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特別でもなにもなかった日

 何もない、ただ過ぎていく日々の一つ。昨日は自分の誕生日だった。

 毎年とても楽しみにしていたわけじゃないけど、それなりにワクワクしていた。去年は数字として一つの節目だったのでホールケーキを一人で食べたりなんかもした。

 でも今年ばかりは、自分で自分のことを素直に祝ってやれなかった。なにか豪華なものを食べたとか、なにか自分に買ってあげたとか、そんなこともなくいつもと同じような日だった。「誕生日おめでとう」。この一言が、重くのしかかった。

 特に何かあったわけではない。病気をしたとか、失恋をしたとか。ただ、今やらなきゃいけないこととか、迫ってくる不明瞭な将来のことが不安で仕方なくて、気持ちが重くて上を向けない。

 自分は卑屈な性格だ。自分は自分が嫌いだし、自分のやることなすこと全て否定しているし、きっとこれからもそうだろう。何の取り柄もない自分に向けられる「おめでとう」という言葉がどうしても受け入れられない。自分なんかが祝われていいはずがない。何もめでたくない。こんな自分が祝われるなんて。

 ただ、そんな自分に、なんでもないこの日に「おめでとう」と言ってくれる人がいる、という事実がある。それは素直に嬉しいことであった。

 だからといって沈んだ心がどうにかなるか、というのは別の話である。昨日は特別なこともなにもない、ちょっといつもより多くの人からメッセージが来た日だった。

 それでもやっぱり、面と向かってだれかに「おめでとう」って言ってほしかったな、なんて。

 家族へ。自分の誕生日を素直に祝ってやれずに、自分に向けられた祝いの言葉を素直に喜べない人間でごめんなさい。

 友達へ。祝いの言葉を複雑な気持ちでしか受け取れなくて、何も返せるものがなくてごめんなさい。

 世間一般的にはそろそろ桜は散り始める頃だろうか。自分が住む地域ではまだ桜のさの字もない。この文章を書いている間、全てが情けなくてずっと泣きそうだった。この負の感情がこもった涙で桜の開花が遅れてしまえばいい。春なんて、初夏の雨に攫われてしまえばいい。

 まあ正直なところ、嬉しいと思える誕生日を迎えられる4月が来てくれるのを待っているのだけど。


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