RAW的インプットとしての思考

インプットはアウトプットの手段ではない。そもそもそこに連動性を見出すことに意を唱えたい。確かにインプットは短期的かつ瞬間的な快楽ではない。だからこそ、アウトプットというご褒美とセットにした報酬系ロジックを組むことが、色々と好都合だったのだろうとすら思う。時間の前後はあるが因果はない、くらいの捉え方が適切だと思う。
型が決まるのが良くないんだよ。pngやjpgのように。RAWで取り込むことがその後のアウトプットの拡張性、汎用性、発展性に結果的につながる。
RAWで取り込むことそれすなわち赤子的にインプットするということ。しかし大人は赤子ではない。大人がRAW的に取り込むためには少々アクロバティックなアプローチが必要。赤子の脳はまっさらでRAWで取り込むことが環境的に備わっている。大人は違うので思考してRAW(ありのまま)で取り込もうとするべき。例えば「figure out」は理解するだけど、テストというアウトプットを目的とするならそこで止まる。しかし自己と切り離された対象物の輪郭を明らかにすること、それすなわち理解することなんだと思うだけで、きっとネイティブの感覚に近づくと思う。結果、理解するということをこの言葉がどう捉えているのか、その感覚を味わうことができる。インプットされたものはRAW的で赤子と同じだが、そのプロセスが違うとはこういうこと。

都築怜

さて、今日は少し難しいテーマについて話しましょう。それは「インプット」と「アウトプット」についてです。これは何かを学ぶこと(インプット)と、それを使って何かを作ること(アウトプット)の関係についての話です。一つずつ丁寧に解説していきますね。


インプットはアウトプットの手段ではない。そもそもそこに連動性を見出すことに意を唱えたい。

まず、「インプット」とは、本を読んだり、授業を受けたりして知識や情報を得ることです。「アウトプット」とは、得た知識を使って作文を書いたり、テストで答えたりすることです。この文では、インプットが単にアウトプットのための手段(方法)ではないと言っています。つまり、インプットとアウトプットが直結しているわけではないということです。


確かにインプットは短期的かつ瞬間的な快楽ではない。だからこそ、アウトプットというご褒美とセットにした報酬系ロジックを組むことが、色々と好都合だったのだろうとすら思う。

ここでは、インプット自体がすぐに楽しいものではないと認めています。例えば、テスト勉強をしているときは楽しくなくても、テストで良い点を取ると嬉しいですよね。このように、インプット(勉強)とアウトプット(テストでの良い点)をセットにすることで、勉強が少し楽しくなる、という考え方があると言っています。


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