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【20歳で月収200万を手にした男】~ネットビジネス・AV男優・ひきこもりニート編~

ネットビジネス時代

当時デリヘル開業に向けてコツコツと貯金をしていた僕の価値観を変えることになった動画とは、今でこそ日本の嫌われ者みたいなイメージが定着している「与沢翼」その人の動画だった。

彼がカッコつけて言うとプロダクトローンチと呼ばれるマーケティング手法でYouTubeにアップしていた動画をたまたま見た僕は、それに感銘を受け、一気にアフィリエイトをメインとするネットビジネスに没入していった。

一度ハマるととことんやるタイプだった当時の僕は、デリヘル開業資金だったお金を総額200万円くらい使い、まずパソコンを揃えるところから始め、セミナーや入塾料が30万円もするいわゆる高額塾と呼ばれるものにも2つ入り、それこそ受験期を彷彿とさせるほど知識の拡充を図っていった。

その結果、PPCアフィリエイトと呼ばれる手法で最高月収50万ほどの不労所得システムを構築し、これはひと月10万以下になってしまったものの、今でも僕の生命維持装置として働いてくれている。

その後ネットビジネス業界で知り合った師匠の教えで、ネットマーケティングの知識を活かして個人向けビジネスモデルから法人向けのWEBマーケティングのコンサルタントとしてビジネスモデルの軌道修正をした。

当時この師匠には100万円のコンサル料を支払い、いわば生涯コンサルのようなものを受けていたものの、やはり法人向けビジネスは今までとは勝手が違い、なかなか思うように成果が上がらない日々が続いた。

そしてそれとともに軍資金も底をつきかけ、切羽詰まっている窮状を師匠に相談したところ、知り合いのAV関係の社長さんを紹介され、軍資金集めの為の仕事のオファーを頂いた。

最初はさすがに躊躇したものの、その時ふと僕の好きなサントリーの鳥井社長の言葉

「やってみなはれ」

が啓示のように頭のなかにコダマし、「よし、いったれ!」精神でオファーを受けた。

自立の思想的拠点

引き受けては見たもののこの仕事は予想以上に大変なもので、AVの企画立案から女優さんの選定、撮影、監督、男優、更には撮ったAVの編集、パッケージ化、ライティングもした上で、販売サイトにマーケティングをかけるところまで全て自分一人でこなさなければならなかった。

この中でも何よりモザイク編集が非常に地味で面倒くさく、時間のかかる作業だった。モザイク処理が楽になるように撮影時はなるたけチンコを動かさないように撮るという暗黙のルールがあったほどだ。

全てにおいて右も左も分からない状態でのスタートだったため、とりあえず素人に毛が生えた知識のまま、数あるAVの見よう見まねで撮影をこなしていった。

健全な男子なら誰しも思春期の頃にAV男優という夢のような職業に憧憬の念を抱いたことがあると思うのだけれど、実際ハンディカムを片手にカメラ越しの自分のチンコを撮っていると、もうそれは自分のものではなく「カメラ越しの別のナニか」になっていた。気持ちいいという感情よりも、良い画を撮りたいという気持ちのほうが強くなる。

現に撮影中に射精することは滅多になかった。おそらくだが、ここで
「きもち―!さいこー!!ドピュッ!!!」と出来る人こそ、この仕事は天職なのだと思う。

また、夢を壊すようで申し訳ないが、僕がオファーを受けたそのAVの仕事は口内射精も挿入も基本的には擬似だった。口内射精はあらかじめ精液に見える白いローションを女の子の口の中に含ませておき、イッたフリをした後に口の中を覗かせてそれっぽい画を作る。挿入シーンの場合はおしりのくぼみにねじ込むようにすると、モザイク処理をした後に、イチモツが入っているように見えるという仕組みだ。俺は何を言っているんだ。

で、まぁそんな感じで今日も男優として腰をゆっさゆっさと振っていたとある日。腰を振る、まさにその瞬間に「――ハッ!」と急に我に返ってこう思った。




ワイ、なにやってんやろ




いや、それは勿論軍資金集めのためだとは理解している。これで集めた軍資金をメインのマーケティングコンサル事業に充てるために今僕は必死に腰を振っているわけなんだが、でもそのメインの事業で成功したとして何になるんだろう、と、考えてしまった。腰振りながら

メインの事業を成功させることの重要度が自分の中で著しく低下していっている気がしたのだ。

一旦軸を失ったらもうダメで、そこからはもう全てに対してやる気が起きなくなり、当時の師匠やAVの社長さんには今でも申し訳ないと思うが、僕は全ての仕事を投げ出して自問自答する日々を繰り返すようになり、気づけばひきこもりニートのような状態に陥っていた。

枯れゆく自尊心

ひきこもりニート生活も初めの3ヶ月目辺りまでは楽しかった。

それまで時間がなくて出来なかったことを色々としてみたりもした。

この時期は時間だけはありえないほどあったので本や映画・漫画なども腐るほど読んだ。

しかしネットゲームに手を出してしまった辺りから事態は悪くなる。

元々僕は重度のゲーマー気質なのだ。一つのことにのめり込むとそれしか見えなくなる。毎日起きて、ゲームして、寝る。というこの3ステップしかしない生活が約2年弱もの間続いた。

そう、2年弱だ。

時間というものは濃密であればあるほど、ゆっくり感じられるというのが僕の持論だが、この2年弱という時間は恐ろしく早かった。

今でこそ、あの2年弱の期間にも意味を見出すことが出来ているけれど、自分を客観的に見ることなんかできなかった当時は、本当に死んでいた。

肉体的には生きていたけれど、精神的には死んでいたのだ。
毎日、自尊心が枯れていく感覚というものが、嫌でも感じられてしまう。

そんな無限地獄のような世界から、僕を救い出してくれたのがお遍路だった。

<次章>

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