見出し画像

【20歳で月収200万を手にした男】~中学卒業まで~

適度な学級崩壊

1991年6月24日。僕は埼玉県で生まれた。

親が教育熱心だったため私立の幼稚園に入り、園児の時から勉強させられていた。

その当時はあまり理解していなかったが、毎朝ミサがあったので、おそらくキリスト系の幼稚園だったのだと思う。

毎日裸で過ごすとシールが貰えるという謎の制度がある幼稚園だったので、一年中上半身裸だった。年齢が違えばただの変質者である。

 
幼稚園から小学校へと上がるときは、当時住んでいた与野の仮家から父方のじいちゃんの家があった浦和の方へと引っ越すことになる。

じいちゃんの家にうちの家族の住居を繋げ、二世帯住宅という形で暮らすことになった。


小学校は私立の小学校を受験していたが、人気のところで、あっさりと落とされたため、公立の小学校へと行くことになった。

幸い、入学式より前に引っ越しが終わるように親が考慮していてくれたため、同級生とは同じスタートラインで入学することが出来た。


小学校生活はいたって普通だったと思う。適度に喧嘩もしたし適度に骨折もし、適度に学級崩壊も起こし、適度に恋愛もした。

学級崩壊を起こした主犯格の一人は僕だったため、当時の5年生の担任の人にはとても申し訳なく思う。

そして小学校6年制の時点ですでに携帯を持っていた僕は、当時はかなりマセガキだったと思う。


アナルセックス、青姦……性に奔放な中学生時代

中学に入ったら入ったで、入学したての月に最速で呼び出しを食らった。


歩道橋の片隅で四人くらいで丸くなってエロ本を読んでいたら、突如としてその中のひとりがエロ本を持って走り出したのだ!

どうするのかと思ってそいつを眺めていると、学校の方に走っていったそいつは、そこで先生に遭遇。次の瞬間エロ本を放り投げたかと思ったら

 

 

 

 

――落ちてました!!!!!

 

と、一部始終を見ていた先生の目の前で全力の嘘を言い放った。

いやもう何がしたいのか分からなすぎて逆に面白いのだが、こいつのこの奇行のせいで芋づる式に僕らも呼び出されたというわけです、はい。

 

まぁこの事件からもお分かりの通り、僕が中学時代に目覚めたモノ、それはつまり「性」

性に全力だった。

毎日「あれ、なんか忘れてんなーー……ザッツ(ズボンを下ろす)」と、オナニーばかりしていた。

 

普通中学生の場合ヤンキー方面に走る人が多いと思うのだけれど、何故かうちの中学は【エロ方面】に傾倒していき、ヤンキーがスクールカーストの上位に全然いなかった。

むしろエロ方面に秀でている奴すげーみたいな謎の空気感があったのを覚えている。その点自分で言うのも何だが僕はかなりエロに関してマセガキだった。

 

具体的には中学生にしてアナルセックスをした。――したものの浣腸の知識とかなくてカスがついてきて幻滅したのを今でも覚えている。初めて買った大人のおもちゃ「アナレンジャー」は今でも実家の引き出しに眠っている。

 

それからセフレみたいなのも作った。そんなことをしているといつの間にかエロ四天王みたいな感じで先生からマークされるようになったのだが、何故か当時はその称号を誇らしげに思っていたものだ。

 

勿論最初からこんなに吹っ切れていたわけではない。僕にもちゃんとした恋愛をしている時期もあったのだが、中3の秋に当時付き合っていた他校の女の子にフラレて吹っ切れたのだ。

 

それまでの僕の恋愛といえば、なんとなく付き合っていることが多く、別れる際もどちらでもいいかなーくらいの気持ちだったのだが、この子に限ってはちゃんと好きだった、と中学生ながら思っていた。初デートの時なんかは会話に失敗しないように「話すことリスト」なるものを作って持っていったほどだ。

 

まぁそんな子にフラレたもんだから当時の柳少年はとことん遊びに走ってしまったのだ。今思えばこの時の経験が後の僕をホストにさせた一因になっているのかもしれない。

 

余談だけれど中学生の頃ってヤル場所がなさすぎて青姦になることも多かった。今思えば夜の図書館とかベランダとかスリリングでよかったなぁ、と、ホテルでしかしなくなってしまった大人になって思ったりもする。

 

しかし当時は知る由もないのだけれど、ここから年齢を重ねるに連れて性欲がどんどんなくなっていく。今思えばこの中学時代の頃が一番性欲があり、言い換えれば一番健全だったといえるのかもしれない。

 

一方中学受験の方は遊びすぎたのが祟ったのか、第一志望だった公立の高校には落ちてしまった。けれども何故か第一志望の高校より偏差値の高い私立の高校に受かり、お金は公立よりもかかるがそちらに進学することになった。

 

しかしその後この選択をひどく後悔することとなる。

いざ入学してみるとそこには隔離病棟のような高校生活が待ち構えていたのだ。

<次章>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?