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Aセク、Aロマを苦しめるwhy攻撃

私たちは何故、「なぜ」と問われなければいけないのでしょうか。
そしていつまで、「なぜ」と問われ続けなければいけないのでしょうか。

・自己紹介

どうも、本題に入る前に簡単な自己紹介を。
れいすいきと申します。
他人に対して恋愛感情を抱くこともなければ、性的に惹かれたなーという経験もない、そんな人生を歩んできました。
性別は男で、20代後半ですが、男性にも女性にも恋愛的な感情で「好き」と思ったことはありません。
そんな私はAセクシャルで、Aロマンティックだと自分自身を定義しています。

・Aセク、Aロマのあなたに

同じように自分のことを定義しているあなたに伝わればいいと思って、この文章を書いています。


みなさん、多くないですか?
「なぜ」と問われることが。

彼女/彼氏いないです。

なんで?

欲しいとあまり思わなくて...。

なんで?

結婚したいみたいな考えもなくて...。

えー! なぜ?

みたいに、恋愛はしないと表明すると、なぜ?が返ってきます。

・無邪気な「なんで?」とは違う攻撃性

子供が知らないことに対して発する無邪気な「なんで?なんで?」という軽いニュアンスなのかもしれませんが、目の前で理由を聞いてくるのは大の大人。
「お前はなんでそんな考えなんだ」という圧をどうしても感じてしまうんです。
なぜを発した側は意識がないかもしれませんが、問われた側は「自分っておかしいのかな?」と実はじわじわと責められた気持ちを覚えています。
これが重なっていくと、責められた、というより攻められた、攻撃されているという感覚になっていきます。

・その「なんで?」は好奇心か?

ちょっと下品に聞こえるかもしれませんが、以下のようなwhy攻撃もあったりします。

好きなタイプは?

ないです。

なんで?
SEXしたことある?

ないです。

なんで?


なぜ、ナゼ、何故...。

大学卒で学問を語るほどの人間ではありませんが、
「なぜ?」を問うことは、理解を深めるため、本質に迫るため、必要なこと。
好奇心をもとにした学術的な思考法だと思っていました。

でも身近で自分に向けられる「なぜ」は単なる好奇心では片付けられません。
そこには「それは違う、おかしい」というニュアンスが含まれているように思うのです。

・積み重なる「なぜ?」

いや、被害妄想じゃないか。
これまでの文章を読んで、そう思った人もいるでしょう。

でも考えてみてください。
話す毎になぜ?を問われ続ける日々を。
なぜを言われる度に、ありのままの自分の日常にストップをかけられている気がしてくるんです。
一人一人に悪意はなくても重なると疑問は、否定に思えてきて、攻撃性を感じてしまう。そうすると、ほかの立場の人はどうなんだろう、と思い至ります。

・みんなが「なぜ?」を問われているのか

彼女/彼氏が欲しいという大学生は、周囲になぜ?と問われるのか、
40代の結婚したい女性は、なぜ男性と結婚したいの?と問われるのか、
結婚を望む20代の男性は、女性のことをなぜ好きになるのか?と問われるのか。

多くの人が当たり前としていることにはなぜ?、が問いかけられていない気がします。
人のことを好きにならない私は、なぜ?と問われますが、
その逆の好きになることには理由は問われません。
元ネタが分かりませんが、「好きになるのに理由はいらない」という言葉があり、もっともらしい言葉として受け入れられていると思います。

そうであれば、言いたいんです。
好きにならないことにも理由はいらないんじゃないですか。

・why攻撃から身を守る防具

これはあくまでwhy攻撃から身を守る、心を守る防具のひとつです。
自分が見つけられたくらいなので、そんなに大した武器では無いかもしれません。

好きの理由も意外と曖昧なのでは?

そう考えてから時と場所を選びながら、こう問い返せるようになりました。

なんで結婚しなきゃいけないと思うんですか?
なんで彼氏/彼女が欲しいんですか?
なんで好きになったんですか?

こんな問いを発していると、いろんな答えが返ってきますが、総じてみんな確固たるものは意外とないんだな、ということがわかります。

なんとなく。周りの雰囲気についていく。
恋愛、結婚はそんな空気に左右されていくことを知って、それを言語化して、「なぜ?」への答えを見つけることがバカバカしくも感じました。

「なんだ、攻撃してくるとおもった向こう側も確固たるものじゃないじゃん」

攻撃性が高いと思った剣はよく見たらふにゃふにゃの子供が使う弾力性があるチャンバラのおもちゃでした。

・曖昧さを認められるように

そうして自分の理論武装を解除すると、
自分のAセク、Aロマを疑いすぎず、かといって固執し過ぎなくもなりました。

もしかしたらAセクでは無いかもしれない、Aロマではない部分もあるかもしれない。

攻撃してくる相手が“いなくなった“ことで、そんな曖昧な自分も認められるようになったんです。

・why攻撃を受けても、自分に向き合い過ぎないで

攻撃されている感覚があると、自分は正しいのか疑心暗鬼になり、AセクAロマという定義に自分自身をどう置くか頭を悩ませることになるでしょう。

だから世間のwhy攻撃に心をやられないために、まず防具を探しましょう。
人と深く話すことがあるAセク、Aロマの冒険者さんにはあった方がいいと思うのです。

私はなぜ?をカウンターで返すという防具を手に入れました。
Aセク、Aロマを否定しようとする敵意には敵意を返し、より知ろうとする好奇心には、私もあなたのことを知りたいという好奇心を返せる。そんな防具を手にしていると、なぜを問われ続けることにもダメージは少なくなってきます。

どうにか、もう少しAセク、Aロマという意識で冒険が続けることができる。そんな気もしてくるのです。

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