「歴女」にもやっとする話

歴史が好きな女性を指す「歴女」という言葉が誕生して、10年以上経つだろうか。最近はあまり使われなくなった気もするが、日常語としてはすっかり定着の感がある。
私は歴史が好きで、これまで幾度も「歴女」と言われてきた。それに対し、口にはしなかったが、ずっともやもやしていた。
このもやもやが何なのか。私自身正体がわからず、うまく表現できなかった。最近、少し形が見えたような気がするのでここに書き留めておこうと思う。

歴女と言われた時、私の中には二つの感情が生まれる。「こちとら歴女って呼称が生まれる前から歴史好きなんじゃ!」というのと、「イメージは掴みやすいよなぁ」という気持ち。へそが曲がっている自覚はある。
「歴史が好き」ということは私にとって自分の一部であり、珍しいことでもなく、新しいことでもない。世の中に数多ある個人の趣味趣向の一つでである。私が女であることと歴史が好きであることに関連はない。それなのに、急に「歴女」と名前をつけられ、「私」という個人ではなく「歴史が好きな女性」という枠に当てはめられる。考えすぎ、気にしすぎと言われればそうなのかもしれないが、性別が故に「歴女」と呼ばれることにはどうしてももやもやしてしまう。

「リケジョ」しかり、「○○女(ジョ)」という名称は、私が知る限りでは世間的に女性が珍しいとされる分野で生まれやすい。そのこと自体をどうこう言う気はないし、あくまでも私の考えだが、「歴女」という呼称にも良いことはある。それは、共通語としてイメージが掴みやすいということだ。

昔は「歴史が好き」というと「女性(女の子)で歴史が好きなんて」と珍しがられたが、今は「ああ、歴女なんだね」で済む。「女性で歴史が好きな人がいる」という事例を広めた点では、「歴女」はキャッチ―でコミュニケーションを円滑にしてくれる便利な言葉だ。

おそらく、私のこのもやもやは「カテゴライズされること」への違和感なのだろう。私に「歴女」と言う人たちは男性女性どちらもおり、彼らはおそらく「歴史が好きな人」くらいの意味で使っている。「歴女」という言葉自体を性差別とは思わないし、周りの人達にそれを言わないでくれというつもりもない。私もきっと知らず知らずのうちに誰かをカテゴライズしているだろうから、偉そうに何かを言える立場ではない。

だからこそ、人のふり見て我がふり直せではないが、カテゴライズするような呼称の使用は注意しなければならないと思う。
「歴女」と言われて嬉しい人もいるだろうし、嫌な人もいるだろう。考え方、感じ方は人それぞれで、外見では判断できない。
「キャッチ―で口にしやすい表現はその人自身をよく知ってから」と、曲がりすぎてどうしようもなくなったへそを眺めながら思う日々である。


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