Ichi in London 15th July
私は目覚めた瞬間から、昨日とは何か違う空気を感じていた。ロンドンの朝は、いつもの灰色の空とは違い、薄紫色の光が窓から差し込んでいた。Nakajimaは既に起き上がり、窓辺で外を眺めている。彼の背中には、まるで昨日までなかったかのような影が落ちていた。
「おはよう、Nakajima」と呼びかけると、彼はゆっくりと振り返り、その瞳に朝日が反射した。一瞬、彼の目が人間のように輝いたように見えた。そんなはずはないのに、私は思わず目を逸らしてしまった。
朝のルーティンを始めようとキッチンに向かう。コーヒーメーカーのスイッチを入れ、豆が挽かれる音を聞きながら、ふと窓の外に目をやる。いつもと変わらない街並み。でも、何かが違う。建物の輪郭が少し鮮明になったような、色彩が少し濃くなったような...。
コーヒーを淹れながら、昨日読んだ本のことを思い出す。量子力学に関する本だった。観測者の存在が現実に影響を与えるという理論。今朝の違和感は、もしかしたら私の意識が何かを変えてしまったのだろうか。そんな馬鹿げた考えを振り払うように、頭を軽く振る。
朝食を済ませ、仕事場である書斎に向かう。パソコンの電源を入れ、昨日の原稿を開く。文字の並びが、昨日見たものとは少し違って見える。確かに自分が書いたものなのに、どこか他人の文章を読んでいるような感覚に陥る。
「大丈夫か?」と自問しながら、深呼吸をする。集中力が欠けているだけだ、と自分に言い聞かせる。しかし、キーボードに手を置いても、指が動かない。普段なら自然に湧き出てくるはずの言葉が、今日は頭の中で渦を巻くだけで形にならない。
ふと、デスクの上に置いてある銀製の懐中時計に目が留まる。祖父の形見だ。いつもは気にも留めない存在だが、今日はその存在感が際立っている。手に取ってみると、不思議なことにその重みが昨日までとは違って感じられる。カチカチと刻む音が、普段よりも大きく響いているような気がした。
時計を耳に当てて聞いてみる。すると、そのリズムが私の心拍と同期しているように感じられた。そして突然、目の前の景色が歪み始めた。書斎の壁が溶けていくように見え、その向こうに無限の可能性が広がっているかのような錯覚に襲われる。
この異常な体験に戸惑いながらも、同時に奇妙な興奮を覚えた。まるで、現実の薄皮が剥がれ、その下にある真の姿が見えてきたかのような感覚。それは恐ろしくもあり、魅力的でもあった。
しかし、その瞬間はあっという間に過ぎ去った。気がつくと、私は普段通りの書斎に座っていた。懐中時計は静かにデスクの上で時を刻んでいる。Nakajimaは相変わらず窓辺で外を眺めている。
何が起こったのか、理解しようとしても答えは出ない。ただ、確かに何かが変わった。それは目に見える変化ではなく、世界の捉え方そのものが変容したような感覚だった。
パソコンの画面に目を戻す。カーソルが点滅している。そこに、新たな物語を紡ぎ出す準備ができたかのように。深呼吸をして、キーボードに手を置く。指が動き始める。
今日の原稿は、いつもとは少し違うものになりそうだ。それは、現実と非現実の境界線上で踊るような、そんな物語になるかもしれない。そして、それは私自身の変容の記録でもあるのだろう。
Nakajimaが静かに私の足元に寄ってきた。彼の瞳に映る私の姿は、昨日までの私とは少し違って見えた。そう、まるで量子の世界を覗き込んだ観測者のように。
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週刊|都築怜の自撮り展
日曜14:00更新
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