住してきた
30歳代女子A子さん。

A子さんは国の補助金を使った
移住促進事業で郡上にやってきて
郡上市から毎月20万円給料もらって
車と家を用意してもらって
郡上に住んでいけるように
自分で仕事を創生していく、という
プロジェクトでやってきました。

A子さんと共同経営者として
受け入れたB美さんがいました。

B美さんは自然素材の服を作る仕事を
していて「いつか糸から郡上で作って
オール郡上の服をつくりたい」と
言っていました。

春の養蚕では二人ともやる気いっぱい。
ただ、実際にはB美さんは子どもも小さくて
家も遠方であてにならず
事務的なことをやってもらいました。

A子さんは養蚕は素人だったけど
養蚕部の責任者として
仕切る予定でしたが
秋は新規事業の立ち上げ準備などもあるから
養蚕は手伝えない、とのことでした。

A子さんは悪い人ではないけど
田舎にも慣れていなくて
農業素人で、体を動かすより
口が動くタイプ。
一言で言えば「面倒くさい」
だから、来れないなら来れないで
こっちも逆に安心していました。

それでも5令から糸を吐く時期の
1週間ぐらいは猫の手でも借りたいとき。
そのうえ、あのときは桑もないから
探しにいったり
雨で濡れた桑をタオルで拭きながら
あげたり、今思うと本当に
地獄みたいな秋の養蚕だった。

そんな最中、A子ちゃんは
「広島で遠距離恋愛している彼氏と
別れ話が出ていて、一度会って
話をしてきます」って一番忙しいときに
5日も仕事休んで
広島に行ってしまいました。

これが20歳代なら「若いときって
色々あるよね〜」って
私たちも許せたけど

30歳代で色恋が理由で
まわりに迷惑かけるのは
人間性を疑われます。

A子さんの仕事はB美さんとの
自由契約でいつ休んでも働いても
問題ないのですが
あと数日待てば養蚕も落ち着く時期に
よりによって今、行かなくてもいいでしょ?!

というか、B美さんも
なんで広島に行くのをOKしたの?
「だって、祐里さんに言ったら
反対したでしょ?」
そりゃ、そうだけど!
でも、一言言ってくれたら
これほど、こじれなかった。

残された私たちは???でいっぱい。

それでも、A子さんがきっぱり
彼氏と別れてこれからの新しい人生
仕事に集中してやっていくと
覚悟を決めたなら
私達も納得できた。

だけど、帰ってきたら
「ずっと、彼氏が一人暮らししている
部屋で待っていたんですけど
彼が忙しかったみたいで
話し合いは出来ませんでした」って
別れてすら来なかったんかい?!

っていうか、彼氏は
遠くからわざわざ来た彼女に
会いもしなかった時点で
とっくに気持ちは冷めていて、
というか相当嫌っていたでしょうね。

別れ話が出る前から
彼氏の気持ちはとっくに離れていたって
誰が聞いても分かる。

私にしてみれば
生き物飼ってる最中に
男追っかけていく時点で理解不能。

私も助産師として
女の職場で長く働いていたから
色んな理由でメンタルやられて
仕事できない人間はいたけど

どんなに惚れた男に
ひどい裏切りをされても
絶対に仕事だけは休まなかった。

働く女は仕事で見返すしかないのです!

当時、一緒に養蚕を手伝ってくれていた
仲間たちも苦労しながら
移住して自分たちの暮らしの地盤を
築き上げてきた子が何人かいて

ずっと地元に住んで
地道に働きながら
毎月20万円も給料もらってない
という子もいる。
広島まで新幹線乗っていける
お金はどこから出とるんか?!

A子さんB美さんもそれ以降、養蚕も
わたしたちの手仕事の会にも
関わることはなくなりました。
(要するに、出禁)

あのとき、私がどうするべきだったか
いまだに正しい答えは分かりません。

ひとつ言えることは
私は諦めずに養蚕を続けている、
ということだけ。

B美さんも直接的には関係ないけど
口では「昔ながらの伝統的なものづくりが
素晴らしい」だとか言っていても
お金に繋がらないことには
1秒も時間を使いたくないタイプなんだろうな
って思った。

私が養蚕を諦めずにやってきたのは
A子さんに対して負けたくないという
意地もあった。
そういう意味では感謝してる。

6年経って、A子さんも結婚はせずに
おそらくこの先、子どもも授からず
まだ郡上で仕事をしていて

B美さんも事業を拡大して
地域ならではの環境負荷のない
服作りを目指して
郡上を代表する若手実業家として
新聞や雑誌に取り上げられたりしている。

でもね、郡上でお給料もらって
地道に生きてる人は
B美さんのお店の服は高すぎて買えない。
郡上であそこのお店の服を
着ている人は滅多に見ません。

田舎でビジネスで成功しようとすると
そうなるよね。


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